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 鍵をかけずに外出しても 大丈夫だという時代(あるいは地域)があったと思いますが それは もう回復ができないことなのでしょうか。そういう意味での共同体の問題です。その意味でコミュニケーションの問題にも関係していると思います。

 《住宅の防犯性》に対する不満が 53.8%だという調査があるそうです。(国土交通省。2003年ですが)。今朝の日経(経済教室=沓沢隆司)によるのですが かつて1993年には 《治安の良さ》について誇りに思う割合が 52.1%だったのが 2005年には 18.0%にまで下がったと言います(内閣府調査)。
 《06年の調査でも 84.3%が 〈ここ十年治安が悪くなった〉と見ている》とも言っていて ただしこの論文は 犯罪発生率が高く治安が悪いと その土地の価格は比例して下落するといったことを指摘し 交番の設置が効を奏すなどの提言をしています。

 この質問では 治安の良い社会をつくる人間関係といった見方に焦点をあて 共同体復活について どう考えればよいか これを問うています。その改善策についても 経済政策というよりは 社会哲学としてです。まづは 考え方としてです。
 わたし自身は きわめて広く思想の問題だと考えています。(あるいは 究極の思想としてみづから抱くものがあります)。それでは 前へ進まないので どんなことでも いいですから おしえてください。

A 回答 (24件中1~10件)

primeapeです。


今回の一連のコメントについて振り返ってみました。
ポイントになるのは、「心の新陳代謝」。
この言葉は「死」の意味を自分にとって1つだけの意味として、人はやがて死を迎えることを肯定するためのおまじないです。
ヒントとして生きることについて考えてみました。
癌細胞は寿命が無く、無限に増殖する特徴がありますが、大学病院の研究室には50年以上前に死亡したアメリカ人の女性のがん細胞が研究結果を実証する基準として世界各国で培養されているそうです。
このがん細胞が未だに増殖している現象を持って、このアメリカ人女性が今も生きていると思う方は居ないでしょう。
そのように考えると極端な物言いでは生とは肉体にすら依存してないかも知れないけど、なんと言うか自分はどのくらい生きているかの実感が人によって違います。
生が判らないから死を悩む。
そんな事を自分で抱え込んでいるのではないでしょうか。
自分で抱え込む現象は、自己の同一性に関して自分自身の無意識(脳内)に生の認識への密度の差がある状態と、わたしなら表現します。
この生に関する自分自身に内包した密度の差をうかがい知るのがbrageloneさんが過去のコメントで時折見せた上下関係や階級差への悩みです。
唯識のウィキペディアの記述の中にも転識得智の「末那識は平等性智」と言うのがありますが、これは愛に基づく感情は公平に采配をふるい思考すると言った意味です。
自己の同一性といえば悪魔と和解できているbrageloneさんが未だに悩むのが不思議です。
心理学的に心の均衡とすれば何かあるかもしれませんが私には知識不足です。

ちなみに私が自分自身の心について行ったのは、無心のまま複雑な観念をわかりやすく還元することで、この手の思考は全て無意識の水面下で行いました。
その結果、無意識の英知の突出が霊媒師現象を招いたのではないかと思いますが、それはさておき、心の新陳代謝の前置きの結果、人はやがて死ぬことを肯定できればそれ以上悩まないで済みました。
したがって意識に上る扉をかいくぐったのはこの二つのみです。

この回答への補足

 primeapeさん お久し振りです。ご回答をありがとうございます。

 けっこう 現代の日本や世界にとって いい質問だと思っているのですが 反面で 多岐にもわたるし 一つの課題を取り上げても なかなか教科書どおりの処理の問題としては扱えないからでしょうか 回答がつかなくなりましたね。

 今回は むつかしいことをおっしゃる。
 ★ 自己の同一性といえば悪魔と和解できているbrageloneさんが未だに悩むのが不思議です。
 ☆ この箇所です。あとは 少なくとも論理の道筋としては 理解できていると思います。
 わたしが悩むのは けっきょく 相手や人びとのところに 自分を故意に持って行こうとしているからでしょうか。その人びとと それぞれ 同じようになるという形をとっているとは思います。その人に応じて つまり
 ★ 生に関する〔認識として 一人ひとりの〕自分自身に内包した密度の差
 ☆ に応じて あたかも それと同じようになるという習性がわたしにはあります。そのゆえでしょうか。これは さらに自分でも問い求めていきます。

