準・究極の選択

平家物語の中で不思議に思った事をいくつか質問させて下さい
1・壇ノ浦の戦い後、生き残った女性達が下関で遊女化したという伝説について
1-1まず、どうして生き残ったのか不思議です。入水したのに、どうして多数生き残っているのでしょうか?一応下関の方が助けたとかいう事になってますけど、場所は戦場!間に合いませんよね
1-2なぜ、平家の女性達は、生き残った後殺されなかったのでしょうか?子どもを産むと不利益にしかならないのは源氏も分かってますよね
1-3生き残った遊女化した平家の女性はどのような遊女生活を送ったのでしょうか?(文献等あれば教えて下さい。一応、毎年安徳天皇の墓参りに行った、上座に座って接待した(わちゃですね)という文献だけは見つけました)
2  生き残った女性の中でも徳子について
2-1どうして殺されなかったのか本当に不思議です。源氏の武士に助けられたって事になっていますけど・・・(武士の情け?尼になったから?)

文献等紹介していただけたら嬉しいです。宜しくお願い致します

A 回答 (1件)

日本の場合男系社会ですから、女性は殺されないことがままあります。


例えば、浅井長政の場合は息子の万福丸は殺されてしまいますが、娘たちは助命され、後に秀吉の愛妾淀君や徳川秀忠の正室江与に成長します。
豊臣秀頼の子供たちも、国松は都の六条河原で斬首の刑に処されますが、娘の奈阿姫は助命され、東慶寺住職天秀尼となります。
武田勝頼の母親も信玄に滅ぼされた諏訪氏の娘ですね。
平家の場合も父親が重要で、平家の娘から生まれた子供は父親が平家に無縁なら、最早平家一門では無いと言うことかと思います。
現代で言えば「愛子様」が即位されるかどうかの議論を見れば想像できると思います。
覚悟の入水と言っても、平知盛が鎧を二両着ないと浮かんでしまうと危惧したように、なかなか死ねるものではありません。
群集心理で飛び込んでみたものの、無意識でもがけば浮かんできますから、陸に助け上げられたものも多いと思います。
建礼門院德子もそのような女性の1人で、仮にも安徳帝の母親ですから、上皇の命令が無ければ殺せません。
上皇も頼朝も大勢に影響無しとして許したのでしょう。

http://www.hikoshima.com/photo-oi/oi-01.htm

こういった伝説もありますが、近代以前の戦争では女性も恩賞の一種ですから、陵辱にあったり、婢とされた例もあったのでしょう。
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