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日本語学習者の格助詞「に」に対する質問に対し、『「に」は場所を表わす』という珍説を延々と繰り返されている方がいます。これを以下、「ニ場珍説」と呼ぼう。
(助詞「に」と「で」について… https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12371106.htm )
少し考えれば、格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表しているのは自明なことである。
★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。
という文を見ると、いかにも『「に」は場所を表わす』かのように思われる。しかし、
★ 友人に会う。
★ 5時に会議が始まる。
★ 先生に本をもらいました。
では、何ら場所は関係していない。これらの「に」も当然ながら同じ格助詞「に」であり、「に」は同じ意義を表している。
この程度の理解もなしに、延々と「ニ場珍説」を繰り返すのは質問者、学習者の混乱を招く意外の何ものでもない。
また、
>>
「に」は場所を表す、という考えは決定的に誤りではありません。 アスナロウさんがその考えはおかしい、批判されたのは考え方の問題であって、それは文法観(方法論)の違いです。「家にいる」の「に」は「家」が対象であることを示しているのが「に」である。「君にやる」という時、対象は「君」であって「に」では無い。それだけのことです。(No.20)
という珍説を述べられる方もいる。なぜ、このような珍説を披歴するのであろうか。それは、言語表現とは何かが本質的に理解出来ていないためと考えられる。言語は表現であり、語は意義を表すもので「示している」のではない。
この画面を見られている方にとって、「に」はDsp上の特殊な普遍的形のドットの集まりである。つまり、視覚的な形の普遍性である。「こ」の形になると他の意義になってしまいます。音声も音の特殊な普遍的波形であり聴覚の対象である。これらが、意義を表すのはこの形と概念が規範により結び付けられているからであり、学習者はこの規範を学ばねばならない。形が何かを示すのではない。
では、「ニ場珍説」のいう「場所」や同類の「到着場所(着点)」とはどのような概念であろうか。「場所」を見てみよう。
ば‐しょ【場所】
①ところ。場。位置。「置き―」「居―」
②いどころ。場席。「自分の―を確保する」
③相撲を興行する所。また、その興行。「夏―」
【広辞苑】
が示すように話者、聞き手とは独立に存在する客体であり、「到着場所(着点)」も同じ客体である。しかし、格助詞「に」が表すのは、このような客体の概念ではない。「場所」や「到着場所(着点)」の認識から生まれた話者の意識、主観の直接の表現であり、これを時空間に位置付ける意識を表していることが判る。
★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。
という文で示されている「場所」や「到着場所(着点)」を表しているのは、「公園」「大阪」であり、「に」ではない。当然ながら、
★ 友人に会う。
★ 5時に会議が始まる。
★ 先生に本をもらいました。
の「友人」「5時」「先生」は客体であり、「場所」や「到着場所(着点)」ではない。格助詞「に」の意義とは、これら対象を捉えた意識、主観そのものである。
★ 公園【に】行く。
の「に」が場所を表すというのは、語「に」ではなく、この文が表す意味の解釈でしかなく、この意味と語の意義を混同した誤りでしかない。先に言われた文法観の相違などではなく、言語観、文法観の誤りなのである。
これは、回答者だけではなく現在の言語学、日本語学、文法学、日本語教育学のレベル、欠陥を反映したものといわなければならない。
回答者諸子はこうした言語の表現過程、規範による媒介構造を理解することなく、学校文法レベルの思い込みをもとに感覚的な回答を繰り返しているに過ぎないと感じるものであるが、諸賢はいかが判断されますでしょうか。
忌憚のない御意見、御批判をいただきたい。■
A 回答 (58件中1~10件)
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No.59
- 回答日時:
#56です。
>自分の矛盾点に関して《潔く誤りを認める》ことは一切やらない輩が何を言うとるのかね???(爆笑)(爆笑)(爆笑)(爆笑)(爆笑)
:
残念ながら、それは事実に反するな。
《潔く誤りを認める》ことは良くやっておるぞ?
やりすぎるぐらいにな?(爆笑)
逆に、君が《《潔く誤りを認める》ことは一切やらない輩であることは、誰もが認める公然の事実だ。
そういう口を利くのであれば、今後見逃すことは一切せず厳しく追及するが、それでも構わんのかな?(笑)
赤子の手を捻るようなことをするのも大人げないので、可能な限り目をつぶって、要点に集中できるようにしてやっているのに、まったく反省が無いカスだわい。
というか、だからこそのカスであったな。(爆笑)(爆笑)(爆笑)
>>赤子の手を捻るようなことをするのも大人げないので、可能な限り目をつぶって、要点に集中できるようにしてやっているのに、まったく反省が無いカスだわい。
こんな戯れ事しか言えないのかね!