 ★ 心の新陳代謝
 ☆ これは わかりました。primeapeさんは いわば自己完結型ですので 
 ★ 人はやがて死ぬことを肯定できればそれ以上悩まないで済みました。
 ☆ という自己還帰もしくは和解のかたちなのだと思います。わたしの場合は 神との関係があります。《最後の敵として 死が滅ぼされます》と聞いているわけです。そういうかたちの和解です。
 とは言うものの このような《死の克服》のかたちは いまだ実現してはいないことです。将来すべきこととして臨んでいます。ですから それが いったい どういう現実であるのか つねに 説明ができるようにと 反芻するように 洞察を続けているというのも 実情です。――あるいは その意味でも 悩むことを伴なっているのかも知れません。

 ★ 生が判らないから死を悩む。〔これを〕自分で抱え込む現象
 ★ 〔これが 社会における〕上下関係や階級差への悩みです。
 ★ 唯識の・・・転識得智の「末那識は平等性智」・・・これは愛に基づく感情は公平に采配をふるい思考すると言った意味です。
 ☆ これこそ 共同体の問題にふさわしい課題だと思います。ふたつの次元があります。
 (1)個人や個人どうしの関係の次元――これを 社会的な自然としての(それゆえ 第一次としての)共同体と呼びます―― そして   (2)組織ないし集団の次元 特に現代では 一般に国家という人為的な単位集団――そこでも 共同自治があるからには いわば第二次的な共同体と呼びます――。
 ちょうどいま 大澤真幸の『不可能性の時代』を読んでいたのですが 引いてみたいと思います。そこでは 《実際・・・ここまでの考察は 〔第一次の〕共同体の外部の〈他者〉への接続の可能性について 十分な理論的な根拠を与えてきている》と自負しつつ 次のように結論を述べる箇所です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 第一に 現代社会において 家族のような親密な関係を食い破って 外部の〈他者〉と直接性の高い関係を結ぼうとする欲望が迫りだしてきている ということを確認しておいた。
 第二に 愛が憎悪(に類する感情)と緊密な一体性を持っている ということを理論的に確認しておいた。愛が 共同性を内へと閉じる引力であるとすれば 憎悪は 逆に 共同体を外へと開く斥力である。憎悪(斥力)こそが まさにその証となるような愛がありうる。父・母を捨ててイエスのもとに行くことが まさに父・母への愛の証だということもありうる。愛がこのように外部の〈他者〉への関係へと人を押し出す憎悪とともにあるとすれば 共同体の間に何本かの外への接続のラインが成長してくるはづだ というわれわれの理論的な予測は 十分に根拠があるものだということになる。
 (大澤真幸:『不可能性の時代』〈結 拡がり行く民主主義〉p.284)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 どうでしょうか。引用にとどめますが。

補足日時:2008/05/22 23:39
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こんばんは、brageloneさん。



あっちにもこっちにも例が飛び交っています。。。

これはもしや…相互扶助?

涙ちょちょぎれるぅー (T_T) うじゅ...スタンレー?


ほいでもって、ここにも例が… |(><)|きょえーっ=☆


【契約文書の解釈とパロール・エヴィデンス・ルール 】
http://www7a.biglobe.ne.jp/~ando/AmCon2.pdf


例、コワイってば、、、限界効用(げんかいこうよう)


BGMにこれかけて

波の谷間に 命の花が~♪

ふたつ並んで 咲いている~♪

兄弟船は 親父のかたみ~♪

型は古いが しけにはつよい~♪

おれと兄貴のヨ 夢の揺り篭さ~♪

カップリング曲に『玄海月夜』
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND44430/index. …


                  “ 歌は世につれ 世は歌につれ ”



切り替えしてみました。いかがでしょう?(*^^*)> ゛゛゛

この回答への補足

 まづは ヤッホーと行きまして ご回答をありがとうございます。
 ★ スタンレー
 ☆ とは スタンレー・ミルグラム(Stanley Milgram)の《スモール・ワールド現象(人は 平均して六人を隔てて 互いに知り合いだ)》のことでしょうか。これって 実際にほんとうなのですか? ま それはともかく 世間は狭いと言いますから。
 ★ 例、コワイってば、、、限界効用(げんかいこうよう)
 ☆ これは どのつながりですか? 分からない。
 ★ “ 歌は世につれ 世は歌につれ ”
 ☆ “ 万葉の歌は その昔ヤマト・ミワにおける歴史知性の革命につれ 億葉の歌は いま この原点のヤシロのルネッサンスにつれ”
 ☆ つまり 《万葉のルネサンスへ!!》

