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No.5
- 回答日時:
昔々アルゼンチンが先進国だったという話は、私も聞いたことがある。
日本が初めて地下鉄を敷設した時、アルゼンチンにも見学に行ったという。日本よりも先に地下鉄が通っていたのである(らしい)。> 作物売るのと、工業製品売るのじゃ、売れる値段が違いすぎるよね。
> いくら大量とはいえ、作物ばかり売っているのに、どうして欧米の工業国に匹敵する経済大国になれるの。
> それを説明してよ。
それは現代のニュージーランドなどにも当てはまる話のようだ。
ご存じと思うが、ニュージーランドは一人当たりGDP(日本とほぼ同じ、または日本より少し高い)などから先進国と言われている。ただし、工業はあまり盛んではない。例えば自動車メーカーがなくなってしまい、すべて輸入車らしい。農業が盛んで、食肉や乳製品などを大いに輸出しているものの、それでニュージーランド人は車や機械類の輸入代金を払えるのか……と私も思った。
そこで調べたのだが、工業が盛んではないと言っても食品加工業などはあり、肉やミルクを生でそのまま輸出するよりも、加工して輸出するそうだ。その付加価値が高くて、儲けているという。
そのように農業・食品加工業で儲けたお金を、自国の第三次産業(サービス業など)に投資する傾向があるという。ニュージーランドは意外と第三次産業が発達している。そういう投資を受けて豊富なお金が流れ込んでくるので、サービス業の従業員もけっこう良い給料をもらっているそうだ。
ということで、消費意欲も旺盛になる。そうして国内で活発にお金が回って、失業率は低く、ニュージーランド人はけっこうお金を持っていて、輸入車や家電もどんどん買っちゃうらしい。生活水準は高いという。
貿易収支はやや赤字だとしても、ニュージーランドは石油の輸入国だから、その分が赤字になってるという感じで、それを外して考えれば、農業産品(加工品を含む)の輸出で工業製品の輸入を十分まかなえている。
さて、昔のアルゼンチンに関するご質問なのに、現代のニュージーランドの解説をしてんじゃねえよっという話ですが、要するにご質問者は第一次産業、第二次産業ばかりに注目して、第三次産業のことを軽視しているのではないでしょうか。昔のアルゼンチンの繁栄も、金融などの第三次産業に妙味があったようです。第三次産業は、うまくいくと付加価値が高いのです。第一次産業で儲けて、第三次産業もうまく行くと、第二次産業が今一つでも生活水準は高くなり得るでしょう。
No.4
- 回答日時:
1971年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者・統計学者「サイモン・グズネッツ ー」の有名な言葉に「世界には4つの国しかない。
先進国と途上国、そして、日本とアルゼンチンである。」というものです。 その意味は、日本は世界で唯一途上国から先進国になった国、アルゼンチンは世界で唯一先進国から途上国になった国であるということです。1900年初頭、アルゼンチンは黄金期を迎えていました。 世界を制するのはアメリカかアルゼンチンか。 そう言われるほどの国力を誇っていたのです。 実際、その当時の国民1人あたりのGDPは、およそ2750ドル。 同じ時期の日本は1130ドルでしたから、
日本の2倍以上の経済力があったことになります。 アルゼンチンがここまで豊かになったのはイギリスを始めとするヨーロッパからの莫大な資本流入が理由です。 19世紀末までにインディオ文化をほぼ消滅に追いやったアルゼンチンの官僚たちは、アルゼンチンを第二のヨーロッパに作り変えようとしました。 この時期に、様々な分野でアルゼンチンの西欧化がそれまで以上に急速に進みました。 移民法や土地法といった移民に便宜を与える諸法律が効果を発揮し、1880年から1929年にかけて、イギリス資本とヨーロッパ人移民が流入しました。 