観念論のオッサン!
まったく反省が無いカスだわい。
というか、だからこそのカスであったな。(爆笑)(爆笑)(爆笑)
■
No.58
- 回答日時:
#55です。
>先生という空間的地点
って何なの?
:
先生が空間的存在じゃなかったら、生徒が駆け寄ることはできんだろ?
地球規模でみれば、先生だって一地点に決まってる。
>★先生に本をもらいました。
☆先生から本をもらいました。
これらの文の違いは何かね?
先生が本の移動の始点であることは同じだが、「に」と「から」で、どこが違うかわかるかね?
じっくり考えないといかん。
:
そうか、まさか、この箇所でオーム返しが来るとは予測してなかったな。
要するに、答えられない、わからない、ということだね。
ま、それが君の限界なのだろう。
ポカンと口を開けて待ってるだけじゃいかんぞ?
脳みそにカビが生えんうちに、たまには、じっくり考えてみたまえ。(笑)
これらの文の違いは何かね?
先生が本の移動の始点であることは同じだが、「に」と「から」で、どこが違うかわかるかね?
じっくり考えないといかん。
答えられないのね!
ポカンと口を開けて待ってるだけじゃいかんぞ?
脳みそにカビが生えているようじゃが、たまには、じっくり考えてみたまえ。(笑)
ま、それが君の限界なのだろう。■
No.57
- 回答日時:
#54です。
>>「を」の場合は、《動的に捉え位置付ける》対象ではないのかね?
判らん人やね!
対象自体ではないの。
対象の捉え方、認識の相違なの!
:
そもそもだが、これは君の以下の発言から始まったことだ。
覚えているかね?
《☆ 本を読む。
のように表現する場合、
読むという動作の動的な目的対象として【本】が話者に認識されている。
つまり、本は読むという動作の動的な対象としての実体として認識されている。
★ 公園に行く。
の場合はそうじゃない。
公園は話者にとって動的な動作対象ではない。
なぜかというと、「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられるからだ。》
だから、
☆公園を造る。
の場合は、《動的に捉え位置付ける》対象ではないのかね?
と尋ねたわけだ。
ま、それはいい。
ただ、重要な点から離れすぎないように、なるべく君の表現に沿う形でもう少し述べてみよう。
★ 公園に行く。
と言う場合、公園は話者にとって動的な動作対象ではない。
なぜかと言うと、「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられるからだ。
一方、
☆公園を造る。
と言う場合、公園は話者にとって動的な動作対象だよね。
つまり、公園は造るという動作の動的な対象としての実体として認識されているわけだ。
しかし、「行く」も「造る」も動詞なのだから、本来、どちらも「動的な動作」のはずだ。
あえて例を付け足すなら、
★ 公園を行く。
だって動的な動作だ。
であるなら、なぜ「行く」という【動作】は「に」を使うと静的動作に変わるのか?
という根本的な疑問が生じるはずだ。
「に」が位置付けの意義を表わすからだと答えても良いだろう。
しかし、それは表面的すぎる。
例文を良く見てほしいのだが、
「行く」も「造る」も、それぞれ「に」、そして「を」を通して「公園」に関わっている動作だ。
つまり、
「行く」は「に」を通して「公園」に関わるから、動的動作から静的動作に変わるわけだ。
そうすると、では、
「行く」は「に」を通して【どのように】「公園」に関わるから動的動作から静的動作に変わるのだろうか?
という疑問が生じないかね?
答えを端的に言うと、
「行く」は、「に」を通して「に」の意義である【「位置付けられる」という認識によって】「公園」に関わるから動的動作から静的動作に変わる。
となるだろう。
つまり、
【格助詞「に」は、動作・作用などを時間的・空間的・心理的に位置付ける認識を表わすことによって、位置付けられた先である客体を表わす。】
というのが、「に」の本質にふさわしい意義の解釈だ。
これをかいつまんで言うと、
【格助詞「に」は(時間的・空間的・心理的)(広義での)場所を表わす】
となる。
繰り返すが、三浦が「位置付ける」という認識を採用したのはさすがだと言える。
しかし、彼は、それを移行の要素を持つ動詞だけに限ってしまったため、「に」の意義の本質から(おそらく彼も知らぬ間に)離れてしまうことになったのだと思われる。
いずれにせよ、「行く」という動作が「に」を介して「公園」に位置付けられるからこそ「行く」は動から静に転じるわけだ。
動作を無視して「公園に」に着目するだけで、
《公園は話者にとって動的な動作対象ではない。》
と言うのは不合理だ、とは思わんか?