 ▼~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 《長崎市長射殺に死刑》(地裁判決)
 金銭強奪目的などではなく 被害者が一人で 殺人の前科がない被告への死刑は異例。・・・/ 判決理由で・・・は《被害者を逆恨みするようになった経緯は自己中心的で 身勝手極まりない》と述べ・・・た。その上で更生の可能性を検討したが《矯正 改善は困難》とし 《被害者が一人であることを考慮しても 極刑を科すことはやむを得ない》と結論付けた。(日経 朝刊)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《Q:拉致やサリンばら撒きの司令者について その本人が そのようなことをしない普通の人に復帰することを 放棄することは ゆるされますか?》――

 《放棄する》というのは 本人にしても 被害者にしても 第三者の人びとにしても そもそも 人間が ふつうでない状態のまま――ごめんなさいとも言わずに――生きつづけることを それでよしと認めてしまうことです。おのおのの意志において そのような放棄を 認容することを言います。
 わたしの見解は 能力によって 放棄することができないという《執念深さ》に基礎をおきます。この問いも 追加として この質問に添えたいと考えます。

 もし《極刑》が《死刑》だと このように《更生》の可能性を放棄することは ありうるとしており ゆるされるという思想になります。
 いづれにしても(というのは ただちに議論をすすめるわけには行かないでしょうから) 《更生》を《ゆるさない》ことは また ありえないという思想が まづ 基本にあると確認できます。基本は そうであって 死刑は 例外の事態だという判断ではないかとも捉えます。
 しかるに 《更生せよ》という要求や欲求は 被害者意識が強すぎて 《暗い》そうです。《あきらめる / 水に流す》のが正解だという見解が 一方に あるようです。それなら 死刑をもって極刑にすることもないと言っているようなものですが。

 ★ 【契約文書の解釈とパロール・エヴィデンス・ルール 】
 ☆ これについては 法律学の上では それとして 合理的な理論や解釈が問い求められ 発展していくと思います。
 わたしの見るところでは 当事者(つまり 基本的には 二角関係)の問題であるというのが どこまでも 基本であるように考えます。すべて 当事者どうしで 話し合いをつづけ 合意や和解に達するという考え方です。
 そうでない場合 つまりは この話し合いを拒む場合 それは 煮つめて言って もともと その一方もしくは双方ともが 相手をだます目的で 人間どうしの交通や商業上の取り引きをおこなったと解釈されます。
 この解釈の場合には 互いに つぐないを科すかたちで 法が裁くことになるかと思います。(その前に 双方の知り合いが 仲介して裁くかたちもありえるでしょうが どちらにしても もはや つぐないを科すかたちで裁くことになります)。
 ここで 法律論の問題が 延々とつづくかも分かりません。要は 互いにゆづり 互いに心を入れ替えるところへ導かれることが 望ましい。(この幼稚な原則が どこまでも 有効なのだと考えます)。
 〔死刑という判断 すなわち 心を入れ替えることが――その振りをし そのあとの生涯において 猫をかぶってでもよいから生きることを含めて――困難だと判断して死刑を科すという場合  これの当否・是非・可否は その時代と地域によって(つまり 《歌は世につれ 世は歌につれ》)決められていくのも やむを得ないのかも知れません〕。

補足日時:2008/05/27 12:01
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この回答へのお礼

 一方の側として だます目的のなかった当事者の場合 どうなるでしょうか。そのことの証明の問題も然ることながら おそらくその当事者は すすんで 一歩あるいは二歩ゆづることが 賢明だと考えます。将来のためです。
 
 《共同体》のルネッサンスでもあり 《コミュニケーション(仕え合い)》の普及・確立でもある主題を追い求めつつ 当方も 同じく
 ★ 切り替えしてみました。いかがでしょう?(*^^*)> ゛゛゛

お礼日時:2008/05/27 12:07

こんばんは、brageloneさん。



:*:.。.:*(´∀`*)*:.。.:*: ホッー。


応答どうもです。


お薬届けるの忘れてました。

【QNo.3728673 悩みとは何ですか】 ANo.4
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3728673.html


