最速怪談選手権

少し前にテレビで、鎌倉市では建物を新築する際に発掘調査が義務というような番組で、実際に業者が実施している場面がありました。はるか昔の古代人の遺跡なら火山噴火や地震などによる地盤変動もありでしょうが、出てきたのはそれほど古くないものばかりのようでした。少し昔の人たちは狭い地域を有効に活用しようとして、いらないものは穴を掘って埋めていたのでしょうか。それとも他に理由があるのでしょうか。

A 回答 (6件)

現在だと、大型の土木機械を使って地面を掘って基礎を固めてから建物を建てるのが多いですが、昭和の40年代、50年代だと、大きなビルや鉄筋コンクリートの建物を作るのではなければ、地面に石を置いて、その石の上に柱を立てて建物を作るのが普通でした。

土間、浴室など地面に密着する部分とかでも地面をさほど掘り下げないで基盤を固めて建物を建てました。 建物を建てる以前に存在していたものでも大きなものは撤去し他所に廃棄するとしても、小物や破砕物、壁、瓦などは、地面を掘って廃棄埋設していました。 金を掛けられときには、地表に他所から土砂を運び込んで綺麗にしました。
ですから、住宅地や商業地域では、古いものの上に新しいものが積み重なるようになるのです。同じ場所で深く掘っていくと数十年間隔で、下になるほど古いものが出てくるのです。
発掘調査が義務になるのは、文化財になるような遺跡、遺物がある可能性を問題にしているので、埋蔵文化財の存在が知られている土地(周知の埋蔵文化財包蔵地)の指定を受けていない場合は、取り立てて保護のための調査などはしなくても構わないことになっています。
時代時代      時期細分             対象
旧石器時代                      全て対象
縄文時代   草創期、早期、前期、中期、後期、晩期  全て対象
弥生時代   前期、中期、後期            全て対象
古墳時代   前期、中期、後期            全て対象
古代     飛鳥時代、奈良時代、平安時代      全て対象
中世     鎌倉時代、南北朝時代、室町時代     全て対象
近世     安土桃山時代、江戸時代         必要なものを対象
近現代    明治時代、大正時代、昭和時代      特に重要なものを対象
大正時代、昭和時代の遺物がある程度ならば、例外を除いて、調査せずに、地中のものを撤去して、基礎工事をしても大丈夫です。
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この回答へのお礼

詳しく回答いただきありがとうございました。埋蔵文化財包蔵地、鎌倉市もそうだったのですね、歴史ある町なので当然でしょうね。また、他の方から風雨など自然災害の可能性も教えていただきました。重ねて、ありがとうございました。よくわかりました。

お礼日時:2019/12/30 17:00

地表に出ているモノは風化したり


焼き払われたり、破壊されたりする
からです。

その結果として、地下にあるモノが
生き残るようになっただけです。
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河川氾濫などで薙ぎ払われていった。


19号のときに見たでしょ。あんな光景が日常茶飯事だった。
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この回答へのお礼

鎌倉市もそうだったのでしょうか。地形的には傾斜地なので雨や風の影響が相当にあったのでしょうね。ありがとうございました。

お礼日時:2019/12/30 16:46

遺跡は、湖底や海底や地中に埋もれています。



遺跡が地中に埋もれているのは、災害や戦乱などで昔のある時期から人々が生活しなくなったからです。遺跡は歴史のある瞬間で止まっているため、歴史的に貴重になることがあります。

有名なのは古墳、戦後発見された吉野ケ里遺跡、そして戦国時代の城あと、城址などがあげられると思います。

古墳はもともと墓なので人は住んでいませんし、吉野ケ里遺跡はなんらかの理由で人々が移住してしまったか、災害により地中に埋まりその後人が住まなくなったためと想定されます。

人が住み続ける場所は、時代とともに変化していくため、遺跡として残ることはないと思います。近年の取り残され荒廃した住宅や施設は、遺跡化の過程と言えるかもしれません。

自分が住んでいる場所付近の50年前の写真、100年前の写真は市の資料館や図書館で見つけることができるかもしれませんので、それを見ると時代の変化が良くわかると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2019/12/30 16:40

鎌倉は埋蔵文化財包蔵地なのでそういう手順になっているのです。


別に鎌倉に限ったことではなく、歴史が深い土地では事前の調査がつきもので、
それでもし何かが出土した場合は工事中断もありますし、そう珍しい現象ではありません。

そう言えば江戸時代初期の古伊万里も地中から見つかることが多いですよね。
何らかの理由で放置されたまま堆積して埋まってしまったのだろうと思います。

戦か何かで持ち主不在のままそこにあり続けて忘れ去られたものかもしれないし
あるいはゴミとして処分したものかもしれない。

とにかくそういうものを埋蔵文化財と言い、
その中には貴重なものがあるかもしれないと期待しているからこその調査です。
それこそ保存状態が良ければ国宝にもなり得るものが今でもどこかに埋まっているかも知れません。
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この回答へのお礼

鎌倉市は、埋蔵文化財包蔵地だったのですね。歴史のある町なので当然の指定地なのでしょうね。ありがとうございました。

お礼日時:2019/12/30 16:31

大抵の場合タイムカプセルとして地中に埋めていました。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。でも、質問の趣旨からは外れていました。

お礼日時:2019/12/30 16:25

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