という前回の問いを、もう少し詳しく述べると、このようになる、ということだ。
>>なぜ「行く」という【動作】は「に」を使うと静的動作に変わるのか?
という根本的な疑問が生じるはずだ。
ここに、いつも君の根本的な誤りがあります。
「行く」という【動作】が「に」を使うと静的動作に変わる訳がないだろう。
動作とは動的な属性なのじゃ。
顔を洗って出直しなさい!
>>「行く」は、「に」を通して「に」の意義である【「位置付けられる」という認識によって】「公園」に関わるから動的動作から静的動作に変わる。
因果が逆転しているのが理解できないのかね!
>>【格助詞「に」は、動作・作用などを時間的・空間的・心理的に位置付ける認識を表わすことによって、位置付けられた先である客体を表わす。】
大分、脳みそがぐちゃぐちゃになっておるの~!
ここに、<二場珍説>の本質が露呈しておるわ!
先に指摘の通り、君は観念論を展開しているのじゃが、その点を自覚しているのかな?
>>【格助詞「に」は(時間的・空間的・心理的)(広義での)場所を表わす】
となる。
本当に大丈夫なのかね?
>>《格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表している》ことを私が否定したことは一度もないはずだが?
否定したことがあるというなら、その箇所を明示したまえ。
などと大見得を切ったのはどこのどいつじゃ!
>>「行く」は動から静に転じるわけだ。
などと戯れ事を繰り替え明日のは止しなさい!
■
No.56
- 回答日時:
#53です。
>潔く誤りを認める意外に再生の道はありませんよ!
:
こりゃまたまた大笑い!!!
自分の矛盾点に関して《潔く誤りを認める》ことは一切やらない輩が何を言うとるのかね???(爆笑)(爆笑)(爆笑)(爆笑)(爆笑)
No.54
- 回答日時:
#51です。
>格助詞「に」と「を」の相違は対象を静的に捉え位置付けるか、動的に捉え位置付けるかの相違で、対象自体の相違ではなく、話者による捉え方の相違です。
:
「を」の場合は、《動的に捉え位置付ける》対象ではないのかね?
>>「を」の場合は、《動的に捉え位置付ける》対象ではないのかね?
判らん人やね!
対象自体ではないの。
対象の捉え方、認識の相違なの!
ここで、君はいつもこけるのよ!
■
No.52
- 回答日時:
#50です。
1.
>>【客体(父)の位置付けという観点から「に」が使われます】
と捉えている
のは明らかじゃろう!
:
それは違うね。
【この移行による位置付けという観点から「に」が使われます】
と三浦は言っている。
単に、
【客体(父)の位置付けという観点から「に」が使われます】
と言っているわけじゃないことは明白だろうが???
2.
>【運動し変化したことを意識して位置づけする【場合】もあります。】
→【場合】という条件付きが理解できぬのか!
:
意義というものに【場合】という条件を付けているところが間違いだ、ということだよ。
【空間的・時間的な位置付けの意識が「に」で表現されます。】
とは別に
【運動し変化したことを意識して位置づけする場合もあります。】
と言っているのだから。
意義が何種類もあるわけないよな?
【運動し変化したことを意識して、空間的・時間的に位置づけする場合もあります】
というなら理解できるが、三浦はそうは言っていないだろ?
3.
>>「に」によって「(私が)もらう」という動作が先生に位置付けられた
のではなく、「(私が)もらう」という動作の始点としての【先生】が「に」によって位置付けられておるのじゃ!
「(私が)もらう」という動作は当然ながら、「私」の動作ではないのかね?
馬鹿も休み休みにしたまえ!
:
言いたいことはよくわかる。
たしかに、ここは難しい所だ。
しかし、極めて重要なところでもあるのだぞ?(笑)
ま、いきなりは無理かもしれんが、
☆先生から本をもらいました。
と比較しながら吟味してみたまえ。
先生が始点であることは同じだが、どこが違うかわかるかね?
