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A 回答 (7件)

悪魔の証明になりますからね。



南京大虐殺を行った証拠曖昧…というのにも納得されないでしょうし、敢えていうのであれば…

旧日本軍の装備?
一列に30万人を立たせていたとして、それでも可能なのかどうか。
旧日本軍、それも陸軍は装備も兵士もそこまで優秀ではありませんよ。
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南京大虐殺が無かったとは言えない。

 中国側が言うような30万人虐殺はなかったと言うこと。 その根拠は以下の通り。

1 陥落時の南京の人口は約 20 万人である。南京の警察長官王氏が陥落直前の人口を20 万人と述べ、国際委員会(外国人 15 名で編成された自治組織)もその数字を踏襲している。
2 南京の人口は陥落後、増加した。陥落 1 ヵ月後、南京市外に避難していた南京市民は続々と市内に戻り、南京の人口は 24 万 3 千人余りから 26 万 5 千人余りに増えている。(虐殺があれば人は集まらない)
3 紅卍会などの遺体埋葬数は、作業代ほしさに水増し報告している。亜細亜大学の東中野教授は実際の埋葬数を 1 万 4 千人と推定、そのほとんどが戦死した中国兵や処刑された便衣兵だとしている。
4 当時、陥落とほぼ同時に約 300 名の日本の報道関係者がいたが、誰も虐殺現場や大量の遺体を見ておらず、報告もなされていない。
5 南京陥落時、便衣兵となった中国兵を掃討したあと、南京の治安は急速に回復し、国際委員会から日本軍に感謝の書状が贈られている。
6 南京陥落後、蒋介石は記者団に対して 300 回以上の記者会見をやっているが、一度も虐殺について言及していない。
7 南京陥落後、昭和 13 年 1 月に国際連盟理事会に対して、中国代表が日本軍が 2 万人の民間人を虐殺したと提訴したが、認められなかった。
8「南京大虐殺」は東京裁判で、初めて問題にされ、しかも伝聞により捏造された。
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赤いカラスが存在するか。



存在しない、と証明するのは
無理です。

過去現在未来、総てのカラスを調べる
必要があるからです。

これに対し、存在すると証明するのは
簡単です。
一羽捕獲すれば、それで終わりです。

これと同じです。

存在しない、なんて証明は不可能です。

存在すると主張する側が証明しなければ
ならないのです。


そもそもですが、証拠があるから、存在した
ということになるはずです。

存在した、しかしそれを裏付ける証拠は無い。

これでは順序が逆です。



存在した、という人は、色々な証拠を
出して来ますが、検証してみると、皆
否定されます。

え? これもダメ。
じゃあ、次はこれ。

え? これもウソか。
じゃあ、今度はこれ。

こんなことを繰り返していれば、
信用されなくなるのは当然でしょう。
どうして、精査してから出さないのか。


真実が知りたければ、国家レベルで科学的な
調査をする以外にありません。

日本が申し入れたことがありますが、
中国政府に拒絶されました。
「あれは30万人で決まっているから」


以下は日中戦争の犠牲者数です。
どういう訳か、どんどん増えています。
しかも、当初は死傷者だったのが、いつの間にか
死者になっています。

■日中戦争、中国人の犠牲者数
終戦時    130万人  GHQ発表
終戦時    130万人  国民党発表
1948年    438万人  国民党政府報告書
1950年代   1000万人  共産党政権発表
1970年    1800万人  共産党政権発表
1985年    2100万人  共産党政権発表(抗日勝利40周年)
1998年    3500万人  江沢民発表
2005年    5000万人  卞修躍博士発表(抗日勝利60周年)
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釣りなのかなあ。


いわゆる南京大虐殺が「なかった」なんて主張する輩はごくごく少数の頭がおかしい奴だけだろうし、なかったことを証明せい、なんてことを言う人にもあんまり会ったことはない。
 結論から言うと「そんなデータない」ってことになるけど、無かったことを証明しろって口にするだけでたいていは議論の輪からはじかれると思うよ。
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「でも、やっていない という証拠もないじゃん」


→議論に負けそうなバ○は必ずこれを言う。
そして、以下の事を知らない他の〇カが釣られて、場が荒れる。


否定派の根拠は、「あったとするデータ」=捏造や歪曲情報 と証明している事 であって、
「なかったというデータ」によるものではありません。
そして、それで十分です。

