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昨今のコロナ禍で、ウィルスに敗北し死んでいく者を一人でも減らそうという
「人間が人間を保護しようとする(向う見ずともいえるような)感情と行動」
は、なぜ生じるのでしょうか?

たとえば、避妊去勢をされ生まれてくることを人為的にコントロールされてい
る猫たちを「人間は猫を保護してやるべきなのだ」という信念のもとに保護す
る感情は理解できます。
人間ならば当然の感情でしょう。
それが命に対して責任をもつということだからです。

しかし、
「生めよ増やせよ」という発想で制限なく存在させた個体をすべて保護しよう
と思うのは「人間のやることではなく」神様しかできないことなのではないで
しょうか?

逆に産児制限をしたうえで、生まれた個体をも見捨てる(殺処分してしまう)と
いう発想はナチス的な悪魔の所業でしかありません。

なので、人間ならばこうすべきだと思うのですが・・・・

【第一のパターン】
「生めよ増やせよ」→→→「生まれた個体が一定数減少する仕方ないことなので
保護しようとせずにあえて切り捨てる」

【第二のパターン】
「産児制限をして生ませない」→→→「生まれた子はなにがなんでも保護する」

どちらが正しいとも言えません。
あえて言うなら、どちらかの条件、状況にありながら、そのことを無視(あるい
は気付かずに)別のことをしてしまうのは間違っているのでしょう。
これが神様でもなく悪魔にもなりきれない「人間らしい振る舞い」なのでは?


昨今のコロナ禍で、少なくとも日本では「生めよ増やせよ」で増殖してきた
人間という個体を、最後の一人まで「保護」しようという方向性ははたして
正しいのでしょうか?
みなさんは、どう思われますか?
専門家だけでなく多くの方からのご意見を希望します。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (21件中11~20件)

正しいとは思いますよ



自分であれ、他人であれ
命を大切にすることは
必要だと思いますよ

コロナ対策も、現在頑張らないと
昔のスペイン風邪やコレラのように成りそうだし
ペストなんて、長い年月かかって
病気を解明しましたもんね

コロナ対策をしないと
ワクチンや特効薬などができる前に
かなりの人口が死滅する恐れなんかも
ありますもんね

ヨーロッパのコロナ被害って
エグすぎるからね

開発されたワクチンでも
まだまだ、改善の余地はあるし

1番望まれる、特効薬の開発って
前途多難なんてな話を聞きますよ

インフルエンザだと
症状でてから、何時間とかで効きやすい
タミフルとかあるけど

コロナだと
潜伏期間と、症状の発症がわかりにくいとかっていわれますもんね
無症状なのがネットとかね
さらに、無症状からの急変てのも
考えられて
前途多難とは思いますね

世界的な人口爆発などの問題を考えたら質問者さんの言われる事柄なんかも
確かになぁ~( ̄~ ̄;)とは思うけど

コロナにかかって重症化したりすると
苦しい思いなんかしますもんね

そういった、辛さや痛さ、苦しさを考えたら!命を保護する事って
より大切だとも、思いますよ

あれやこれや対策をしてるけど
対策が及ばず、亡くなる方もいてるから
そこら辺なんかは、天命や神の意思だと
割りきるしかないとおもいますね
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

>世界的な人口爆発などの問題を考えたら

大量(過剰)に生産されたものの中に不良品(ある特定の因子に対して脆弱である個体)が存在する場合、それを回収しないと市場が崩壊してしまいますね。今、コロナで死んでいく者は、ある意味そういう不良品なのかもしれません。
「回収し原因を調査したうえで破棄する」
残酷なようですが、そうすることで、より強い完成度の高い個体が将来にわたって生産されることになるわけです。