巨額の借款はイギリスのベアリングス銀行が中心となって引受け、フランスのパリバやドイツ銀行も単独で資本参入しました。 国内の未開のパンパが開発され、また冷凍船の導入により、ヨーロッパやアメリカ大陸諸国との牛肉や小麦などの畜産物や穀物の貿易が盛んに行われるようになると、アルゼンチンの経済は著しく成長したのです。 1900年にアルゼンチンの外国投資の内約81%がイギリス資本であり、この時期にイギリスの対ラテンアメリカ投資の約38%がアルゼンチンに振り向けられました。 このイギリス資本により全土に鉄道が建設され、1910年には線路の総延長は27,794kmに達しました。このような外国資本と移民による経済の拡大が、アルゼンチンに繁栄をもたらしたのです。 その後紆余曲折もありましたが、1946年の大統領選挙で、ペロンが勝利して大統領に就任した時にも、大戦中に蓄えられたアルゼンチンの外貨保有高は世界一ででした。 この莫大な外貨を梃子にして工業化と福祉政策が進められることになりますが、工業偏重政策のために農牧業の生産も落ちてしまい、更には労働組合問題も重なり、アルゼンチンの産業の自主的な民族的発展は停止してしまい、また、外貨も1949年には使い果たしてしまいました。 ペロンの残した社会、経済制度の不備もあって、南米最富裕国だったアルゼンチンは、1960年代頃から徐々にアジアの新興国だった日本や大韓民国、台湾などのNIES諸国、そしてブラジル、チリといったラテンアメリカ内での競争相手に追い抜かれることになったのです。
この回答へのお礼
お礼日時:2020/07/23 13:39
知ってる。言わなくていい。
けどさ、、、
作物売るのと、工業製品売るのじゃ、売れる値段が違いすぎるよね。
いくら大量とはいえ、作物ばかり売っているのに、どうして欧米の工業国に匹敵する経済大国になれるの。
それを説明してよ。
No.3
- 回答日時:
競争力のある産業としての工業が発達しなくても、外国資本・外国技術や輸入できる製品・部品・原材料があれば工業化は可能です。
アルゼンチンは輸出競争力のある工業は、欧米列強と比べて発達しなかったが経済的には工業化が進んでいたのです。産業革命後は、機械と争う手工業は淘汰されたが農業自体が淘汰された訳じゃないんです。逆に工業化によって農業の生産性が向上しました。また第一次世界大戦・第二次世界大戦に巻き込まれなかったのも大きな要因。戦前はアジア・アフリカの独立国が少ない。南米諸国は政情不安でごたごたしている国は多いが、国と国との戦争が殆どないのです。普通にやってりゃそりゃ経済大国になって当たり前でしょう。No.2
- 回答日時:
アルゼンチンは30~40年前あたりにブラジルに抜かれるまでず~っと南米の一等国でした。
冷凍船ができてからアルゼンチンの牛肉をヨーロッパに送れるようになり、儲けまくりました。アルゼンチンという国は行けばわかりますが、温暖な気候で真っ平で肥沃なパンパスが無限に広がっています。人種は白人でスペインとイタリア系が多いです。
スペインとイタリア系は遊ぶのが大好きで、働きません。そして意見を主張します。スペインのことわざに「もし政府というものがあれば私は反対だ」というのがあります。それぞれが意見を勝手に主張し、まとまりません。
国としてまとまっていなければいくら広大なパンパスがあろうとだめです。白人ばかりで美人の国ですが、生活を楽しむばかりで努力がありません。そしてプライドの高いこと、高いこと。まじめに働く労働者をバカにしています。隣国のブラジルをバカにしています。ブラジルはアルゼンチンに比べるとそれほどプライドは高くなく、南部の温帯地域のひとたちは努力もします。
将来はもっと差がつくことでしょう。いつアルゼンチン人は馬鹿さ加減に気が付くのでしょう? 首都ブエノスアイレスは古いヨーロッパの情緒がありますが、プライドが高いです。なんと言うか、ダメな国ですね~
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