↑の「資料の真偽」の詳細ついては、質問の主旨から外れるので、ここではお話ししません。
知りたいなら、他に「あったという証拠」毎に質問を立てて下さい。
(過去に肯定派が何度もしては返り討ちにあっているネタですが)


他の方も仰っていますが、あなたの主張は「悪魔の証明」と言われており、これをまともな人達の議論の場で言ったら大恥を掻きます。

そもそも、この問題は「虐殺があった」と主張が起きた事から始まっています。
である以上、それを主張する人は「虐殺があった事」を証明する義務があります。

これらの事は、告発側の立証責任と言われており、議論や裁判や学問の世界では当たり前の事です。
証拠もなしに他者を非難する行為を、私は言い掛かりや中傷と呼んでいます。


一方で無実の証明は不可能とされています。
(何も無かったなら、起らなかったという証拠自体も発生せず、「何もなかった」という記録をする必要もない)

仮に疑惑を掛けられた方が努力して潔白を証明をしなければならないとしたら、悪意によって言い掛かりを付け続けて、相手を疲労させる事ができてしまいます。
そして被疑者は無実を証明できても、現状を維持できるだけで、何の利益も得られません。
(補償を求めるには、自分がその為の行動を起こさなければなりません)

以上から、被疑者は相手が出した証拠(らしきもの)を否定出来れば、それでOKです。他の無実の証拠を探したり、証明をする必要はありません。



A:>南京大虐殺は無かったそうですが、無かったことを証明するデータを教えてください。
「南京大虐殺は無かったそうですが、無かった」の回答画像5
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No5です。



そもそも質問は、どの南京事件についての事なのでしょうか。

【四度あった南京事件】
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1452.html
《1 第一次南京事件(大正2(1913)年)
  張勲軍が南京に乱入し、城内の民間人に対して虐殺、強姦、略奪を行った事件

2 第二次南京事件(昭和2(1927)年)
  国民党の国民軍が騙し討ちのような形態で南京に入り込み、城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。

3 第三次南京事件(昭和12(1937)年)
  南京に陣取った国民党軍が、日本軍がやってくるからと城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。

4 第四次南京事件(昭和24(1949)年)
  中共軍が南京を制圧し、資本家らを襲い虐殺、強姦、略奪を行った事件。》



>無かったことを証明するデータを教えてください。

No5で回答したように、そのようなものはありませんが、
『否定されている「虐殺肯定派の資料」』のデータならあります。

【大虐殺派のウソ写真と証言】
http://www.history.gr.jp/nanking/
「南京大虐殺は無かったそうですが、無かった」の回答画像6
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失礼ながら、これまでの履歴を拝見すると質問するだけのようなので


質問は釣りでしょうけど、無かった派の意見があまりに残念なので
ちょっと違う角度の意見を。

南京ではある意味で虐殺はあった(後述)と考えますので、
無かったとする証拠はありません。
ちなみに、南京は歴史がある都市なので何度も事件がありましたが
常識的に他の南京事件ではなく1937年の南京虐殺についてです。



よく、「便衣兵はゲリラだから処刑しても国際法で認められる」
という意見を見ます。
これはある意味正しいのですが、問題は便衣兵かどうか。
便衣兵の抽出はかなりいい加減で見た目での判断でした。
この意見を述べる人は「お前は帽子の跡があるから便衣兵だ」と
反論できずに連行後に即処刑されても納得できますか?

国際法では「俘虜は人道をもって取り扱うこと」とされ、
投降した捕虜が逃走や反逆をしない限りは極刑にする理由が無く
糧食は自軍と同等に扱うことになっています。
日本軍の記録にある捕虜・便衣兵の処分数は以下のもの。
・第7連隊による便衣兵抽出での6,670人
・第33連隊による捕虜の処理、3,096人
・第66連隊による捕虜の処理、1,657人
・山田支隊による捕虜の処理、数千人
これらはそれなりに正式な記録や証言があるもので、
これだけでも虐殺があった証拠です。

中島今朝吾の日記では元々捕虜は取らないとなっていますが、
捕虜にする前に処置したならまだしも、投降した捕虜や
拘束した便衣兵を軍法会議・軍律会議などの裁判なしで
処刑したことは瑕疵があり、これらは虐殺とされると考えます。
反論があって返り討ちにできると思うならどうぞご自由に。

