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十二単っていつ頃成立したのでしょうか?
また紫式部や清少納言は既に十二単を着ていたのでしょうか?
噂によると紫式部や清少納言の時代はまだ十二単が成立しておらず奈良時代の服装を引き継いでいたと聞きましたがそれは流石にトンデモ説ですよね?
紫式部日記や枕草子を読んでいると代表的な平安装束の名前が結構出てくるので紫式部、清少納言は十二単を着ていたとわたしは考えますが皆さんはどうお考えでしょうか?

A 回答 (4件)

他の人の回答を、なるほどなと思いつつも、あまり信用しないので検索してみたりするw と、面白い話が見つかりました。



https://www.onishi-doll.jp/nazonazo/2009/10/vol1 …

なるほど、十二単というのはそういう意味だったのか、そしてどうみても12枚もあるように見えなかったのは目の錯覚ではなかったのだなと、かなり納得w

質問に答えておくと、紫式部が書いた紫式部日記というのがあり、これに十二単に関して色がどうたらとか蘊蓄とか書いてあるらしいので、ばっちし着ていたようですよ♪
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いわゆる十二単などの原型は平安時代中期にできていましたが、その後も変遷しています。


現在の人がイメージする平安装束が完成したのは平安時代末期の院政期から中世です。

厳密に十二単が何を指すかによって、「成立」時期も変わってくると思います。

>奈良時代の服装を引き継いでいた

奈良時代のものをそのまま使っていたのではなく、徐々に変化していきました。
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流石にトンデモ説です。

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奈良時代の後期に着物の原型が生まれたと言われ、平安時代により現代に近い着物が生まれました。

 十二単は平安時代の中期に完成した女房装束の儀服です。 女房装束の代表格・十二単は、成人女性の正装です。 宮中などの公の場所で晴れの装いとして着用されました。もう1つの質問ですが…十二単は主に、宮中に出仕している女性が着用するものでした。 男性の装束でいうところの束帯(そくたい)にあたる正装です。 後宮にいる女房たちです。 たとえば紫式部や清少納言、彼女らも宮中では十二単姿でした。
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