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キリスト・イエスは 要するに 人間のチカラで戦わなかったのだと
考えられます。
 
だから 十字架上に去って行ったあと 人びとの心に復活した。





話の都合じょう悪魔という言葉を出せば 悪魔は その十字架じょう
の死の淵までは よう ついて来なかった。
 
それまでは イエスと同じ足取りで同じ軌跡をたどっていた。
 
イエスが何をするか その行動を追跡していた。
 
ハリツケの寸前にまで影のごとく寄り添って来ていた。


 


ところが 死の淵にまでは そのみづからの能力によってついて行く
ことが出来なかった。


 

それでこそ悪魔であった。
 
すでに死んでおり あらゆるものを否定し死にみちびく親分である悪
魔も 自分がふたたび死ぬことは 出来ない相談であった。

もしそうすれば 即座に一たんよみがえって ふつうのまともな存在
となる。と思ったとたん 中から炉心溶融を起こして溶けて行ってし
まうとちゃんと知っていた。

ゆえに イエスの死の淵にまではもう よう来なかった。



去って行ったイエスに度肝を抜かれた。

あらゆるものを否定し死にみちびく仕事に耐えられなくなった。

よって それまでに罪を犯した者どもを自分の胃袋の中に抱え込んで
いたのが すべて吐き出さざるを得なくなった。
 
文字通り アクマは 腑抜けになったのである。



☆ お考えをどうぞ。


ただし イエスは その振る舞いを自分勝手にやったのだ。しかも
自分は神の子であるという大嘘をついた。人びとは なんら恩に着
る必要はない。

質問者からの補足コメント

  • だけれども ご自分の中に潜むファシストの片向きは いかん
    ともし難い ですか?


    哲学としては 問題外のアウトオブクエスチョン。


    対話続行不能。

    No.17の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/16 04:36

A 回答 (52件中41~50件)

ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ(Tiberius Iulius Abdes Pantera, 紀元前22年頃 - 紀元後40年)は、弓兵第一コホルスに属したローマの兵士である。


2世紀の哲学者ケルススが主張する、イエスの母マリアとのあいだで不義を行い、イエスを産ませたとされるローマの兵士パンテラ(Panthera)を、彼に比定する見解がある

http://sanhouten.com/jew-jesus/
より。

ともあれ、ネットにヨセフ養父説が飛び交う。ザカリヤ以外の異説として紹介。
まあ、マリアも人の子。
聖母説は祭り上げでしょうね。
佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」
あるいは

北原謙二「君は幸せかい」
の花嫁御料がマリアで嫁ぐ先は政略結婚ならぬ神略結婚でヨセフがその嫁ぐ先。

ここで出てくる影の恋人がパンテラか。という例えもあり。


なお、オチイルは落ち入るではなく、陥ると当てるべきです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ なお、オチイルは落ち入るではなく、陥ると当てるべき
です。
☆ その心は?


       *


マリアが身籠ったのは 聖霊によるものとそして人間として
は ヨセフを当てますが だれでもよろしい。

ヨセフの血筋には 義父ユダと交わったタマルがいて その
双子の子らが ダビデの先祖。

同じく ラハブがいる。ユダヤにとってよそ者であるエリコ
の一娼婦であり ユダヤの斥候たちをかくまったので 味方
となった。その四代あとの子孫が ダビデである。


ラハブの子ボアズは エドム人つまりよそ者であるルツによ
って ダビデの祖先をもうけた。


インセスト・娼婦・異邦人の――女性の――血が混じって
イエスが生まれている。


マリアの相手は 誰でもよろしい。自由・平等。

お礼日時:2020/08/15 09:53

悪魔についての解釈は旧約(ヨブ記)と新約ではイメージが異なると思われないでしょうか?



ヨブ記に出てくる悪魔はヨブの信仰心を試すために神と親密に語っていて、忠実な僕というイメージがします。

もしかしたら神の右の座がイエス・キリストで(これはそういう記述がある)、左の座が悪魔かな?(これはそういう記述がなく、たぶん違うと思われます)と個人的に思ったことがあります。

一方、新約の福音書の冒頭に出てくる悪魔もイエスを誘惑し、試すための使者的です。

ですが、黙示録になると、歳を取った蛇(竜)はミカエルと天で戦い敗れて地に落ちて猛威を振るいます。
この竜は本当に悪魔らしい悪魔で神を冒涜し、神の使者といったイメージはありません。

あと、イザヤ書に若干ルシファーの記述がありますが、私には抽象的かつ難解であまりよく理解できていません。

これが私の個人的なイメージ・解釈です。
興味深く気になったので久しぶりに書き込ませて頂きました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 悪魔についての解釈は旧約(ヨブ記)と新約ではイメージ
が異なると思われないでしょうか?
☆ ううーん。じつは この試論は 本格的な理論になるかど
うかは――当然でしょうが―― 未知数です。