じっくり考えないといかんぞ?
慌てる乞食はもらいが少ない
という故事ぐらいは知っておろう?(笑)
4.
>>「に」によって「もらう」という動作が先生に位置付けられることで、先生はもらうという動作の始点を表わす。
本当に阿呆か?
貰ったのは先生か?
【私】だろう!(奴)
:
これも気持ちはよくわかる。
先生はもらうという「動作の」始点だ。
「本」の移動の始点と混同してはいけない。
5.
>>「に」によって「もらう」という動作が先生に位置付けられることで、先生はもらうという動作の始点を表わす。
などという意味不明なことを君は喚いているわけだが、
:
今の君には無理だったかもしれんな?
これを「意味不明」と感じること自体、君の限界だということだね。
>>たしかに、ここは難しい所だ。
しかし、極めて重要なところでもあるのだぞ?(笑)
ま、いきなりは無理かもしれんが、
ま、何が難しいのか?
日本人であれば容易に理解できるのじゃが?
しかし、極めて重要なところでもあるのだぞ?(笑)
ま、いきなりは無理かもしれんが、
>>これも気持ちはよくわかる。
ほほう!
で、何が理解できないのかな?
>>これも気持ちはよくわかる。
先生はもらうという「動作の」始点だ。
「本」の移動の始点と混同してはいけない。
ほほう!
で、何が理解できないのかな?
「本」の移動の始点と同じことが理解できんのかね?
それとも、「先生」が移動したのかね!
君の日本語理解はどうなっているのじゃ?
頭をかち割って覗いてみたいものじゃ!
今の君には無理だったかもしれんな?
この程度の理解もできないこと自体、君の限界を露出しているということだね!
まずは、再三再四注意しているように、『日本語はどういう言語か』をキチンと最初から読み、理解しなさい!
ただ読めば分かるというものでないことは、君のこれまでの応答が如実に露呈している通りじゃ。そのための参考書も指導、指摘しているが、そもそもまともに本を読んだことがないのじゃろう?
というか、読めないといわなくてはならないね!
残念ながら!
■
No.51
- 回答日時:
#49です。
>公園≠動的な動作対象
でしょ!
当たり前田のクラッカーでは?
:
☆公園を造る。
の場合は?
こういう質問をする所に、君の基本的な言語に対する誤認、欠陥が露呈しています。
根本的な欠陥を露出しましたね!
何度も指摘しているように言語表現は、対象→認識→表現という過程的構造を持っています。
しかし、君には認識という過程を理解できないために、動的、静的を凡て対象自体の在り方に押し付けています。
格助詞「に」と「を」の相違は対象を静的に捉え位置付けるか、動的に捉え位置付けるかの相違で、対象自体の相違ではなく、話者による捉え方の相違です。
この無理解、根本的な言語理解の欠陥が君の<ニ場珍説>を支えています。■
No.50
- 回答日時:
#48です。
今回は若干だが込み入った論理になっているため、難しかったかもしれないね。
ま、こちらの表現不足もあるだろうから、君だけを一概に責めるつもりはない。
改めて解説するので素直に読んでみてくれたまえ。
1.
>君は、「家」「父」を「位置付けられる先」だと誤解しているが、正しくは話者によって「位置付けられる対象」だ。
:
三浦がそう言っていることは前提にして論を進めたつもりだ。
ここでは、「位置付けられる先」であることを主張している場面ではない。
つまり、
《君の言うとおり、三浦は、「家」「父」を「位置付けられる対象」と捉えていたようだが、正しくは「位置付けられる先」だ。》
ではなく、
《君の言うとおり、三浦は、「家」「父」を「位置付けられる対象」と捉えていたようだ》
と書き直しても一向に差し支えないので、そのつもりで以下を読んでくれたまえ。
2.