工学のお話が他所でもあがってましたから…錬金術のお話かと

卑金属は容易に酸化し水分・二酸化炭素などに侵されやすいと。

ほだから、空き巣に入られんじゃないかと気をつけてはいたんですがね

お仕事がありますから、パソに張りついてもいられない。

留守して帰ってみれば、案の定。やられたと。

踏めば踏むほどに腰が強くなるとばかりに踏み踏みかよー!!と、遠吠えひとつ

雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ  ハックション=☆

【キメラ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A1% …
【鋼の錬金術師】
http://www.aniplex.co.jp/hagaren/
【『黒の過程』マルグリット・ユルスナール著】
http://editus.co.jp/book_G_Yourcenar.html
……《黒の過程》という表現は、錬金術に関する論考のなかで物質が
分離し溶解する段階、化金石を実現するのにもっとも困難とされる段階を
意味する言葉である。この表現が、物質それ自体にたいする大胆な実験を
さしていたのか、それともよりひろく象徴的な意味をこめて、
しきたりと偏見から脱け出るさいの精神の試練をさしていたのかは
いまなお論議の的となっている。おそらくは次々に、あるいは同時に
その両者を意味したものであろう。

このあたりをみておけば、合点もつきます。

書く側も読む側もある意味試されている。

何を?

自己がいま抱き持つ偏見からいかに脱却し得るか?がベースとしてあったんじゃないのかな?

それにしても、
QNo.4042671 【拉致被害者にあなたはどのような話をしますか 】
の質問を削除するかね?

共同体の治安を考える手立てとして、一方向に傾きかけたときに
どう切り替えしていったかを消さずに残しておいてもらいたいよ。

この回答への補足

 独語のようになるかも知れませんが。
 《いかなることにも人に躓きを与えないように》という注意を怠ったのかも知れない。
 いや その注意は いつでも している。ただ その方向だとか 力の入れ方だとか さらには なお こまかい言葉の使い方だとか これらによって 具体的で個別的な共同体のあり方を弱めてしまったかも知れない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 視よ 今は恵みの時 
 視よ 今は救いの日である。
 私たちの奉仕が批難されないように 
 いかなることにも人に躓きを与えないようにし 
 かえってあらゆることにおいても神の奉仕者として私たち自身を勧める。

 すなわち多くの忍耐にも 患難においても 困窮にも 行き詰まりにも 
 鞭打ちにも 獄中にも 騒乱にも 労働にも 徹宵にも 飢餓にも
 純潔をもって 知識をもって 寛容をもって 慈愛をもって 
 聖霊において 偽りのない愛をもって 
 真理の言葉をもって 神の力をもって
 両手に持つ義の武器により 
 光栄と恥辱によっても 悪評と好評によっても 
 神の奉仕者として自分たち自身を勧める。

 誘惑(いざな)う者のようで しかも真実であり 
 人に知られざるがごとくして しかも知られ 
 死ぬばかりでありつつ しかも視よ 生きている。
 懲罰を受けているようであるが殺されず 
 悲しんでいるようであるが 常に喜んでいる。
 貧しいようであるが 多くの人を富ませ 
 無一物のようであるが すべてを所有している。

 (パウロ:『コリント人への第二の手紙』6:2-10)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

補足日時:2008/05/26 10:19
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この回答へのお礼

 ★ 共同体の治安を考える手立てとして、一方向に傾きかけたときに
どう切り替えしていったかを消さずに残しておいてもらいたいよ。
 ☆ なかなか おっしゃいますね。


 マニュアルどおりに機械的に処理するとまでは もう 承知していたのですが それを超えていました。波風が立ったというしるしで 判断したということですかね。
 それにしても 救済を訴える手段が ほとんどない(メールで請願するのみ)。《原理主義者》との対話は 時間をかけその回数を重ねても こちらの無力に終わった。
 たぶん もう一回 試みてみます。(わかりませんが)。

 ★ 雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ  ハックション=☆
 ☆ 風邪には気をつけてまいりましょう。

お礼日時:2008/05/26 08:51

こんばんは、brageloneさん。



ひとまず、生存確認。

やられました。ごっそり。

仕事に 出てた隙に そっくり かっさらわれてました。

どうしたもんだか。。。|(><)|


気持ち切り替え、つぎ!≡≡≡ヘ( ^-^)ノ

共同体もぴんからきりまで

いやね、いまどき日本は物価は高い、
年金暮らしじゃ住みにくいと。
国内脱出、移住、移住と
他所(他国)へ行けば夢のような暮らしが…とかなんとか、
誇大広告さながらなうたい文句がネットの中にもあふれてる。
大抵、移住先は日本よりも物価の安い国が紹介されてある。
そこで、“共同体”をつくりましょうとかなんとか。
一見なにやらよさげ?かと思いきや
入居金額を見れば…え?
確かに日本で夫婦そろって老人ホーム入居するよかはるかに額は小さい
しかしながら、その国の平均月収が日本円にして18000円なのにもかかわらず
月の生活費の内の水道代だけみても24000円ぐらい徴収とある。 ある意味ぼったくり!!
全財産つぎこんで、“こんなはずじゃなかった”といっても帰る金もなし家もなし
移住、移住の言葉に踊らされ後先考えなる間もなく
流れに流されて行く人もいるんじゃないかと
行った先で何かあっても日本の法律及ばない
ここいらあたり、注意してみとったらなあかんのんちゃうやろか?

