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元に戻れない事について考えると、涙があふれます。
これってどういう事でしょう?

・亡くなった人の事
・子供時代の事
・病気の人が健康だった頃の事
・人を傷付けてしまった事

この様にもう元の状態には戻れない、戻れても傷を負っている様な事です。
これらを考えると涙があふれるのはなぜでしょう。知人であるかどうかは、あまり関係がありません。
郷愁?無いものねだり?

死ぬまでこの傾向は変わらないと思います。
この様な気持ちになる理由や、意味があれば知りたいです。

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

質問者様は、過去の出来事をもう二度と取り返しのつかない、変えられない現実・・と思っておられるので、いつまでも心の傷が癒えないのではないでしょうか。



でも、考えてみてください。
現在は過去の続きであり、過去の体験の上に成り立っています。

全ての経験はその人に何らかの影響を与え、人格を、人生を少しずつ変化させていきます。

経験そのものは、現実には変えられないと思いまが、経験に対する解釈、受け取り方は変えることができます。

現在の自分がどんどん変わっていけば、過去を振り返ったときの過去に対する解釈、受け取り方、感情も変えることが出来ると思います。

「ああ、あの苦しい過去のせいで、今こんなに惨めで辛い思いをしている・・」
という感情を
「ああ、あの苦しい過去のお蔭で、今はこんなに前向きに強く生き抜いていくことが出来るようになった・・」
ぐらいに変えることが出来ると思います。

過去の経験は、変えることが出来ない、取り返しの付かないことなのではなく、
現在の自分をもっと前向きに前進させることによって、過去の意味を現在から規定しなおす、
つまり意味づけを変えることが出来るのだと思います。

その気になれば、どんなに苦しい経験からでも、何かを学ぶことが出来ると思います。
その学ぶことで、得ることが出来た自分の前進、
つまり向上できたことに対し、感謝することによって、過去の辛い経験が、辛いながらも貴重な、光り輝く大切な体験として再生できるのだと思います。

そのときは、もう、自分自身の心の傷は癒されて、苦しかった時代を感謝と祈りに近い、穏やかな感情で思い出すことが出来るのではないか・・と思いますが、如何でしょうか。

参考になれば幸いです。
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こんばんは、sss888さん。

家庭の医学のような医学書で、精神科の項目を
調べてみるか、実際に、精神科を受診してみてください。特に異常がない場合は、治療も投薬もありません。宗教家に御相談してみてください。
一般的には、疎外?家族、夫婦、仕事など、sss888さんを取り巻く人間関係
が人間的に充実していれば、不安はなくなると思います。人間は、生まれて
数十年生きて、死んでいきます。「おとなは二度と子どもにはなれない。なるとすれば、(もうろくして)子どもじみるのである。しかし、子どもの無邪気さは、おとなを喜ばせはしないだろうか?そして、おとなは、ふたたびより高い段階で、子どもの真実を再生産することに、みずからつとめるべきではないだろうか?」感動してください。今、生きていることを手放さず、
充実させてください。御自分を豊かにして、回りのひととも、幸せになってください。自分の本当にやりたいことを、思い切りやってください。
涼しくなりました。お励みください。
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幸せというのは相対的な感じ方なのですね。


人により尺度が違うのは
辛い現象が「不幸」ではなく「不安」だからです。
過去より不安だから辛くなります。

昔より今安心した状態なら、
過去の不幸は苦にならなくて
むしろ勲章のごとく重みのあるもの。
良い語り草になります。

とりあえず今幸せと勘違いすべきで
安心すれば良いと思います。
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宇宙のエントロピーが増大しているためです。

つまり、時間は一定方向にしか流れません。秩序から無秩序への流れです。それは必然的に「苦」です。生物の宿命といってもいいでしょう。それが知性を持ったわれわれにはますますこたえます。つまり、われわれはこんな宇宙に生まれるべきじゃなかったようです。
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仏教的にいうと「渇愛(タンハー)」ということなんだろうと想います。


以下、説明します。


私達は、み~~んな、何かに執着したがるんです。
なんでかというと、「心が不安定」だからです。
つまり心が弱いんです。
だから、その不安定な心を安定させようとして、いろいろなものに執着したがるんです。

これを仏教では「渇愛」といいます。
砂漠でのどが渇いた人が、夢中で水を求めるような心理だといいます。

心が弱ければ、弱いほど(または弱くなっている時期に)、渇愛は強くなってしまうです。
たとえて言うと、不安定な心に杖(支え)を欲しがるような心理です。


簡単にいうと、老婆が杖をつかなきゃ歩けないのと一緒です。
足腰が弱りきっていて、すぐにどこかに掴まろうとするんです。
または、すぐにしゃがみこんでしまうんです。
ちょっとでも居心地のいい場所を見つけたら、すぐに依存して、すぐに執着するんです。
そして「私をおんぶしなさい」「私のタメにもっと尽くしなさい」とまで言い出すんです。
人のよさそうな相手を見つけては、その人を想いのままにコントロールしようとまでするんです。

こういう人って、老若男女問わず、たくさんいるんです。
なんでこうなるか?というと、心が弱いから、不安定だからです。
キツイ言い方をすれば、意思薄弱なんです。

 別に質問者さまが意思薄弱だと言っているではありませんよ。^^
 単純な理屈に基づいた、ただの一般論です。

ほかにも酒、タバコ、ギャンブル、異性、・・・心が不安定だと、いろんなものの奴隷になってしまうんです。

ですから、渇愛は、ある意味では人間としての宿命みたいなものなんです。


で、もし、質問者さまが、そのような傾向から脱したいのであれば、心、健やかにすごしたいのであれば、心を強くするしか道はないんです。心を安定させることです。

その方法論はいろいろありますが、一番、お薦めなのは、坐禅です。
または、ヴィパッサナー瞑想という仏教の坐禅瞑想法です。

両方ともやることは一緒です。
ただ、ジッとして、自分の呼吸を観察するんです。
「呼吸を整え、想いを鎮める」たった、これだけのことを何時間も、何年もやってみてください。

だって、こういう状態(呼吸を整え、想いを鎮める)こそが、心が安定している状態なんです。
私の過去ログにもいろいろ書いてあるので、興味があれば一読ください。

心が安定していて、あまり雑事が気にならないという人は、とてもシンプルな発想で生きているものですから、とても気楽な人生を送っているんです。そんな風な人生を送ることは、我々にも可能なんです。ただし修養が必要です。

または、そういう想いが過激で、涙が止まらなくなったり、呼吸困難になってしまうようでしたら、パニック障害の可能性もあるので調べてみてください。
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普通に考えるとあなたが過去に取り返しの付かない状態(付かないと思える状態)におちいってそのことについて深く心に傷を負った。


それで他人の同じ様な状況をみるにつけ心が痛むのではないでしょうか。
どちらにしても答えはあなたの心の底にあります。
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