>>「に」の本質的意義を解説する場面で、こうした「個別の意味」の一例として「移行」という概念を示してしまった、という矛盾に彼は気づいていなかったのだと思われる。
などは、君の思い込みに基づく初歩的な誤読であることを理解したまえ。
:
「思い込み」でないことを論理的に説明したつもりだが、提示した論理が理解できなかったようだね。
以下で要点を端的に述べてみよう。
★父に巡り合う。(状態の移行)
【「あう」ということは、二人が並んでいない状態から並ぶ状態へ移行するという過程を含んでいます。】
【この移行による位置付けという観点から「に」が使われます】
と三浦は言う。
大事なのは、この時点(の彼の思考)において、
【客体(父)の位置付けという観点から「に」が使われます】
と捉えているわけではない、という点だ。
あくまで、
【動作の!】移行による位置付けという観点。
ということ。
つまり三浦は、「に」の意義が、
【動作の!】移行
にあることを無意識的に鋭く察知していたわけだ。
しかし、意識的には、「巡り合う」「なる」「おくる」のように、【移行の意味を含む単語だけ】に、その意義があると考えてしまった、
それが、
【空間的・時間的な位置付けの意識が「に」で表現されます。これは固定したつながりとしての意識ですが、運動し変化したことを意識して位置づけする場合もあります。】
という表現に現れている。
このように考えることで、《【動作の!】移行》は、「に」の意義から【移行の意味を含む単語だけ】の意義(意味)に矮小化されてしまった、ということ。
そのため、
★私は立派な人間になりたい。(属性の移行)
《立派じゃない人間から立派な人間に移行する》のように解釈してしまった。
これは、明らかに、「なる」という個別の動詞が持つところの「移行」の要素だけに着目してしまったからだろう。
無論、間違いではないのだが、「に」自体の持っている「移行」の意義が置き去りにされている点で不備があるわけだ。
本来は、
★父に巡り合う。(状態の移行)
の場合と同様に、
【「なりたい」ということは、なっていない状態からなる状態へ移行するという過程を含んでいます。】
のように解釈しないと一貫性が無い。
そして、このように解釈することで、
《「に」は、「なりたい」という願望の「位置付けられる(移行する)先」が「立派な人間」であるという認識を表わす。》
という正しい理解につながる。
だからこそ、
「に」は属性の移行先を表わす。
という表現も可能になるわけだが、これは、たまたま「なる」に移行の要素が含まれているからであって、「に」そのものが《属性の移行先》を表わすわけではないのだ。
「に」そのものが表す「移行先」とは、あくまで「動作・状態」なのだ。
この点を三浦は混同していた、という推測が論理的に可能になると思う。
もっとも三浦ですら混同していたロジックだから、君が理解できないのは、むしろ当然かもしれんな。(笑)
3.
>★ 先生に本をもらいました。
★ 妻に別れる。
★ 会社に見切りをつける。
★ 5時に会議が始まります。
の「に」のどこが<動作の「位置付けられる(移行する)先」>なのじゃ!
移行の始点を位置づけておろうが!
たわけ者!
:
もっともな疑問だね。
気持ちはよくわかる。
何度も説明してきたはずだが、頭を柔らかくしないと理解は難しいかもしれない。
★ 【先生】に本をもらいました。
を取り上げてみよう。
これは、三浦も言うように、
【「もらう」ということは、もらっていない状態からもらう状態へ移行するという過程を含んでいる】ことになる。
当然のことながら、
《「に」は、「もらう」という動作の「位置付けられる(移行する)先」が「先生」であるという認識を表わす。》
というのが正しい解釈になる。
「(私が)もらう」という動作が、「先生」という空間的地点に存在する。
のように捉えれば多少は理解しやすくなるかもしれんな。
この場合、先生はたしかに「本が移動する始点」なわけだが、「(私が)もらう」という動作の始点ではないのだよ。
つまり、ここが極めて重要な点なのだが、
「に」によって「(私が)もらう」という動作が先生に位置付けられたからこそ、先生は「本が移動する始点」になり得ている、ということだ。
そこから、結果的に、
《使役や受身、やりもらいなどの表現とともに使って》もとの動作・作用の主体を表す。
などという辞書語釈も導かれる。
無論、これは「に」の本質的意義ではない。
あくまで、《使役や受身、やりもらいなどの表現》などとともに使った場合の話だ。
そもそもだが、君は、
「先生」は「本の」《移行の始点を位置づけておろうが!》
と喚いていることに気づいておるのかね?
「に」の意義としてはあくまで「動作・状態の移行」について述べている場面なのだから、とんだお門違いだ、ということぐらい気づけなくてはいかんね。
いずれにせよ、
★ 【先生】に本をもらいました。
「に」によって「もらう」という動作が先生に位置付けられることで、先生はもらうという動作の始点を表わす。
というのが正しい解釈になる。
《「もらう」という動作が先生に位置付けられる》などというややこしいことを言うな、と君は喚いているわけだが、そもそも、今は、
「に」の意義について論じている
ということを忘れてはいけない。
こうした本質構造を無視して「に」の意義を語ることは誤謬につながるということだ。
今回は若干だが込み入った論理になっているため、難しかったかもしれないが、この程度のことも理解できんのかね!