この回答への補足

 《拉致被害者》の件では お詫びを申し上げるのを忘れてしまいました。
 ごめんなさい。おゆるしください。
 ほかのみなさんにも こころより おわび申し上げます。すみませんでした。
       2008年5月25日 bragelone

補足日時:2008/05/25 21:58
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この回答へのお礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 たしかに そういう暮らしも共同体のことになるかも知れませんね。
 金銭で解決するのなら そして 共同体であるとなれば よいかも知れないと思うのですが これから 経済も むつかしいのでしょうかねぇ。

 littlekissさん 元気ですねぇ。恐れ入りました。
 けっきょく このgooとしての共同体を 擬似的にでも つくっていないと まずいということのようですね。そうとう 我慢したんですが。そうして 我慢できなかったのではなく それ以上我慢すると 余計に余分以上に つけ上がらせてしまうと判断したんですが。
 そう言えば littlekissさんとも トラブルのようなことがありました。
 ここいらあたり どないなんやろ?

お礼日時:2008/05/25 21:54

primeapeです。


コミュニケーションの言語化の実験と言うか試行錯誤です。
>思考的な勝利に酔っている
これを共有できればまさに勝利の美酒がお互い様でして偉ぶっていることにはなりません。
その意味では「えっへん」をしっかりと説明しています。
ただし気になることがあって、「日本人とは人間ではないのか」の幾つかの私自身のコメントに幾つか自分自身でも偉ぶっていると思えるコメントがありました。
A5>私は何も考えないで頭を真っ白にする特技があります。
A8>先輩面した言い方で失礼かもしれませんが、かなりいい線を言った理解力です。
A15>最新の欲望はもはや選択肢を奪われた状態で逃げ出します。(このいきさつには立ち会いました)
数え上げればまだまだありそうです。

私自身は笑い話にするのが得意であまり経験がありません。
これがお互いの心の均衡についてなら、むしろ卑屈な態度を期待したのか見透かしたのかはともかく窺い知ったからになりそうです。
この問題について、
>《凍えては火傷しながらも》繰り返しているようです。
のなら、brageloneさんの自己責任と言うか自由裁量としてお任せすることになります。

少し世間の毒を吸ってしまっているのかもしれません。
それから愛の衝動に公平と平等がありまして自然な衝動として仲良くいがみ合ったのかもしれません。
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この回答へのお礼

 primeapeさん お早うございます。ご回答ありがとうございます。

 考えてみれば わたしの経験についても 公共の場に言葉にして示すのは 小説のような虚構であれば まだしもとして そうでなければ とても むつかしい事例のほうが多いようです。

 それと primeapeさんのご説明や述懐について 読み解けたようで なかなか しっかりとは胸におさまっていない――このようなじれったさから どうも先を急ごうとしていたのかも知れません。

 同じく考えてみますと しかるべき事は しかるべき時に しかるべき形で わたしたちに明らかになると たしかに わたしも思います。ですから 急ぐ必要はないし あせる必要などまったくないと考えてよいと思いました。

 それから さらに同じく考えてみますとですが primeapeさんの命題のような叙述は なかなか ついて行くのに骨が折れます。たとえば
 ★ それから愛の衝動に公平と平等がありまして自然な衝動として仲良くいがみ合ったのかもしれません。 
 ☆ ああ なるほどと 一たん 分かるのですが 奥が深いというか ちょっと高すぎます。届かないという感覚があります。一方で わたしは 自由な批評も批判も いいと思っておりますが 他方で 《いと高きところ》において――和解は もちろん いいのですが―― 解釈を合わせると言いますか そういうふうにして 共通の理解を得ようとすると かえって 共通感覚や共同主観が構築されて行かないようにも思うのです。
 あの残念ながら削除された質問のときには きわめて円滑に話が進んでいたように記憶していますが そして いまも 意見や見方の違いがあってこそ いいのだと思っていますが そうなりますと 一つひとつ 具体的な主題や課題にしぼって 話を詰めていくのが よいようですね。漱石なら漱石の問題ですとか。
 《先輩風》は かまいませんよ。進んだところで 声をかけてください。わからないところは 一つひとつ聞いていきますから。

