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心神耗弱を認定 熊谷6人殺害
裁判員裁判の死刑判決が破棄され、
二審で無期懲役に減軽されたのは6件目。

裁判員裁判は何のためにあるのでしょうか?
6人殺害して心神耗弱だから無期懲役。
模範生で黙って過ごしてれば30年くらいで
出れると聞いた事あります。(内容にもよりますが)

他の事件では覚醒剤を使い殺人。
責任能力が欠けるとかで無期懲役

ある事件では一人を殺害。遺体を線路に放置して損壊。
それでも残虐とは言えないといい無期懲役。

裁判員裁判は何のためにするのでしょうか?
裁判官が一般から選ばれた人を見下してるのでしょうか?
お前らは素人だろうが。口出すな。みたいな感じで。

死刑が正解だとは思いません。
感情的に人を裁けないのも、どことなく感じてます。
しかし好き勝手に殺害して心神耗弱とか責任能力とか計画性が。
とかって何か変ではありませんかね・・・・・

どう思われますか・・?

A 回答 (6件)

実際、無期は死ぬまで刑務所に入っているわけではないので、死刑と無期ではかなりの差があるように感じます。


被害者感情の立場にならなくても同じ死刑か無期でも、他の事件と比べて納得いかないこともありますね。

一番思い罪に対する量刑ではなく、アメリカのように一つ一つの罪に対する量刑の積み重ねであれば、納得しやすい気がします。
薬物の罪が一つ多いのにそれによって罪が軽くなるのは、日本の罪や量刑に対する考え方を理解出来ない一般の人にとっては到底納得できません。
裁判官自身の身内が無残な殺され方をした時にどんなことを思うのでしょうか。

裁判員制度も過半数の判断や専門職でない人間が量刑に関わるより、アメリカの陪審員のように全員一致で有罪か無罪だけを判断するという考え方のほうがはっきりしていていいと思います。

日本ははっきり物事を言わないことや決めない曖昧さ、甘さを良しとする考えが強いですが、アメリカのようにとまではいかないかもしれませんが、これからははっきり物事を考え決める日本になればと個人的には思います。

警察組織も犯罪の疑いのある事案や犯人確保に行動力がなく時間を掛けすぎだと思います。
それにより大きな事件に発展したり亡くなってしまうという現実もあると思います。

万が一、命の危機を感じるような状況になったら、時には助けを待つより自分の判断で相手と立ち向かう勇気が必要になるのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>死刑と無期ではかなりの差があるように感じます。
私もそう思います。

>裁判官自身の身内が無残な殺され方をした時にどんなことを思うのでしょうか。
私情は持ちこまないと答えた裁判官が確か過去にいましたが・・・
内心はどうなんでしょうね。

>時には助けを待つより自分の判断で相手と立ち向かう勇気が必要になるのかもしれません。
殺されてしまったら何も残らないですもんね。
そういう物騒な所は控えてますが新幹線の中とか街中なんて、
正直どうしようも無い気もします。
ましてや誰でも良かったなんて言って殺害しますが、
大体殺害されてしまうのは弱い子供だったり女性だったり・・・
あっち系の事務所に乗り込んで事件起こす人は少ないでしょうし。
いろいろと物騒になりましたね。

お礼日時:2019/12/06 09:43

しかし好き勝手に殺害して心神耗弱とか責任能力とか計画性が。


とかって何か変ではありませんかね・・・・・
どう思われますか・・?
 ↑
刑法の目的は、特別予防と一般予防にあります。

特別予防、というのは、その犯罪者が
再び犯罪を犯さないよう、刑罰を科す、という
ことです。

一般予防というのは、刑罰を科すことにより
犯罪予備軍を威嚇する、ということです。

心神耗弱者や喪失者を厳罰にしても、あるいは
罰しても、これらの目的は達成出来ないことは
理解出来ると思いますが、どうでしょう。

彼らは病気だからです。

キチガイに威嚇など通じません。
やるなら刑罰ではなく、隔離ですね。

かようにして、先進国ではどこも
耗弱者は軽減、
喪失者は無罪としているのです。
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この回答へのお礼

