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徳川慶喜についてです。
鳥羽・伏見の戦いで政府軍が錦の御旗を上げると
朝敵となることを恐れた、とあるんですが
朝敵とはなんですか?
朝敵になるとどうなるんですか
錦の御旗と朝敵はどう関係あるのでしょうか
質問が多くてすみません。
調べても難しい言葉ばかりで…
簡単に教えてください!

A 回答 (4件)

ざっくり説明すると、、、


錦の御旗とは天皇家の旗のことです。
薩摩や長州をはじめとした勢力が「俺たちには天皇家から授かった旗があるぞ!俺たちの敵になる奴は天皇家の敵になるのと同じだ!」ということです。
天皇家のことは「朝廷」ともいいますね。
「朝廷の敵」を略して「朝敵」です。
徳川将軍家に限らず、どこの藩も天皇家に逆らった」というレッテルを貼られては、日本中の藩が潰しにかかってくる可能性があったのです。
徳川家としても「朝敵」扱いをされてしまっては、例え薩摩・長州勢に勝ったとしても他の藩が決起してしまい、倒幕運動(徳川幕府を倒す運動)が長引く可能性もありましたし、戦争になれば勝てるかどうかも分かりませんでした(おそらく勝てはしなかったでしょう)。
そこで徳川慶喜は将軍位の返上をして、天皇に政治権力を返還しました(→これが大政奉還といいます)。
以上、ざっくり説明でした。
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室町時代イヤもっと昔の740年、古事記と日本書紀が編纂されました。

それから、全国に神社を建立して、現生の統治が、皇室一族によってなされていきましたが、それは村単位の集落のみでした。

ゆえに全国統一を企む平家や源氏が現れ、その後全国の武将たちが、力による地方の統治を画策して、戦国時代へとはいります。
しかし、神社を建てた一族は、神社に守られて、延々と生きながらえて、戦国時代も生き神として崇められました。

ゆえに、朝廷に力は武力を伴わないが、様々の任命感を持ち続けました。神のお告げとしてね、そこで、慶喜が恐れたのは、官軍と呼ぶテロ集団です。

薩摩長州による謀叛ですが、謀反ではなくなるのが、<天皇の錦の御旗>なのです。ゆえに皇室の後ろ盾をもらうと、反乱でなくなります。

朝敵とは=朝廷の敵、つまり天皇に弓ナスやから、と言う事ですね。

日本に延々と力を持つ錦の御旗=皇室の後ろ盾の事です。

ちょっと長かったですが・・・・歴史は、真実を伝えません!?
ゆえに自分で様々の場所に行って調べると実に面白いですよ!?
ちなみに近くにある、八幡神社って言葉は、身の回りの全てに感謝する事なのです。
八幡=やおよろずと言って全ても物と言う意味ですね。つまり感謝を植え付けるのです。余談でした。
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「朝敵」の「朝」とは天皇のこと。


その天皇が、新政府軍を自分の側の部隊として認めて十六菊の旗を与えた。
と言うことは幕府軍は天皇に背く敵となってしまったんです。
徳川慶喜はその朝敵の総大将にされてしまうことを恐れたんです。

もともと徳川幕府も朝廷から依願されて日本の政事を行う立場で、
その上には常に(形として)天皇の存在がありましたから
天皇と対敵するわけにはいかなかったんです。
そうなれば日本中を敵に回すことになりますから。
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朝敵というのは、朝廷の敵です。



当時は既に大政奉還をしており、日本の政治は朝廷が行っておりました。

その上で、当初、鳥羽伏見の戦いというのは、朝廷の家臣である徳川家と、朝廷の家臣である島津家との私的な戦いであると言われていました。
(関ヶ原も実は、豊臣の家臣である徳川家と、豊臣の家臣である石田家との私的な戦いであるという位置づけをされています)

ところが錦の御旗が出てきて、徳川家が朝敵という事になると、朝廷と、朝廷の敵である徳川家の戦いという事になってしまうのです。
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