お礼日時:2008/05/19 08:58

primeapeです。


brageloneさんの場合、
>毎度のように えらそうに述べました。
これは少しもえらそうじゃないんです。
むしろ喜んでいるように見えます。
多分、思考的な勝利に酔っているんだと文章からは感じます。

死の問題ですが、信仰心により「許された」実感の無い私には心のありようはせいぜい唯識状態で心理学的な分析をするのみです。(この人形劇が得意なんです)
「心の新陳代謝」が現状で唯一できる説明ですが、迷いの大きい人には判り出すきっかけとしてある程度の実績が有り、応用は利くと思います。
罪の意識には死の許しに聞こえるらしいですが。
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この回答へのお礼

 primeapeさん こんばんは。ご回答ありがとうございます。
 少しづつ進展しているようで 主題は きわめて 抽象的ゆえにでしょうか なかなか 一般論への道筋も そう簡単には行かないようにも見えます。
 わたしが
 ☆☆ えらそぶっているところは 《凍えては火傷しながらも》繰り返しているようです。
 ☆ ということですので 
 ★ 思考的な勝利に酔っている
 ☆ というのは 勘弁してほしいのですが でも
 ★ 文章からは感じます。
 ☆ とのことで そうすると 今度からは 《えへん》とでも添えて書くことにします。

 ★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 死の問題ですが、信仰心により「許された」実感の無い私には心のありようはせいぜい唯識状態で心理学的な分析をするのみです。(この人形劇が得意なんです)
 「心の新陳代謝」が現状で唯一できる説明ですが、迷いの大きい人には判り出すきっかけとしてある程度の実績が有り、応用は利くと思います。
 罪の意識には死の許しに聞こえるらしいですが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 正直に申して 経験事実に対応させては まだ この事態を把握しかねています。
 ★ 「心の新陳代謝」
 ☆ これは 概念として 分かり易いですね。《日々死んでいる》なら《日々生きている》というような印象ですが。
 ★ 罪の意識には死の許しに聞こえるらしいですが。
 ☆ この一文は 何でもないようで 考えてみると えらい物騒な感じにもなりますが。

 総じて申して primeapeさんも 個人的に実地で 実践なさるときと それをあとで説明したりするのとでは 違いがおありなんでしょうね。前者では とうぜん 相手との関係があり 相手の応答が問題なのですから まったく 一般化のことは ただちに必要とはなっていないということだと思います。という意味は 後者の説明の問題 つまり 一般論への理論化 これが いま現在進行形なんだと思います。
 急ぐこともないわけですから 互いに少しづつ まいることにしましょう。

お礼日時:2008/05/18 19:33

primeapeです。


今回は雑談です。
歌手鬼束ちひろの最新アルバム「LAS VEGAS」に含まれる「僕等 バラ色の日々」が、地獄に赴いたメチャンコ悪魔君が役目を終えて夜が明ける瞬間を歌い上げたものです。
鬼束ちひろは神と一体になる神秘体験をしていまして、半無意識的な瞑想状態で歌詞を書き上げます。
その歌詞は心の中の世界を生き生きと描いたものばかりでbrageloneさんなら情景をありありと思い浮かべることも可能でしょう。
私の場合、意識を閉じて夢の世界に返っていく子守唄に丁度良いので布団に付いたとき必ずかけています。

この回答への補足

 僕等 バラ色の日々 鬼束ちひろ作詞作曲
 
 この闇は光だと
 言い聞かせた 
 君が泣くように笑うから 
 
   *   *   *
 ご回答ありがとうございます。
 今回は 辛口批評になります。
 急所を捉えているようで 捉えていない。もしくは まだ捉え方が甘い。もしくは 急所が (1)子供から大人に成るときの通過儀礼の問題か (2)人生の危機(《第一の死》)に際しての対処の仕方か はたまた(3)人格の危機(《第二の死》)に際しての対処の仕方か ごっちゃであり あいまいなように感じます。
 (1)《バラ色の日々》を卒業するという問題。《人は迷子になるという事を / 抱いて / 歩いてゆけるから / どうぞ手を離して》など。
 (2)《何度傷跡が消えても / 繰り返す 繰り返す》という意味での《ああ僕等バラ色の日々》という問題。つまり 大人になっても引き続きかかえ持っている。
 (3)《嘘を付き過ぎて本当になった / この世界で・・・それでも到り着かす風を / 待ち続けてる》という人格(人間存在そのもの)の危機の問題。
 これは (2)の《第一の死――自然本性のまま生きて行くときの自然に迎える死――》 この死が死ぬかどうかの問題です。死が死ねば 生が生きる。死が死ななければ 第二の死に至る。そのときには《風》は 待っても 来ない。
 第二の死から逸れて これを免れた生には もはや《楽園》以上の新しい天と新しい地とが待つとも言われます。その点も 盛り込んでいたなら よかったでしょう。