それをせずに「保護する」ということは、いわば自社の製品に絶対の自信をもちクレーム対応も製品改良もしようとしない悪徳業者のようなものなのかもしれませんね。

お礼日時:2021/02/01 17:15

国民の命と財産を守るのが国の責務であるからです。

これはどこの国でも同じで、長い人の歴史の中で最適化されつつ至った結果でもあります。

そして人を守りたいと言う感情は、人を思う気持ち、ホモ・サピエンスの時代から社会性を持って集団生活してきた人の習性、本能に由来するものだと思います。

それが人である事の証です。
犬や猫だって仲間を助けようとします。主人を助けようとします。
人というより、生物は皆この様に考えるのかも知れません。

とはいえ限界はあります。
既に医療崩壊している地域はあり、入院待ちの自宅待機時に亡くなっている人も出てきていますよね。もう助けられない、やむを得ず切り捨てられた命も出てきているんですよね。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

>国民の命と財産を守るのが国の責務であるからです。

責務や義務を課されるのは、あくまで国民であり国家ではありません。
他人の命と財産を守れと命じられるのは、神であり人ではないです。

われわれ人間は、他人の命や財産を保護したいという意識をもたされ
ていて、それを道徳観とか倫理観とか呼ぶのですが、この部分を本能
とか欲望の領域と勘違いしがちなのです。

人間に他人を守りたい保護したいなんていう本能や欲望なんてないで
すよ?人間を買いかぶり過ぎていませんか?

もしそういう本能や欲望があるのなら、守ることや保護することで自
分自身もラクになるはず。
しかし、守れば守るほど保護すれば保護するほど苦しいのは何故なん
でしょうね?(苦笑)

それは、守るとか保護するとかいう行為が、本能(欲望)的範疇にあ
ることではなくて、意志(意識)に由来しているからです。

「責務」と言う意志的概念と本能や欲望という感情的概念をごっちゃ
にしたまま、コロナ禍で他人を保護しようとしているのは何故なので
すか?  それが、わかりません・・・・。

お礼日時:2021/01/31 15:48

ゴキブリをも凌ぐ宇宙最強の生命体"Homo sapiens"は、新型コロナウイルスなどではビクともしません。

地球で飽き足らず月/金星/火星/太陽系外の惑星や衛星など果てしなく宇宙に広がり拡散して蔓延して行きます。
2045年にコンピューターの知能は,全世界の人間が束になって挑んても敵わなくなる,全人類の知能の総力を超える「技術的特異点/シンギュラリティ」に達すると考えられています。人間は脳にチップを埋め込み,スマホやPC,マウスやキーボードなどを使わず,脳の中に投影されるスクリーンの輝点を目で追うと,その脳の電気信号をチップが検出し,文字の入力やクリック/ドラッグ/ドロップなどが可能になり、人間は、常時、ネットにワイヤレスで接続し、超知能/超知性の人工知能AIと通信し、世界中の情報を操作し、情報を処理するでしょう。
超知能/超知性の人工知能AIに政治/経済/教育/医療/福祉など森羅万象について最適の施策を考えてもらい、人間は素直にその施策を実行して行くしか戦争を回避する手段は無いのかも知れません。
超知能/超知性の人工知能AIと連動した人型ロボットが、一般家庭で炊事/洗濯/掃除/育児/介護/買い出し/ゴミ出しなどを熟し、医療/法曹/建築/土木/生産/流通など全業種の全職場で働くでしょう。人間には、研究開発や芸術などの限られた仕事しか残らないでしょう。
地球-月のラグランジュ点L4,L5や地球周回軌道に宇宙太陽光発電所が設置され、宇宙に太陽から無限に降り注ぐ太陽の光で太陽電池パネルで発電した電力をマイクロ波にして地球に送信し、これを地球で受信して電力に戻し、この無限でクリーンな電力で地球の水を電気分解して水素と酸素を作り、この水素で燃料電池自動車(水素自動車)のトラック/バス/タクシー/マイカーが走る水素社会が到来します。
https://www.enecho.meti.go.jp/category/saving_an …
地球の隅々に広がり地球から溢れた人類は、無限のキャパシティを持つ最後のフロンティアである「宇宙」に向かうでしょう。それは「好奇心と拡散性」が人類の「性(さが)」だからです。

時間が無かったら,つまり,時刻も無い,瞬間も無い,時間的な幅が無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