ここからは他の無かった派の意見の欠点も述べておきます。


・南京の人口は20万人

警察庁長のものとされますが、出典はラーベの日記(11月28日)の
伝聞情報で、12月6日には80万人が逃げられたとしています。
これは戦前の南京市民100万人から80万人逃げたということ。
20万人は当時の安全区の南京市民で難民を考慮していない数字。
馬超俊南京市長が軍事委員会に出した書簡は南京市内で50万人
(11月23日)です。
 注 南京には、南京安全区、南京城内、南京市内、南京特別市内
   などさまざまあり、各々面積・人口が変わります。
そしてこの数には中国軍の数は含まれません。
当時の南京防衛戦力は上海派遣軍飯沼参謀の推定で約10万人、
難民を考慮しなくても南京は約30万人が戦後に20万人ということ。
(戦死や逃亡、督戦隊の同士討ちもあり、全て虐殺とは言えません)


・虐殺があれば人は集まらない

そんなことはありません。
関東大震災では千田是也や中馬馨の記録にあるように
朝鮮人が襲われましたが、その後朝鮮人は増えています。


・紅卍会の遺体処理数

紅卍会の報告は43,124体(1937年12月~1938年10月)
「世界紅卍会南京分会救援隊埋葬班埋葬死体数統計表」
日本側の「南京特務機関報告」は31,791体(1938年1月~3月)
紅卍会は12月7,242体、4月3,132体、5月1,024体とあるので
日本側の記録とほぼ同じ数です。
また、記録で山田支隊が虐殺後の遺体処理で川に流したように
相当数が揚子江に流れているので実数ではありません。
紅卍会の処理数の実数が14,000というのは悪質なデマ。

大量に遺体の水増しがあったと思われるのは崇善堂のもの。


・当時の報告がない

真偽は別にして、当時は日本の蛮行とする意見はそれなりにあり、
NYタイムズ(1937.12.17)、タイム(2.14版)ライフ(1.10版)
等で記事になっています。
また、「南京事件日本人48人の証言」で火事場泥棒していたとされる
大宅壮一は、その後に数字に疑問を呈しながら虐殺を肯定しています。
南京戦等を題材にした火野葦平の「麦と兵隊」は検閲を受けています。
「麦と兵隊」の英訳で日本を非難していたパールバックが
  この小説の著者たる日本人青年が善良であること、
  そしてこの作品が偉大なものであることを否定できない
と述べるくらい当時の日本は批判されています。
 注 NYタイムズのダーディン記者は中国側から資金提供を受け
   中国側と密接な関係でした。
   火野葦平本人は従軍記録と述べていますが、招集は南京戦後で
   従軍はしていません。
   

・大量の遺体を見た報告が無い

有名な村瀬守保写真集を見たことが無いのでしょうか。
(検索すれば出てきますが自己責任で)
虐殺があったとされる下関付近に大量の遺体写真があります。
虐殺遺体とは特定できませんが、虐殺でないとの特定も出来ません。
東中野教授のように根拠なく無かったと断言するのは早計です。
 注 村瀬氏が南京に入ったのは12月下旬です。


・虐殺があったとされる南京では治安は安定していた

よく南京市民が日本軍と和んでいる写真が出ますが
戦後に「ギブミーチョコ」と米兵に群がる子供たちの写真で
「東京に無差別空襲は無かった」と言えますか?
市民が占領軍に従順だからと言って面従腹背のこともあるので
治安と虐殺とは直接関係ありません。


・蒋介石は言及していない

「倭寇は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている」
(1月22日の日記)
「日本軍が占領した地区において掠奪、暴行火附を行った余勢で、
 (中略)大規模なが行われた」
(7月7日、抗戦一周年の声明)
本人が南京を見捨てて逃げたから記者会見では述べていないけど、
それなりに非難はしています。


・南京陥落後、中国代表が国際連盟に虐殺したと提訴した
 東京裁判で初めて問題にされた

当時から中国側が問題視していても受け入れられなかっただけで
問題にしていました。
東京裁判で初めて問題になったというのは矛盾です。


個人の意見は前述のように、市民への不法な虐殺はほぼなかった
中国兵の殺害も当時の治安維持には必要であったが配慮が欠けた
という見解なのであしからず。
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