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ピラミッドはどのようにして作られたのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • ピラミッドはエジプト古王国時代に盛んに作れたものだと聞いていますが、中王国や新王国時代にはなぜファラオ達は建立を辞めてしまったのでしょうか?

      補足日時:2020/09/09 23:43
gooドクター

A 回答 (4件)

> ピラミッドはどのようにして作られたのでしょうか?



王権が強大になったときに、その強大さを示す方法として、祭り・イベント・軍の行進・王宮だけでではなく、
「土木建築などで壮大なものをつくる」という選択もあります。 城壁という選択肢もあったでしょうが、高さや偉容ということや「王」という個人的威圧の効果、権力の継承や体制の正統性を視覚的に表すことも考えて、ピラミッドを造ったのでしょう。 
 
> 中王国や新王国時代にはなぜファラオ達は建立を辞めてしまったのでしょうか?

古王国時代:紀元前27世紀の半ばころに始まる第3王朝から第6王朝までの約500年間
第1中間期 :各地のノモスが独立してエジプトは統一を失った
中王国時代:テーベにおこった王家が再び全土を統一:第11王朝、第12王朝の時代
第2中間期 :ヒクソス支配時代
新王国地代:テーベにおこった王家がヒクソスを破り全土を再び統一した。第18王朝から第20王朝までの約500年間
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
古王国の時代には、まだ王権の勢力範囲とか、社会構造とか、技術とかが、せいぜい、大量の労働力動員で石を積み上げる程度のことしか、選択肢がなかったのではないでしょうか。
それでさえも、王権の勢力範囲が広がらず、周辺の脅威が高まれば、ピラミッド建造に使える資源投入にも制約が出ます。

中王国のピラミッドについて、次のような記載もあります。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egy …
第12王朝の創始者であるアメンエムハト1世もまた、志なかばにして凶刃に倒れてしまった。だがその息子センウセルト1世は父譲りの能力と粘り強さを武器にしっかりと王権を守り通し、ともすると崩れそうになるエジプトの繁栄をどうにかして軌道に乗せることに成功した。彼もまた父のそばにピラミッドを作ったが、今となっては両方とも玄室が地下水で満たされてしまっており、発掘調査は事実上できない状態である。
 次いで王位にのぼったアメンエムハト2世は、モエリス湖の干拓やファイユーム地方の農業政策などで知られる王である。彼もまたピラミッドの造営に取りかかったが、彼が選んだ土地は祖父と父が眠るエル・リシュトではなく、古王国時代の英主スネフェル王が残したピラミッドがあるダハシュールだった。ここにはのちにセンウセルト2世、アメンエムハト3世もピラミッドを造営するが、その出来は決していいとは言えず、今では崩れかかってしまっている。総じて中王国時代のピラミッドは無惨な状態になっているものばかりだが、それは石材節約のために石組みを芯部だけに限定し、外装は日干しレンガに転換したからである。古王国時代の緻密で頑丈なピラミッド建造技術はすでに絶えてしまったのだろうか。
センウセルト2世は、ピラミッドの建造そのものを国家事業として推しすすめた王である。彼が建設地として選定したのは、歴代ファラオが残したピラミッド群の中では最南端にあたるアル・ラフーンという土地で、ややナイル川から離れていたため、水運による資材運搬が困難だったこともあり、資材集積場と労働者宿舎を兼ねた街を新たに設けることで対処した。ヘテプセンウセルトと名付けられたその街は、全国から集まる多くの労働者たちによりきわめて繁栄したようである。 ところが、ヘテプセンウセルトの街は突如として放棄され、あっという間に砂に埋もれてしまった。王が急死したためピラミッド建造が中止されたからか、それとも外敵に攻められたからか、その理由は今でもわかっていない。
 その息子センウセルト3世もダハシュールにピラミッドを残したが、彼の後を継いだアメンエムハト3世こそは、エジプトにおけるピラミッド建造史に名を残す王のひとりである。彼は決して楽とは言えない財政状況の中にありながら、ひとりで2基のピラミッドを造営した人物なのである。ピラミッドを残した王は数多く存在するが、個人で複数のピラミッドを建造できたのは第4王朝のスネフェル王と、彼だけである。
 アメンエムハト3世のピラミッドはダハシュールとハワラに残っているが、彼自身が埋葬されたのはおそらくハワラの方で、ダハシュールにあるピラミッドは建造途中で作業が中止され、放棄されたようである。
 ハワラのピラミッドには広大で宏壮な葬祭殿が付属していた。今では瓦礫の山になっているが、本来ならば葬儀終了後はほとんど使用されなくなる葬祭殿でありながら神殿に転用され、ギリシア人旅行者がエジプト各地を回る時期まで存続していたという。ギリシア人たちはこの葬祭殿を「ラビュリントス(大迷宮)」と呼んで、その壮大さを後世にまで伝えた。アメンエムハト3世の死後はエジプトの勢力そのものがすっかり衰えた。もちろんピラミッドについても同様だが、ダハシュールの南に広がるマスグーナという砂漠地帯に、完全に崩れ去って見る影もないピラミッドが2基、寄り添うように建っているのがみられる。それがアメンエムハト4世とセベクネフェル女王夫妻のピラミッドではないかとする学者もいる。 ピラミッド建造のためだけに作られた街ヘテプセンウセルトを拠点に、巨額の資金を投じて建造されたにもかかわらず、建材が日干しレンガだったため劣化が激しく、今では砂漠にそびえ立つ岩山にしか見えない。