空間が無かったら,つまり,点も線も面も体積も無い,空間的な大きさ広がりが無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

真空を「無(む)」だと言う人がいますが、超弦理論の弦/紐/膜やクォーク、素粒子、原子、物質、エルネギーの全てが無くても、真空には時間と空間はあります。従って、真空は、「無(む)」ではありません。

時間だけでも、空間だけでも、「存在」は、成立しません。この一方だけでは「存在」は成立しないのです。時間と空間の双方があって、初めて「存在」は、成立します。
宇宙は、なぜ存在している事が出来るのか? それは、「時間」が存在していて、「空間」が存在しているからなのです。
時間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  時間が無い状態から時間が始まった/初めた/流れを開始した状態をイメージ出来ますか?
空間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  空間が無い状態から空間が始まった/初めた/大きさ広がりを開始した状態をイメージ出来ますか?
出来ませんよね。と言う事は、時間の無い宇宙、空間の無い宇宙は、存在しない、ありえないと理解すべきと言う事なのです。
ビッグバンで宇宙が誕生して、時間も空間も誕生したのなら、ビッグバンの「前」は、時間は? 空間は? どうなっていたのか?との疑問が湧きます。
「無限大の大きさ広がりを持つ空間的に無限大の空間と無限大の過去から存在し無限大の未来まで流れ続ける時間的に無限大の時間が無限大の過去から共に既に存在している」。この時空/宇宙を「母宇宙」と定義します。この母宇宙Aの時空の量子論的な揺らぎが、我々が存在しているこの宇宙Bのビッグバンを138億年前に引き起こし、Bは、Aの「子宇宙」として、Aの時空の中で誕生し、今もAの時空の中で加速膨張し続けていると解釈/理解すると、Bが誕生する「前」の「時間」は? 「空間」は? と言う問いに、Bが誕生する「前」は、Aの時間が流れ、Aの空間が広がっていたと答える事が出来ます。
それぞれが無限大の大きさと広がりを持つ「子宇宙」を無数に無限大個、その時空の中に持っているのが「母宇宙」で、母宇宙の中では、常に無数の無限大個の子宇宙が誕生して、それぞれが母宇宙の時空の中で収縮/安定/定速膨張/加速膨張などの成長を続けているのかも知れません。
こうした多数の宇宙が存在するとの考えを「マルチバース」と呼びます。
母宇宙は、どのように始まった/誕生したのかは、母宇宙の「定義」から、
「母宇宙は無限大の過去から時間と空間と共に既に存在している」と回答する事になります。なので、母宇宙に始まり/初め/起源/誕生は無いのです。

物理学は一大飛躍を成し遂げる可能性があります。ケプラーは1609年と1619年の著書でケプラーの第1,2,3法則を発表し、ニュートンが1687年の著書で万有引力の法則を発表する切っ掛けになり、1887年のマイケルソン・モーリーの実験は、1905年にアインシュタインが特殊相対性理論を1915-1916年に一般相対性理論を発表する切っ掛けになりました。
宇宙の加速膨張が観測され、ダークエネルギーやダークマターが提唱され、超弦理論や11次元のM理論などが議論されています。これらは、次の物理学の一大飛躍の切っ掛けとなる予感がします。
1900年にプランクが量子論を1905年にアインシユタインが相対論を創始して現代物理学が誕生し、それまでの物理学が古典物理学と呼ばれたのと同様に、2021-2030年に掛けて生み出される物理学は、今の現代物理学を過去のものとする、全く新しい「真新物理学」を創始するかも?
それは、1900-1905年頃の人に量子コンピューターや相対論的GPSの時間補正と言っても理解できないのと同様に、2020年の我々が「局所空間の通常空間における波乗り効果」と聞いても理解できない全く新しい物理理論と技術を生み出すかも?
全く新しい時空のイメージと次元理論を生み出し、任意の範囲の時空を通常空間の時空の中を波乗りをする様に滑らせ、何百万光年も離れた遥か彼方の銀河に極めて短時間で人や貨物を行き来させる技術を生み出すかも?
そうなれば、はくちょう座の方向の約600光年の彼方にある太陽に良く似た恒星ケプラー22のハビタブルゾーンを公転している岩石惑星ケプラー22bに移民宇宙船が大挙して押し寄せ、ネオ日本/ネオアメリカ/ネオチャイナ/ネオロシアなどが建国されるかも?