 ▼ 楽園は遥か向こうで / こんなに何も答えないまま / それを受け入れて置き去りにされた / この想いは・・・
 ☆ このように むしろ 多義性を宿した(つまり ぶっちゃければ曖昧ということですが)表現であることによって 文章が救われているかも知れません。

 毎度のように えらそうに述べました。率直な感想ですが えらそぶっているところは 《凍えては火傷しながらも》繰り返しているようです。primeapeさんも そのくらいは なさるでしょう?

補足日時:2008/05/17 16:04
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primeapeです。


A17の補足についてです。
死の問題は私も悩みました。
雑念が入るんです。
私はこの問題を解決するために「心の新陳代謝」と言う言葉を編み出しました。

たとえば何かを忘れる、感情を切り替える、などの心が動くたび(脳)心の中では自己の同一性を保って置き去りにされないために、感情の小さな死が日常的におきます。この小さな死は、蘇生を意味しまして無意識が永遠の存在にたどり着くまでは欠かせないものです。

以上の解釈を咀嚼すれば「死」が何重もの意味のある状態を説明出来るかもしれません。
既に死んでいる者とは、無意識内において、心の光を見失った者です。
無意識とはお月さんと同じで自らは光り輝きません。
無意識は、魂の本質の照り返しのみで輝きます。

それからメチャンコ悪魔君のコメントです。
助ける自信があるから無間地獄に赴くのだ。
ドブさらいにすぎねーぜ。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 ★ それからメチャンコ悪魔君のコメントです。 / 助ける自信があるから無間地獄に赴くのだ。 / ドブさらいにすぎねーぜ。
 ☆ なるほど。これは わたしの言葉で デーモンです。つまり いわゆる世間との接点としてのひっかかりのようなデーモンです。
 これを こちらから あたかも望んで持って 人との それこそ 交通をはかるというのでしょうか。また 支え合い・仕え合いとしてのコミュニケーションにおいて そのきっかけになっているようです。つまり 大きくは 《以心伝心》の内実にもかかわっていると思われます。

 死の問題は もっと 抵抗があると思っていたのですが・・・。
 ★ 感情の小さな死が日常的におきます。この小さな死は、蘇生を意味しまして無意識が永遠の存在にたどり着くまでは欠かせないものです。
 ▼ 日々死んでいる
 ☆ のなら 日々 生きている。
 ですが もう少し何か 抵抗があって ことばを選び表現を 実際に合った確かなものにしていきたいように感じています。《務め》に入る人の問題にもなります。そういう共同体形成なる動きの問題として・・・。

お礼日時:2008/05/16 23:18

primeapeです。


>primeapeさん ここまで来たなら できるだけ具体的に(と言っても 小説の中の事例でもいいわけですが) 例示して述べていくと 一般的に(つまり 一般的なコミュニケーションとして)確かな足取りになると思われます。

試行錯誤しましたがやはり難しい。
どうしたもならA16のようにまたしても罠を仕掛けることになります
古い回答ですが、
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3214794.html
こちらのA7をご覧下さい。
無責任ですが自分で行ったこの回答を私自身もはや信じていません。
どうせコメントするならもっと明白な薬功が有るコメントをしたいのでたたき台になるかご意見をお聞かせ下さい。
それから悪とはファンタジー、この見解に一般の方から少しでも良いからコメントを頂ければ、説明するきっかけが作れるかもしれません。

この回答への補足

 primeapeさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
 primeapeさん なかなか むつかしいです。むしろANo.3の次の箇所に わたしは反応しました。
 ★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 悪事イコール罪と捉えるならば、人間は煩悩と言う地獄の業火に罪もなく焼かれているだけで、どのような行いも魂の次元では実際には無罪です。
 要するに悪魔の仕業です。
 これは将来的に人類が救われることを想定した仏教の結論です。