 第13王朝は正式な中王国の後継王朝であるが、その勢力は比べものにならないほど弱体だった。国内のあちこちに独立政権が生まれたため王権が行きとどかなくなり、さらにはデルタ地帯に入り込んだヒクソスが商業を独占してしまったために、王朝の財政までが急速に悪化した。
 そんな中でも、ピラミッドを建造することのできた王がいる。サッカラの南端、ダハシュールに立つセンウセルト3世のピラミッドの北寄りに、4基の粗末なピラミッドがある。もうほとんど崩れてしまって年代測定もできずにいたが、その中の1基から発見された遺物にあった「ケンジェル」という名前から、これらが第2中間期に属する第13王朝のケンジェル王のピラミッドであることが判明したのである。だが彼のピラミッドに用いられた建造技術はすでに救いようもないほど破綻しており、ピラミッド時代が終わりに近づいたことを否応なく感じさせられる。
 そしてついに、ピラミッド時代の終わりがやってきた。現在発見されているピラミッドの中ではもっとも時代が新しいものが、なぜかナイル川西岸のピラミッド地帯ではなく、デルタ地帯のアヴァリス近郊で見つかったのである。ピラミッドの主はアイという王で、第13王朝の末期に存在した人物のようである。しかも見つかったのはピラミッドそのものではなく、最頂部に置く三角錐の石(キャップ・ストーン)だけだった。
 ヒクソスが第15王朝を打ち立てることになる。彼らはアジアからやってきた商業民族の集団であり、ピラミッドの建造を引き継ぐことはなかった。
 ヒクソスを倒して再びエジプトを統一し、輝かしい新王国時代への足がかりを作ることになる第17王朝は、テーベにおいてすでに神殿式王墓の様式を完成させていた。こうしてピラミッドの建造技術を担うべき文化は消滅し、建造費を捻出する意志のある為政者もいなくなって、長かったピラミッドの時代は終わりを告げたのである。
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王家の勢力低下、経済力の低下が、ピラミッド建造の規模縮小などの原因なのでしょう。
しかし、新王国は、勢力、経済力がスゴイです。 技術も向上しています。 社会全体の構成も、複雑化し、社会制度も古王国や中王国のときより充実して、宗教も社会制度としてしっかりした体制をつくっていたようです。
単純に石を積み上げるピラミッドやスフインクスではなく、もっと文化的に凝った建造に力を注ぐようになったみたいです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8 …
エジプト統一という点を重視し、イアフメス1世以後は第18王朝とされる。
イアフメス1世とその後継者達は上下エジプトのみならず近隣のシリア、ヌビア地方へ大幅に領土を拡大し、エジプトはオリエント世界最大の国家の一つとして君臨するに至った。トトメス3世に代表される歴代王達の征服活動は目覚ましく、広大な征服地とともに膨大な戦利品がエジプトへ流れ込み、エジプトは空前の繁栄の時代を迎えた。
歴代の王達は遠征の後に、国家神であるアメンに戦勝を謝するため、テーベにあるアメン神殿に多数の寄進を行うのが慣例となっていた。やがてアメン神殿はエジプトにおいて比類無い有力勢力となり、アメン神官団の動向は時として王位すら左右するようになった。第18王朝半ば頃になるとこうした神殿勢力の強大化に懸念を抱いた王達は、人事面における介入や他の神殿とのバランスをとる政策を中心として、アメン神官団の勢力をそぎ落としにかかった。こうして比較的アメン神官団を統御することが可能となったアメンヘテプ3世の時代には、圧倒的な王権を背景に数多くの巨大建築が残された。
第19王朝においても新王国の繁栄は受け継がれ、セティ1世、そしてラムセス2世はその威信を示す巨大建造物を多数残している。特にラムセス2世は古代エジプト最大の王とも言われ、60年を超える彼の治世はエジプトが最も繁栄した時代と解される。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。この世界の森羅万象が見えました。

お礼日時:2020/09/11 12:52

2~30年前までは、いろいろ家われていたようですが、最近はつくり方として「石切り場」から船を使って、


運んだというのが一般的な説になっています。水の中に石を鎮めて水中を運び、ピラミッドの近くに運河を作り
そこまで運べば、後は人力で運べたようです。さらにそれまで奴隷を使っていたと思われていましたが、
国中から高い技術者や「賃金労働者」が集められ「賃金」にあたるようなものも払われていたようです
古王朝が衰退した後の混乱期以降、巨大な石を使ったピラミッドが作られなくなり、
日干しレンガなどの壊れやすい材料が使われるようになった理由は、様々な説があります。
それどころか、ピラミッド自体そのつくられた目的が諸説あるのですから。
逆にそうした事実が「歴史のロマン」を掻き立てるのだと思います。
私個人としては「永遠の謎」であってほしいと思います
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ピラミッドには謎が多いです。


作られたのは紀元前2000~3000年と言うのが定説ですが、それでは説明が付かない事も多いらしいですし。
古代宇宙飛行士説によると、その当時に地球を訪れた地球外知的生命体のテクノロジーが関与していると言う事ですね。
それが結構説得力があるし。
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それが今でもわからないので世界7不思議にあげられてます。

(^_^;)
諸説は色々あるんだろうけどね・・・。
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