宇宙人を「この宇宙に存在している知的生命体」とすると地球に住む人類も該当する。人類がいるのに人類の他には、この宇宙に宇宙人はいないと言う方が無理がある。天の川銀河(銀河系)には約1000億個の恒星があるらしい。その中に地球人と言う知的生命体が発生していると言う実績/事実がある。アンドロメダ銀河は、天の川銀河の約2倍の恒星があるらしい。天の川銀河でも最低1個の知的生命体を産んだ星(地球)があるのだから、その約2倍の恒星を持つアンドロメダ銀河には最低でも2個の知的生命を産んだ星がある可能性がある。

知的生命体は人型で無いかも?
wikipedia日本語版の記事「ケイ素生命」の様に、ケイ素を主体とした生命体の可能性もある。例えば、核分裂物質が豊富な環境でケイ素生命体が誕生し、体内に核分裂物質を取り込み核分裂エネルギーで生命活動を維持するのかも?
または、太陽の光を浴びて光合成の様にして生命活動に必要な物質やエネルギーを得るのかも?
そうであれば地球の生命体の様に他の生命体を捕え/殺し/食べ/消化し/吸収し 生命活動を維持するエネルギーを得る必要は無いので、食べる「口(くち)」は無く、自己の体内から電磁波を発信し、外部の電磁波を受信し外部の情報を知覚し、他の個体とコミュニケーションするなら、目も耳も喋る「口(くち)」も無く、呼吸が不要なら鼻も無く、手足も無く、触手の様な体の器官で物を掴み、銀河間航行する宇宙船を組み立て、宇宙狭しと駆け巡り、壮大な宇宙文明を築いているのかも?

創世記では、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」とあります。「はじめに」とは、時間を指す言葉です。「やみが淵のおもてにあり」とは、「やみ」や「淵」が存在しており、これらが存在できる「空間」がある事を意味しています。つまり、神が天地創造を開始した時には、既に時間は存在して時間が流れており、空間も既に存在していたと述べているのです。神は、時間も空間も神自身もやみも淵も創ってはいないのです。これらは既に存在していたのです。
では、これらを創ったのは何なのか? これらは何故、存在していたのか?
聖書は答えていません。

宇宙は、なぜ存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか?

神が創ったのなら、

_神は、なぜ存在し、_神は、どうしてどのようにして始まったのか?

こう記述すると、宇宙と神が同じである事が解ります。
下記のブログを是非、御覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/satou_hiroshi_4649/archi …
「人間はなぜ人間を保護しようとするのでしょ」の回答画像9
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質問して回答者に反論する。

これがよくある自己主張の質問者。
決して協調するはずが無い。 同調者を求めているのだろうか?
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この回答へのお礼

残念な回答には(お礼の意味をこめて)注釈をつけて差し上げています。
同調者? 私に同調し得た者に出会ったことが(いまだ)ありませんが。(笑)

お礼日時:2021/01/31 13:10

確かに質問者さんの言う事には道理はあります。


(ネコ保護は別ですけどね)
国家の将来、人類の未来を考えたら
今のオーバーキャパシティを打破するためには
現在のコロナ流行はちょうどよいケースになる。

ですが、質問者さんは大きな視点が欠落しています。






そこまでして人類を長生きさせて、何になるのですか?







人類がなぜここまで繁栄し、
ゴキブリ以上に繁殖してどこにでも住んでるのか?
考えた事ありますか?


