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棟方志功がこう言っています。

『悲しみは人間の美の感情というか、感動の中で一番大切なものである。
ベートーベンは何とか泣かないで本当のものをあらわそうとした。涙を流
したらダメだ。「哭く」が本当の悲しみだ。』

世界に認められた芸術家の言葉であるし、私の心の琴線に触れるものでも
あるので、いまこれを味わっています。
動画は数日前に出会ったもので、あまりにも感動したので、再度の登場と
なりました。

これこそ、慟哭ではないか?これを見ればみゆきの「恨み節」も、真弓の
気位の高さも、単なる感傷にしか見えなくなります。

人間の悲しみとは、哭くとは何でしょうか?

質問者からの補足コメント

  • ごぜ(盲目の女芸人)

    「悲しみとは何だ?」の補足画像1
    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/04/21 17:18

A 回答 (14件中1~10件)

悲しみ、哭くとは、自己を引き裂き、そして新しく生まれ変わらせるものだと思います。



この時に、自己を引き裂いた、世界の激しい矛盾に対し、それを超えられるか超えられないかで、その人の人生が飛躍するか墜落するかが分かれる。
激しい矛盾とは裏切りであり、隠蔽の暴露される瞬間であり、世界の無情、非情に、敗れると分かってても自己の激情で立ち向かうことであります。

そうして千切れた自己の精神に大地の如き堅固な意志を宿らせて、世界が自己にもたらした宿命に並び立った時、覚悟が定まる。
やってやろうじゃないか、と、覚悟が決まる。それは静かなものであるけれど、決定的なものでしょう。
それでその人は真剣で、真にやさしい人となる。
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この回答へのお礼

図星だ!

但し、敗れたくはないから、自分の意識・精神を高い位置に持ってゆかざるを得ないと思う。
妥協なんかしている場合ではない。歴史に残る人たちの言動を吸収して、自分を高めてゆかな
いと埒が明かない。

悲しみ、哭くとは、菩薩・仏の心なんだろうと思います。私の心はどうだろうか?今後の行動
がそれを証明するでしょう。

お礼日時:2020/04/25 12:31

濁りなく清らかな心で無いと他人に対して「哀れみの心」はもてなでしょう。

だからこそ「哀れみの心」は美しいと思います
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この回答へのお礼

濁っていて清らかでない心が、世間には充満していますね。しかも、
清らかな心を憎んでいるようです。

お礼日時:2020/04/26 06:50

「哀しみ」を覚えるその心とは例えば他人から愛されたいのに己のプライドを守らんが為に他人に嫌われる態度とってしまって結果「ヤマアラシのジレンマ」に堕ちいている他人に対して、「ヤマアラシのジレンマ」に陥ってしまったその他人の「心の奥底」に触れる事でその他人を慈しむ心です


その他人が自分に対して悪意のある行動をとったとしてもその他人を赦せる心です
あえて言わせて貰えば「罪を憎んで人を憎まず」に通じます
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この回答へのお礼

「哀れみ」・・・相手の気持ちや身の上を察して気の毒に思い、心を痛めること

「憐れみ」・・・相手の気持ちや身の上を察して気の毒に思い、行動に移すこと

というのがありましたが、この解釈が専門家から見て正しいのかどうかは分かり
ません。しかし、相手の不遇を目の当たりにして気の毒に思う心の背後に何があ
るかによって、その深さが決まってくるのではないかと思います。

その人の心が主体性に満ちているか否かとか、人間というものに尊厳感を持って
いるか否かとか、社会というものをどう捉えているかとか、によって気の毒に思
った後にどうするかということが決まってくると思います。
先にお話ししたように知性というものも関わってきますでしょう。

お礼日時:2020/04/26 06:48

悲しみは、口先や喉からから出るのでなく、身体全身から溢れでるんですね。

女芸人さんは、頭のイメージの悲しみでなく、亡き人を、身体の奥底からわき出る悲しみで、お別れを惜しみつつ、告げているのですね。魂から魂へのメッセージですね。
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この回答へのお礼

悲しみが、口から出たり、涙が出たりすることもあるでしょう。

私はカラオケが好きで、悲しい歌が特に好きなんですが、胸が一杯になって
歌えない時があります。でも、それを我慢して歌うと、いい声が出るんです。

最後の「ごぜ」と言われた小林ハルさんの歌声は、大きな声ではないのに、障
子をふるわせるような力があったといいます。

お礼日時:2020/04/25 12:20

「悲しみを感じる心が美しいのではないのではないでしょうか?」について?


「悲しみ?美なのです」と仰っているトラディショナルさんにお尋ねされた方が良いかと思います
それはそれとして
私は他人の悲しみの奥にあるその不条理な背景を受け止め「哀しみ」を覚えるその優しく清らかな心が美しいのだと思います。
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この回答へのお礼

自分のことではなく、他人のこと社会のことを悲しむから、美しいと言える
のでしょう。

悲しみが驚きになったり、怒りになったりするのでしょう。

お礼日時:2020/04/25 12:13

悲しみに美しさがあるとしたらその悲しみは知的であるからでしょう


「知的な感情」と言うと「矛盾した表現」と捉えられますがそうではありません。
「知的な感情」は理性と関わり合っているからこそ「知的」であり「潜在意識」においては「感情」が「知的作用」に深く関わっているからです
質問者さんが「慟哭」と評した「悲しみ」はまさに「知的な感情」ですね。
「慟哭」と表させる程の「悲しみの重み」は質問者さんが心から愛した方と積み重ねてきたその「重み」だからです
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

知性と感情は切り離すことはできないと私も思います。

捕捉に張り付けた写真は、小さくて見にくいと思いますが、初めて見たときに
心を揺さぶられました。この人の歌声を聴きたいと思いました。

大友裕子の顔が同じに見えました。

三味線を弾いて歌っている女芸人は、自分の不遇を悲しんでいるのではなく、
自分の不遇を通して、世間の悲しみを歌っているように思えてならないのです。

そういう悲しみを感じる心が美しいのではないでしょうか?

お礼日時:2020/04/21 17:30

喪失感じゃないですか。

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この回答へのお礼

失恋の悲しみは「喪失感」と言えそうですが、何を喪失したかという感覚は
人によって随分違うのかもしれません。

お礼日時:2020/04/21 17:16

悲しみとは よく考えてませんでしたが 大概大切なものをなくした時に悲しみになって現れるようでです。



心から好きな人 愛する人を失った時に悲しみは大きいです。フラレたり死別するとか

友情や自尊心を失った時ですねえ 物よりも心から無くなったほうが悲しみは大きい様です。
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この回答へのお礼

失恋した時の悲しみは、その人を失ったことよりも、愛する心を
無にされたことの悲しみなのでしょう。

お礼日時:2020/04/21 17:15

恋ごころ故の悲しみの表現です。

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この回答へのお礼

そうですね。

お礼日時:2020/04/21 17:09

私の考えが、正しく伝わらなかったようですね。



歌詞に付いて云ったのではなく、恋心の強烈な事を云おうとしたのです。

歌手も、慟哭のように歌い上げる事によって、強烈な恋心を表現したのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

悲しみの表現だと思います。

お礼日時:2020/04/20 13:59

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