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カトリックやプロテスタントやモルモン教?
モルモン教だけは、同じキリスト教でも、聖書や十字架を必要としないのですか?
でも、キリスト教ですよね?

「キリスト教でも、色々ありますよね?」の質問画像

A 回答 (3件)

キリスト教には、各教派に共通する基本的な信条(信仰の土台)がありますから、その信条から逸脱するものは、キリスト教だと称していても、実際には、キリスト教だとは見なされません。


そのような逸脱した教義をもっている団体を「異端」と言います。
わが国のキリスト教界では、モルモン教、統一教会、エホバの証人(ものみの塔)の3つを、3大異端としています。

キリスト教の基本的な信条は、長い歴史の中で明確に定められてきました。
ニカイア信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条、使徒信条‥‥といったものがあります。

使徒信条は、教会での礼拝のときには、信徒全員で読み上げます。
教派によって表現(日本語訳)が微妙に異なりますが、信仰の内容としては共通しています。
プロテスタント系では、以下の例のようになっています。

<引用>

我は天地の造り主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。
我はそのひとり子(ご)、我らの主(しゅ)、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊(せいれい)によりて宿(やど)り、処女(おとめ)マリヤより生(う)まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架(じゅうじか)につけられ、死にて葬(ほうむ)られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人(しにん)のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来たりて、生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。
我は聖霊(せいれい)を信ず。
聖なる公同(こうどう)の教会、聖徒(せいと)の交(まじ)わり、罪の赦(ゆる)し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。
アーメン

<引用終わり>

まず、神を、絶対的な唯一の存在として信じ、子としてのイエス・キリストと、聖霊としての形を採った姿とをあわせて、3つを一体として神だととらえます(三位一体)。
その上で、人間としての罪が神によって赦され、赦しの結果としての永遠のいのちが与えられる‥‥ということなどを信じます。
これが基本中の基本です。
そして、こういった教えが明確に記されている聖書を唯一のよりどころとして、日々の信仰に努めます。

ところが、異端の場合には、これ以外に、独自の教義がぞろぞろと付け加えられていて、信条が台無しにされてしまいます。聖書さえも否定されてしまいます。
つまり、異端での教えは、キリスト教の本来の土台やよりどころによるものではなくなってしまっています。

ということで、モルモン教は、キリスト教とは言えないんですよ。
聖書や十字架がどうこう‥‥というよりも、信仰の土台が何であるのか、ということに目を向けてみて下さい。
「キリスト教でも、色々ありますよね?」の回答画像2
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/01/16 02:32
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/01/16 12:14

私はカトリック教徒です


プロテスタントは同じキリスト教と認めてます
どちらの教会に行ってもかまいません

モルモン教は自らをキリスト教と主張しながら、聖書以外の正典を認め、聖書に反する教義を教え、イエスと使徒の教えと全く相容れない教えに固執していますから
新興宗教と捉えてますよ
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/01/16 02:33

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