優れた目による脳の発達と、
直立歩行により空いた手を器用に使う事が
できたから、だけではありません。

社会性のある生き物として
助け合う事ができる道徳的観念を
持っていたからです。
だから、
分業体制が確立し
どんなところでも生活できる衣類と食料の
確保ができるようになって今に至った。

はるか古から人類は、弱った仲間を助けてきました。
それを見て、健全な仲間は、
自分が事故で同じ目に遭っても助けてもらえると感じ、
危険な行為にも勇敢に立ち向かえるようになる。


人類社会から隔離して自分だけで生きていくならば
こういうものは必要ありません。
米国にはそのような世捨て人の集団(←(笑))もあります。
ですが、それは国家単位や人類全体で考える事ではない。
助けあう精神を抜いたら、人類はすぐに全滅します。



>【第一のパターン】

切り捨てられる側になって考えた時、
質問者さんはどういう行動をとりますか?
「潔く自決する」と100%言えますか?
僕は言えませんね。

 「俺は絶対死ぬ」と言う奴ほど ”死なずにのさばる” のは
 昔から決まっている「公式」です。

罹患した本人は「諦め」ても周囲が諦めないケースも出ます。
また、
よく言う上級国民のように「自分だけは特別扱い」して
下々には死を強要する可能性も出るでしょう。
そして、これらに対する反動が発生し、暴動になる。
結果、社会・文明の崩壊になります。
確実にね。

 今でさえ、自粛警察とか言うのが出歩いたり
 逆に、みんなが守っている事をできないでいる連中が
 わんさかいるんです。
 「罹患したら死ね」なんて言って
 誰が言う事聞くと思うのですか?



>【第二のパターン】

こちらのほうが現実的ですが、
自然の摂理である”出産”に対し真っ向から対立する話です。

実際、ちょっと前の共産中国で実施した施策ですが
結果
「男ばかりの中国」になってしまい歪な人口比です。

強権力を使える共産中国ですら上記の通り。
こんなのが「自粛しか要請できない日本」で実現できると思いますか?

ただし、
本人たちの意思とかそんなの全く無視して
意図的に子供を作らせない方法はあります。
誰にも気づかれずに間接的に一瞬でね。
ですがこれは、悪魔の手段、だと思いますよ。
人類(というか高等生命全体)は確実に滅亡しますから。


第三の選択しかないと思いますね。

「現状のまま、なすがままにする」

1番確実で最も堅牢な施策だと思いますよ。
自動的に弱い奴らは淘汰される。

人類って意外と「死なない」生き物なので
強い奴・運の良い奴・だけは高確率で生き残れます。
むしろ、
上記に当てはまらない奴らこそが
第一・第二の案を考えるのだ、と思ってください。
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この回答へのお礼

>切り捨てられる側になって考えた時、
質問者さんはどういう行動をとりますか?
「潔く自決する」と100%言えますか?
僕は言えませんね。

切り捨てられる側のことは、実際、切り捨てられたことのある
人間にしかわかりませんね。
なので、自分ならこう思うだろうと言えるわけです。
ある事情で社会的な「切り捨て」を幾度となく経験した身から
申し上げれば、「今回は仕方ねえな」で済ませる人でないと
いずれは社会に害を為すことになるかもしれません。社会や
自然の大きな流れを意識できない者は自滅する行動に走りがち
だからです。

コロナ禍で切り捨てられて恨みを抱いたり社会に復讐しようと
する集団なり個人なりが現れたら、われわれはコロナと戦うの
ではなく、そういう存在を敵として戦えばいいのですよ。


>実際、ちょっと前の共産中国で実施した施策

中国は、コロナ対策でもすぐれた成果を上げています。
ただし、産児制限については、政策の問題として提起したつも
りはありません。生めよ増やせよという第一のパターンもそう
ですが、これらはあくまで個人の自覚(意識)の問題なのです。
自覚(意識)なき政策ほど無意味なことはないと思いますから
ね。

お礼日時:2021/01/31 12:43

人間は一人では生きていけない動物なの

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この回答へのお礼

自分をイジメるやつとかとは一緒にいたくないですけどね(笑)

