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【義務教育の部活動の矛盾】学校生活で協調性を養わせると言っているのに部活動も協調性を学ぶためなら、学校の体育の授業は不要だし、体育の授業をするなら部活動は不要だし、そもそも学校教育で協調性を養えないから部活動を導入しているのなら学校教育の在り方自体が問題だし、一体何のために部活動をするのか分かりません。教職員、教育委員会は戦後から何も考えずに部活動を慣習でやり続けているのなら教育者として無能だし、共働き時代にPTA制度もおかしいし、日本の学校教育者は無能が多い気がします。無能者、何も考えない教育者から何を学べと言うのでしょう?教科書、本に書いていることを学ぶだけなら本屋に行けば良いし、学校に行く理由も部活動をする意味も今では分かりません。学校って必要なんでしょうか?何も考えずに時代錯誤している戦後から1つも進歩していない学校教育に価値が見い出せません。部活動ってなんのためにやってるのですか?

協調性は遊びをしていても嫌でも学ぶし、学校の必要性がいまいち分かりません。自分で字が読めたら学校に行く必要はないと思います。

A 回答 (6件)

そう思うなら行かなければ良いよ、誰も無理してそんな屁理屈語らなくても、不登校を許してくれますよ。

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この回答へのお礼

みんなありがとう

お礼日時:2020/08/04 23:26

部活と体育の授業は別物です。


まず義務ではなく任意なので。
それと部活は囲碁将棋、新聞部などもありますし
個人の能力を伸ばすために必要です。
海外ではこういったクラブは有料で個人がやってるものしかなく
それからいうと日本は恵まれています。
それから言ってもなくしてはダメです。
あなたは不要派。
私は必要派です。
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【義務教育の部活動の矛盾】学校生活で協調性を養わせると言っているのに


部活動も協調性を学ぶためなら、学校の体育の授業は不要だし、
体育の授業をするなら部活動は不要だし、
  ↑
体育の授業だけでは不十分なので
部活を奨励するのです。




そもそも学校教育で協調性を養えないから部活動を導入しているのなら
学校教育の在り方自体が問題だし、一体何のために部活動をするのか分かりません。
 ↑
授業と部活で、子供の社会化を推進する、というのが
学校教育の在り方です。




協調性は遊びをしていても嫌でも学ぶし、学校の必要性がいまいち分かりません。
 ↑
遊びだけでは不十分なので学校が
あるのです。



自分で字が読めたら学校に行く必要はないと思います。
 ↑
学校の目的は、子供の社会化です。
社会に出てやっていけるようにするための
準備機関が学校です。

母から産まれて母との間の人間関係を学び、
それが父や兄弟姉妹に広がり、
学校で級友との関係でノウハウを学び、
部活で上下関係のノウハウと自主性を学び
・・・・
そうやって社会化の準備をしても、尚、社会で
上手くやるのは難しいのです。
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周囲の子供にどのくらいの力があり、


自分はその中でマシなのか? 不味いのか? 知って置くことは大事でしょう。

数値だけで知ろうとしても情報が足りません。
相手のビジュアル、言動、興味、そういった個性に対して、実力がどう関係しているのか?
外見と中味(成績などの実力順位)の関係を知るのが大事です。

外見で馬鹿にしていたら、成績で負けたなどという事もあるでしょう?
このときは、これまでとは違う見え方をするはずです。

「こいつ、手ごわい。」

逆に外見だけで中味が空っぽと言う人もいるはずです。

「うーん、凄いやつかと思ったけど、チャラいだけか。」

学校では色んな事を思うはずです。そういう経験はとても大事なんですよ。
また、こういう気づきを得ている人と、そうでない人には大きな差が出来ます。
酷い場合は、適応障害と言う病気になります。

所見で他人を侮って後で恥をかいたり、これがトラウマになり苦手意識が克服できないとか、
逃げ癖が付いてしまい、転職を繰り返し、元の職場を攻撃し続けるとか、
自分の耐性が低いと受け入れる強さすら無いとか・・・情けない素養ばかりの残念な人になります。
こうなってしまえば、取り返しがつきませんよ。