全く、困りもんじゃ!
改めて解説するので素直に読んで、きちんと理解してくれたまえ。
1.
>>書き直しても一向に差し支えない
最初からそうしなさい。紛らわしい!
2.
当然、君の思い込みに基づく初歩的な誤読であることを理解したまえ。
>>【客体(父)の位置付けという観点から「に」が使われます】
と捉えている
のは明らかじゃろう!
>>意識的には、「巡り合う」「なる」「おくる」のように、【移行の意味を含む単語だけ】に、その意義があると考えてしまった、
今度は勝手に、意識的とは何じゃ!
【運動し変化したことを意識して位置づけする【場合】もあります。】
→【場合】という条件付きが理解できぬのか!
>>無論、間違いではない
であれば、グダグダ言い訳は見苦しい!
>>《「に」は、~》ではなく、この《この文では、~》ということが理解できておらんな!
>>《「に」そのものが表す「移行先」》という君の妄想のしからしむるところだが論理が理解できるのかな?
もっとも三浦のロジックが、君【に】理解できないのは、むしろ当然ということじゃ!(笑)
3.
>>「(私が)もらう」という動作が、「先生」という空間的地点に存在する。
日本語かね?
つまり、ここが極めて重要な点なのだが、
>>「に」によって「(私が)もらう」という動作が先生に位置付けられた
のではなく、「(私が)もらう」という動作の始点としての【先生】が「に」によって位置付けられておるのじゃ!
「(私が)もらう」という動作は当然ながら、「私」の動作ではないのかね?
馬鹿も休み休みにしたまえ!
とんだお門違いだ、ということぐらい気づかなくてはいかんね。
>>「に」によって「もらう」という動作が先生に位置付けられることで、先生はもらうという動作の始点を表わす。
本当に阿呆か?
貰ったのは先生か?
【私】だろう!(奴)
>>「に」によって「もらう」という動作が先生に位置付けられることで、先生はもらうという動作の始点を表わす。
などという意味不明なことを君は喚いているわけだが、今は、
「に」の意義について論じている
ということを忘れてはいけない!
君の論理破綻が露出したようじゃな!■
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>>正しくは、《【動作】を位置付ける機能(働き)を果たす(発揮する)》なのだ。
「動作」も名詞であり、客体です。
基本的に、客体的表現と主体的表現の語の相違と関連が全く理解できていませんよ!
「~を位置付ける」の対象「~」は客体で、この客体を認識し位置づける主観の認識を直接に表現する(表す)語が格助詞「に」ということです。
この媒介構造をきちんと理解しないと混乱、混迷するしかありません。■
従って、以降の回答の記述は意味を持たなくなります。
言語表現は、対象→認識→表現という過程的な構造を背後に控えた表現で、この過程的な構造を捉えることができないと対象と表現の次元を混同し混乱する結果になるということを御理解いただければ幸いです。■
☆ 本を読む。
のように表現する場合、
読むという動作の動的な目的対象として【本】が話者に認識されている。
つまり、本は読むという動作の動的な対象としての実体として認識されている。
★ 公園に行く。
の場合はそうじゃない。
公園は話者にとって動的な動作対象ではない。
なぜかというと、「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられるからだ。
「行く」は、あくまで動的概念としての行動を表し、公園という空間的地点に位置付けられただである。
格助詞「に」は『静的対象として空間的な場所に位置付けるだけで、実際に動的な行為の対象ではない』
とも言えるだろう。
この「位置付ける」という本質を端的に表わすのが「に」という助詞なのだが、もう少し理解が進んでからでないと君に理解は難しいかもしれない。
ともかく、こうしたことを頭に置きながら『日本語はどういう言語か』(季節社版)の
【空間的・時間的な位置付けの意識が「に」で表現されます。これは固定したつながりとしての意識ですが、運動し変化したことを意識して位置づけする場合もあります。】
という解説を味わってみてくれ。
※※※※※
くだらんオーム返しするしか能が無いのかね?
自分で自分の能力を憐れに感じることはないのか?
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