ただ あり得る仮説の一つとしてそれなりの中身を有している
かとは 自負しています。


さて ご見解を拝聴します。

★ ヨブ記に出てくる悪魔はヨブの信仰心を試すために神と親
密に語っていて、忠実な僕というイメージがします。
☆ ええ。その通りに思います。ヨブ〔の信仰〕をためすため
にするいたづら(悪事)について サタンは 神に許可を得た
いと願い出ています。


★ もしかしたら神の右の座がイエス・キリストで(これはそ
ういう記述がある)、左の座が悪魔かな?(これはそういう記
述がなく、たぶん違うと思われます)と個人的に思ったことが
あります。
☆ そうですね。この段階では保留します。

(基本として 悪魔は 人に対してその人の心の面向きに合わ
せて――負の向きに・あるいは死にもかかわって――はたらく
おもに心理的なチカラではないかと)。


★ 一方、新約の福音書の冒頭に出てくる悪魔もイエスを誘惑
し、試すための使者的です。
☆ はい。


★ ですが、黙示録になると、
☆ あぁ 黙示録ですか。じつはこれは お手上げですが。

★ 歳を取った蛇(竜)はミカエルと天で戦い敗れて地に落ち
て猛威を振るいます。この竜は本当に悪魔らしい悪魔で神を冒
涜し、神の使者といったイメージはありません。
☆ これなんですよね。もし暴論でよければ 黙示録は 文学
であり 哲学としての規定になじまないところがあると思って
います。

★ あと、イザヤ書に若干ルシファーの記述がありますが、私
には抽象的かつ難解であまりよく理解できていません。
☆ よきりっぱな天使が 堕落したという物語が それとして
――やはり文学ですが―― 人気があるかもと思います。


★ これが私の個人的なイメージ・解釈です。
興味深く気になったので久しぶりに書き込ませて頂きました。
☆ いろんな角度から切り込んでいく必要があるかとは思いま
す。――と ここまでですかねぇ コメントできるのは。

あと 原罪をあがなう・または悪魔から人びとを自由にすると
いった主題では どうですかね。

お礼日時:2020/08/15 05:52

コメントはありません。



ではこの道を支持ということで、今後もこの道続行。

違うかな。好きにしてください。
開いた口ふさがらずの方かな。

まああまりに唐突過ぎて反論しようにもうまい理論見つからずかな。

でも現実的に見えませんか。
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この回答へのお礼

その論点では 悪無限に落ち入るって言ってます。

お礼日時:2020/08/14 23:55

いいえ、復活とはイエスが不死身である印象付けたということでしょう。



だから尊いということで、サウロは初めキリスト教を弾圧、迫害。
でも実はイエスは生きていた。
死んでなかった。
イエスが不死身と悟ったことで、イエスは何と偉大な人か、これこそ、まさに聖人と呼ぶにふさわしいとサウロは悟らせ、かくして心を入れ替え、迫害者から教えを導く使途へと
一大転換を成し遂げたわけです。

イエスはこののち、トマスなどの御伴を連れて、ヨーロッパ・ギリシャ・インド・日本・アメリカと
世界各地に信教・革命ゲバリスタとして旅に出たという伝説があります。

まあ、どこまで本当かはわかりませんが、でもユダヤで死ななかったことは史実と思っています。

十字架にかかったイエスと、復活したイエスが実は別人だったとすれば、この奇跡も科学的につじつまが合うでしょう。

イエスが布教の際に、信者の前で見せた多くの奇跡も大部分は科学知識のない信者を煙に巻いた手品だったと思います。だって今でも手品というのは種が分からぬ人にとっては奇跡でしかないでしょう。

引田天功とかね。あれと同じではないでしょうか。

モーゼもみな手品・奇術師でしょう。

私は物理学科出身なもので、どうしてもこういう解釈をします。

でもこういう考え方のほうがずっと合理的科学的と思っています。

まあ、義経ジンギスカン伝説などのいわゆる英雄不死伝説の類型かもしれませんが。

面白いでしょう。

でもブラッジェリーノさんも、日本史でああいう史論を展開なさるということは
紀元2600年(神武即位元年=BC660年)は信じていない気がする。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2020/08/14 22:53

イエスにはそっくりの影武者あり。


イスカリオデのユダは影武者を捕縛させてイエスを逃がし、影武者はイエスの身代わりを務め、十字架で処刑される。
3日後にイエスは墓から影武者の遺体を掘り出して、隠し、すり替わって我は復活したと称して、弟子たちの前に現れ、復活という一大奇跡の芝居を演じた。

その後、オリーブ山で弟子たちと別れ、サウロの許に現れ、イエスとして生きていたことをつげ、改心させてパウロとして教えを導く使徒とされた。

こうすれば、すべてのつじつまが合う。イエスといえども人間。

人は殺されれば復活はありえない。でも影武者がいれば、説明がつく。

イエスはパウロや弟子たちに布教を任せ、国外に脱出。ヨーロッパ・アジアを遍歴。
印度などに行ったという伝説あり。まあ、これは問題の主旨外なので、ここでは話題にせず。