 原罪の濡れ衣に苦しめられる西洋思想はかなり違います。
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 ☆ たぶん《原罪》の取り扱いで 変化がお有りだと思うのですが そしてまた 仏教と一概に言って扱うのも わたしには やや抵抗がありますが(ただし その志向性の点では そのまま受容いたしますが)
 ★ どのような行いも魂の次元では実際には無罪です。
 ☆ これに着目しました。これも 実際には 《魂の次元》とは何ぞやということになると思われますが 要するに
 【命題Ω】 人は もともと無条件に 救われている。
 ☆ という命題をわたしも 掲げたいと思っております。《無条件に》というのは もはや世界は 《救い》とか《救われる》とかと言う必要のないというそのありさまのことです。

 このあと 話がつながりました。ANo.7では
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 死後の世界の霊視は不完全ですが、地獄すらも悪魔の責め苦から逃れた人間が自ら望んで赴くみそぎの場のようです。
 これが伝承上の閻魔様の裁判の実情で、閻魔様の怒った姿とは悪魔が生前に見続けていたあなた自身の姿の反映です。
 地獄行きをおびえる心は煩悩ゆえで死後はあらゆる運命に納得して地獄行きすらも感謝できます。
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 ☆ つまり 上の命題Ωをさらに説明したものです。死後(来世)あるいは誕生以前(前世)というのは 比喩だという前提をおいても いいのだと考えます。
 ☆ その上でですが――まったく大前提が出されたその上でですが―― 例外をわたしは 思っております。この大前提Ωには 例外などいっさいないのですが その上で この救いから去って行く人びともいるのではないか こういう事情を思い浮かべています。
 一般に 死は 生まれて来た者が その体の朽ちるとともに 一度迎えるものです。その意味では すでに死んでいます。先取りして言えば すでに死んでいます。そうして 人は 意志の問題としても――早い話としては 自己の真実に逆らうという《うそ》をつくことによって 死の状態を作り出しているとも言えるとするなら そのように《意志行為》の問題としても―― 死があります。
 つまり 人は 体も心も 先取りして言えば すでに死んでいます。けれども この死が 死ぬというのが わたしの信仰のドグマです。つまり 上の《救い》の命題Ωです。パウロは自分が《日々 死んでいます》とも語っているようです。この死が 死なしめられる。つまり わたしたちは 生命から生命へと至らしめられ 生きます。
 この大前提の上にあって ところが この死が死ななくなるという人が 中には いるということを わたしは 思っています。根拠はありません。わづかに そういう人は みづから望んで願って どうしても そういう《死が死なない》という言わば第二の死に行きたいというのだと思います。わたしたちが どうすることも出来ないのだと考えます。
 というところが とりあえずのわたしの反応です。
 これは 大いに突っ込まれると思っておりますので 遠慮なさらずに ほかのみなさんも 自由な批判を寄せてください。

 この議論は その結論がどう転ぼうとも 共同体の話にとって基礎となると思いますが いかがでしょうか。

補足日時:2008/05/16 20:22
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primeapeです。


A13から始まる一連の補足は悪魔と和解した者のみが知る心境です。
brageloneとの内輪ネタになりますが、私の和解した悪魔はかつて明白に霊視してもらったことがあります。
技術的には私の悪魔は「インナーチャイルド」状態です。(検索してみてください)
哲学的にはソクラテスの聞いた鬼神の声と同じ状態です。
この悪魔は破天荒でとことんやりぬく性格なのでメチャンコ悪魔君(実際には女性的性格)との愛称で呼んでいます。

ちなみにこの回答はより明白に認識するための準備体操です。
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この回答へのお礼

 primeapeさん ご回答をありがとうございます。(言いたくない回答に遭って しばらく 控えていました)。

 《「インナーチャイルド」》 とは ごく普通の人生経験の問題のようですね。
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 私達の潜在意識はどのようにできているか、子供時代から経験した事、忘れてしまっている事や思い出したくない部分も全部入ります。
 回りから教えられた事、言葉でもなんでも繰り返し聞かされたことも入ります。
 それら全ての要素が潜在意識の自分を作っています。その中に様々な恐怖心や希望がゴッチャになっています。
http://www8.big.or.jp/~aiba/innerc.htm
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 いわゆるダイモン(デーモン)として その人ごとに 恰も憑いているような課題といったことは あるようですね。
 《内輪ネタ》の外化=表現=説明が望まれますね。

お礼日時:2008/05/16 09:30

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