病気ですよね。
キチガイには確かに、
威嚇した所で何も解決は、
しないですね。

詳しく教えて頂き、
ありがとうございます。

お礼日時:2019/12/06 17:27

まず、「裁判員裁判は何のためにするのでしょうか?」について。



そもそも日本の裁判員制度って、かなりの無理,無茶がある制度です。
たとえばアメリカの陪審員制度では、陪審員に有罪 or 無罪を評決させるだけですが、日本の裁判員裁判制度は、一般人に量刑まで決めさせようとする制度です。
これが諸外国の国民の司法参加制度との違いであり、その違いが根本的な裁判員制度の欠陥と言えるでしょう。

法源や法体系に関わらず、少なくとも先進国においては、判例を重視しない国は、まず存在しません。
それが「法の下の平等」であり、同程度の犯罪であれば、同程度の刑罰であらねばなりません。
従い、日本の司法制度でも、プロの裁判官が判例を尊重するのは当然だし、一般人の裁判員によって、判例が無視や無視されても困ります。
言い換えれば、判例を顧みない一般人に、「刑罰まで決めろ」と言うのが、メチャクチャな話とも言えます。

それと、日本の刑事裁判の有罪率99%以上と言うのが問題で。
すなわち、無罪になる可能性が高そうな事件は、検察が起訴しないことが大問題です。
ちなみに心神喪失などに関しても、裁判でそれを理由に無罪になりそうなら、9割くらいは検察の段階で、不起訴処分にしています。
従い、裁判員裁判の判決が、上級審で覆される例などは、まだマシと言えるかも知れません。

この結果、日本の裁判員裁判制度では、有罪 or 無罪に関しては、ほとんど考慮する必要が無いので、逆に裁判員が考慮すべきことは、本来は一般人が考えるべきではなさそうな、量刑くらいしかありません。
逆に言いますと、裁判員裁判を制度化するのであれば、検察は被疑者の全てを自動起訴するくらいにしないと、国民が参加する意味がありません。
どうしても検察が起訴したくない被告であれば、裁判所で「無罪を求刑(?)する」くらい言えば良いのです。

一方、心神喪失や心神耗弱に関しては、非常~にデリケートで難しい問題ですが・・。
日本の司法や行政が、それらにそれほど甘い対応を取っている訳でもないです。

そもそも凶悪犯が、まともである筈もないし、そう言う犯罪者のほとんどは、精神疾患を患っていると言う研究も発表されています。
やや極論すれば、精神的に病んでいることを理由に、無罪や減刑するのであれば、ほぼ全ての凶悪犯は、その対象になるとも言えるでしょう。
でも実際には真逆で、ほとんどは刑罰の対象になっています。

また、裁判で無罪や検察で不起訴処分になった、重篤な精神疾患の場合も、野放しになる訳ではなくて、ほとんどは「措置入院」と言う行政処分の対象になるのですが、実はこれが、かなりおっかないです。

無期懲役であれば、まだ最低限の人権は担保されますし、運が良ければ、死ぬ前には社会復帰できる可能性もあるのですが。
措置入院の患者は、言わば、生きたまま人権を剥奪されて、「退院=死亡」と言うケースも珍しくありません。
社会から隔離する必要があると認定された、重篤な精神疾患の人間が、人権問題を口にしたところで、相手にして貰えない訳です。

その結果、暴力的に押さえつけられたり、拘束具を装着されたり、薬漬けにされたりと、まあ動物扱いです。
多少の自由を与えられても、周囲には攻撃的とか暴力的な患者か、さもなきゃ何を考えているのは判らない患者などしか居ません。
まともな人間こそ、メンタルを病む様な空間で、最悪の場合、死ぬまでその空間で過ごすことになります。
「責任能力がない」「責任を負わない」と言うことは、概ねの権利も剥奪され、最低限の「生きる権利」のみを与えられた、家畜の様な存在かも知れません。