でもこのようにイエスに影武者がいたとすれば、十字架の磔死と復活という奇跡も説明がつくということである。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

ですが 悪無限に落ち入る議論です。結着のつくことのないやり
取りに終わります。

否定も肯定も どちらも証拠はないからです。

サウロの前に 何も生身のイエスが現われるいわれはありません。

まぼろしであって 何の問題もありません。

復活とは まづ 霊性の問題です。

そして確かに聖書は 身〔と心〕なる自然本性(ふつうの人たる
存在)における復活を語っています。

ですが これについては 同じく終わりのないやり取りになるし
かありません。

それに 《影武者》ならば ほんとうの復活でも何でもない話で
す。

お礼日時:2020/08/14 22:14

イエスの母はマリア。

聖書ではイエスは神の子でヨセフと結ばれていないのに懐妊とある。

ということはヨセフはイエスの養父。

おそらく、マリアにはヨセフのほかに正体不明の元彼がいて、元彼との間にイエスを宿した。しかし、アダムの子孫たるヨセフの系列として育つことで、いわゆる政略結婚ならぬ
神略結婚という形でイエスを神の子という大義名分を成し遂げた。

マタイの福音書にあるアダム~ヨセフに至る系図とルカの福音書にあるアダム~ヨセフに至る系図が相違するのは、ルカの福音書にあるのは実はアダム~マリアに至る系図という説がある。

問題はイエスの実父が誰かということである。これについてはザカリヤという説あり。

すなわちザカリヤはエリザベツと結ばれてヨハネを産み、マリアと結ばれてイエスを産む。
イエスはマリアの後彼のヨセフの許で養育された。すなわちヨハネとイエスは異母兄弟ということになる。

こういう説なら、処女懐胎などあり得ぬことがきちんと説明できる。
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この回答へのお礼

そうですね。


イエスの父はだれかという問題は 結着がつくとは思えません。

わたしとしては:
① 人間イエスが 神の子キリストであるという神学にもとづ
き 人間の性交による誕生と聖霊によって身籠ったという誕生
との二重性を採ります。

② 父が誰かは 《処女懐胎(つまり 誰とも交わらない前)》
と書いてあるからには 聖書記者は 明らかにするつもりはな
い。となります。

③ よって かんたんに・単純に・ふつうに・自然に 許嫁の
ヨセフとのあいだに性交があったと見るものです。

④ 前項の説は 根拠が ほかのいづれの説とも同じく あり
ません。

⑤ 引きずろうとも思わない論点だと思います。



こんなふうに考えます。

お礼日時:2020/08/14 16:26

#6



イエスとマリアの関係の話は結局、言い伝えなので、妥協点は出ますが、互いがどう思っているのかは、個人の自由なので、モー、辞めましょう。

神性を重んじるのか、人性を重んじるのか、では解釈が大きく割れてしまいます。
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この回答へのお礼

両方を重んじます。

質は 神性が絶対性であり 人性は 相対的・経験的・有限です。

お礼日時:2020/08/14 10:16

#3



親子関係といっても、聖母と神の御子との母子関係ですが。
「イエスとアクマ」の回答画像6
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この回答へのお礼

マリアは 許嫁のヨセフとの性交に際して その人間の
行為によって生まれたと同時に 聖霊によっても身籠っ
た。ということです。

人間ィエホシュアが 神の子キリストとしても 生まれ
た。


それだけのことです。人間マリアは かなしみますよ。

お礼日時:2020/08/14 10:09

#2



そのユダヤ人がイエス殺しの犯人だとされたことが、後々の鉤十字(ナチス)のホロコーストにも繋がってゆくとされています。

ニーチェの妹のエリザベドがニーチェ死後、ニーチェ思想を広めたのですが、ニーチェ思想がナチのプロパガンダにされたのも、有名な話です。
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この回答へのお礼

イエスという男としては はりつけに遇うのをかなしんだ。

ところが キリストという神の子としては――あるいはつ
まり 神としては―― のぞんで・しかもサンヘドリンの
面々を初めとしてユダヤのくにびとらが そのように欲し
てその刑につくかたちを 計画した。

つまり この――アクマから人びとが自由になるためにと
仕組んだ――はかりごとは イエス・キリストが自分勝手
にやったのだということが 大事です。


人びとの信教・良心の自由をまもったということです。



ショーアもニーチェのばかも その意味では どうでもよ
いことになります。

神には千年が一日ですから 二日のあいだにいろいろあり
ましたでしょうか。


あるいは後遺症というものを 三度の飯より好む手合いも
いるかも知れません。

そろそろドタバタ劇は 幕となりましょうか どうでしょ
うか。

お礼日時:2020/08/14 06:12

お好きなように 解釈して下さい。


あなたのご勝手ですよ。
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この回答へのお礼

少しは かんがえてみて。


自分の見解をのべても バチは当たらない。

お礼日時:2020/08/14 05:40

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