お礼日時:2021/01/31 10:20

ミラリングの能力の問題です。



自分と近い人間をミラリングして我が事のように対応するのは知的水準が低くてもできる事です。

例えば、犬が仲間の犬を守るように、人間が人間を守る事です。

ところが知能が発達するに従い、犬とは違って、異種の生き物にもミラリングすることができるようになります。人間が殺される犬(しかも、自分の犬ではなく、見ず知らずの犬)にミラリングし、悲しんだり怒ったりすることができるようになります。
一方の犬はそこまで知能が発達していないので、見ず知らずのコンゴ人がゲリラに殺されているTV画面を見てもミラリングすることができず、無反応ですね。

これは知能領域の中でも、抽象化能力と言われる知能で、この知能が発達しないと、自己中となります。

抽象化能力が未発達の場合、ミラリング対象が狭くなるので、野生の鹿のお母さんを撃ち殺してステーキにして食べる時にも、何も感じないようになります。
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>人間はなぜ人間を保護しようとするのでしょうか?



「人類」という「種」だからです。
すべての生き物の存在理由は、「種の保存」です。
それが「種の本能」であり、存在理由です。

だから、本能として、人間は人間を保護しようとするのです。

>避妊去勢をされ生まれてくることを人為的にコントロールされている猫たちを「人間は猫を保護してやるべきなのだ」という信念のもとに保護する感情

「保護?」
まさに優位にたったものの傲慢です。
他の種を絶滅させようとするホロコーストの発想です。

猫を去勢する人は、「自分は猫種の絶滅に手を貸している」という自覚を持つべきです。
その猫の種の保存本能を否定し、その猫の子孫の存在を否定しているのです。

猫を去勢するのが当然のような言い方がはびこったのは、ほんのここ20年ほどですよ?
そうしか猫が生きることができない社会を作っているのは、現代の日本人です。
それなのに「保護している」?

まさにヒトラーが「世界の為、人類の為に、劣悪種を絶滅させ人類を浄化しているのだ」という信念をもっていたのと同じです。
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この回答へのお礼

>まさにヒトラーが「世界の為、人類の為に、劣悪種を絶滅させ人類を浄化しているのだ」という信念をもっていたのと同じです。

ナチスが「優生政策」で産児制限をしようとしたのは、ユダヤ人と共存したくなかったからです。
しかし、昨今の愛猫家が避妊去勢を猫に施術しようとしているのは、猫が嫌いだからでも猫と共存したくないからでもありません。むしろその逆でしょう。

あなたのような「猫の際限のない出産をあえて容認する」人は、すべての生まれてきた猫を保護しようとは思いつかないものです。(ただし、それが普通の考えで非難されるようなことではもちろんないですが)

人間のやることには限界があります。
それは(猫に対する場合でいえば)「避妊去勢」して産児制限をするということであり、また一方では、生まれ過ぎた猫を殺処分するということでもあります。どちらもきわめて人間的な行為なのであり、神様のやることでも悪魔の所業でもありません。


>本能として、人間は人間を保護しようとするのです。

本能(欲望) と 保護(意識) を混同しているように思います。
それでは、人命救助にあたっている消防士が(本能的に)救いたくない者を排除するという、とんでもないことが起こってしまいそうですね。(笑)

お礼日時:2021/01/31 13:00

No 保護、No ライフ!


仰る通りで、人間らしい振る舞いです。
人生や社会は、諸行無常で、その趨勢の中で変化を求められます。
なので、今は、「保護」の時なのです。
自分勝手な世の中には、散々でこりごりですがね。
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哲学の基本であって、まだまだ解は出ていない課題ですね。

学説は色々あるみたいですが、、
何故人は人を殺してはいけないなか? 
自分が殺されたらやはりヤバいからな〜
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この回答へのお礼

「人が人を殺す」という問題と「人が人を保護する」という問題には通底するなにかがあるのでしょうか?
自分的にはですが、
前者は欲望と倫理の絡みで考えればいいし、後者はそうではなくて倫理的意識の中の錯誤の領域で解決しなければならないことだと思うのですが・・・・。
むずかしいですね。

お礼日時:2021/01/31 09:48

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