その一歩手前が、無期懲役で、無期懲役でも社会復帰する事例は多いものの、最近は余り刑期の短縮などはしない傾向とも言われています。
終身刑は、別名「社会的な死刑」などとも言いますが、死刑を回避して無期懲役になったことが、果たして喜ばしいことなのかは、人それぞれではないですかね?
特に措置入院に至っては、私は「死刑の方がマシかも知れない」と思っています。
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この回答へのお礼

生きて何もない時間を
すごすのも苦痛を
感じるでしょうね。

人それぞれかとは、
思いますが。

措置入院と言うのも怖いですね。

詳しく教えて頂きありがとうございます。

お礼日時:2019/12/06 17:24

まさに その通りです


○○病の人が 殺人を犯しても罪を軽減されるなら 一般人は安心して街を歩けません。それらの病気に罹った人は全員を○○病院に一生閉じ込めて置けていうことになりかねません。そういうことにもならないよう ○○病の人も一般人と同様に裁かれるべきです。
裁判は何のためにあるのか? 被害者に代わって裁いてくれるのではなく 犯罪者の権利とかを守るためにあるのか・・
犯罪者からの再審請求で出なく 被害者から再審請求制度を作ろう。憲法39条は「・・・叉,同一の犯罪について,重ねて刑事上の責任を問はれない」とあるが 重ねてではなく ゼロからのやり直しなら出来るのかな
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>○○病の人も一般人と同様に裁かれるべきです。
私もそうだと思います。
責任能力やらなんやらいってますが人を殺害出来るだけの
体力や知識に行動力がありますからね。
なにを寝ぼけた事を言ってるんだと感じます。

裁判なんてなんの意味があるのでしょうね・・
何年もかけて、何がしたいんだろうと思います。

加害者に優しい国になってしまった。
薬物にかんしても初犯だから執行猶予とかでなく。
初犯こそ厳しくしていくべきだと思います。

お礼日時:2019/12/06 09:52

ハムラビ法典では無いですが、「目には目を、歯には歯を」的な


考えも必要ではないか、と思います。

この考え方は、「結果に対する責任を問う。」と言う考え方ですが、
日本の判例は、「何とか、助ける方法を探してあげる。」裁判官の
恣意的な判断の結果のように、思います。

これは、結局、被害者の側の立場に立脚せず、加害者の側に
立っています。

一般の善良な国民にとっては、被害者こそが大切で、加害者は
結果責任を問われるべきだ、と思います。

「永山事件」が判断基準と言われますが、この判断基準も
結局、当時の裁判官が、当時の社会情勢の中で、悩んだ末に
生み出したものです。

今の最高裁を始め、裁判官は、「前例を踏襲」するだけで、
悩みもせず、何も生み出していない。

結局、「さぼっている。」のだと思います。
判例に従っていれば、楽ができるし、保身にもなる。

その結果、裁判員制度の信頼度を貶め、自分たちの首を
締めていることに気が付かない。

裁判員制度は、崩壊すると思います。
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この回答へのお礼

>結局、「さぼっている。」のだと思います。
>判例に従っていれば、楽ができるし、保身にもなる

その通りだと思います。
こうして死刑を回避された方々は
反省しようと思うのでしょうか?
それとも生き延びれてラッキーくらいでしょうか?

とても理解に苦しみます。
反省されてもされなくても。

お礼日時:2019/12/06 09:35

このケースは最高裁行で結局裁判員の判断は判決に影響を及ぼすことにはならないでしょうけど、


裁判員の判断を覆したという事実が、世論には影響を及ぼすと思う。
こういうケースが増えれば、選挙の時に、裁判官に×をつける人も増してくるのでしょう。
感情を公平より優先すると、隣の国みたいになっちゃう可能性もあって、非常に難しい問題だけど、
死刑の基準の変更などを見直すことにつながればよいとは思う。
(個人的には、強制送還が一番罰になるとおもうけど)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>世論には影響を及ぼすと思う。
私もその通りだと思います。
すでに裁判員裁判を辞めたら?
との声も大きくなりつつありますね。

お礼日時:2019/12/06 09:07

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