他の人にとっては、関わるだけ面倒ですよね?
どんどん優秀な若い世代が追い上げてきますから。
誰にも興味を持たれなくなり、ひっそりと消えることになるでしょう。

消えると言っても死ぬわけではないんですから、残りの寿命を消化試合みたいにこなすわけです。
そんな人生に行きついたらいけません。
こういう方々については「協調性が足りない」と大人は表現します。
協調性は仲良しごっこの事じゃないですよ。
耐性の事です。

ご存じだと思いますが、社会の実情は競争と淘汰です。

実力に大きな開きがあれば、淘汰がはじまります。
全体に実力が低ければ、競争がはじまります。
全体に実力が高ければ、協調となります。

この低い高いはどう判断するのかと言うと、
欲している人に対して、与えられるものが多いか少ないかで判断します。

例えば、食べ物を例にとります。
食べ物が少なくて、飢えている人が多い場合、全体に実力が低いとなり競争が始まります。

この様に自分だけではなく、周囲の力と物品の供給量が関係します。
自分だけを見つめていると弱くなるという事です。
ライバルの情報がどうしても必要であり、サンプルは多いほど良いという事ですよ。

私たちの先輩方は皆経験者なんですから。
各世代の負け組が他の世代を攻撃することを知っています。

「ああ、こいつらの世代の負け組か。
 俺たちにもいたなあ。いつの時代も変わらないのか。」

恐らくは上手くいってなくて、助けてほしいというサインを無意識に出すんでしょうね。
そういう時に攻撃してしまう人は如何なものでしょうか?

「ぶ。おいおい、なんで攻撃するんだ。どう考えても助けを求めに行ったんだろ・・・。
 まあ、医者と喧嘩して治療を受けずに帰ってくる人もいるそうだから。
 そういうところが他の人と違う。・・・まあ、だから負けるんだよな。
 ああ、・・・だから俺は安全なんだ?
 じゃあ、余計なことは言うまい。」

となりませんか?
辛い時は、下手に出てお願いをするものでしょう?

しかし、大人になってもできない人が多いんですよ。
そういう事態を見れば、学校で協調性を学んでほしいと思うのは仕方ないです。
せめて部活動などをして、ある程度耐性をつけておけば、違ってきたのではないかと残念に思う事があります。
大人達からのこうした要望を受けて、学校側が協調性を養うとアピールしているだけでしょう。

ご質問自体が、協調性が足りないために生じていることは、大人の誰もが分かるんです。
愚痴を言ってもいいです。
まずは、踏ん張ることです。
踏ん張れる人は、愚痴を述べても、協調性が高いといわれます。

「あれは、自分を持たせるための彼のやり方だ。邪魔してはいけない。
 結局なんだかんだ言いながら、奴は最後まで残る。」

このように信頼されることが大事です。
頑張りましょう。

以上、ご参考になれば。
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部活動は、課外活動であるはずなので、義務教育の範疇ではないはず。


だから、部活動は自由なはず。
部活動を強制しているとすれば、何等かの法律に抵触していると思えます。
ただし、だからと言って部活動に意味がないわけではありません。
体育の授業は同年代で行いますが、部活動は上下関係があります。
それに、部活動は運動系とは限りませんので、体育の授業と交換できるものでもありません。
戦後から一貫して部活動が同様に位置づけられているわけでもありません。
部活動は完全に自由でした。内申をよくしたいから部活動をする、という風潮になり、さらに一部で強制化されました。
日教組が弱体化し、教員は国の方針に完全に従順になりました。だから、学校から自由がなくなり、しわ寄せとして、引きこもり問題等に発展しました。
自民党が政権にいる限り、この流れは変わらないでしょう。
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体育は好きで揃った者でない中での一定の距離感の中で学ぶ。

部活動は自発的に選んだ仲間の中で学ぶ。アプローチが違うから学ぶ事は違うし感動も違う。
仕事が一人で新人からできるなら君の意見は有効だが、会社に就職するってのは、体育で学んだ力が必要で、部署は部活のそれに近くなる。
間違いなく俺は君と組んで仕事しても、クレームを上に伝えて飛ばすか退職してもらうように自分の仕事を守るだろう。
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