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関東平野の隆起について、ふと疑問がわきました。
茨城県坂東市というところにおりまして、昔平将門公が、石岡市の国府に襲撃に行ったとあり、沼地のような中を馬ですすむ絵巻をみました。
また、石岡市の1000年前ごろの地図をみますと、
石岡国府は台地としても、当時の霞ヶ浦は、海みたいにずぶずぶにみえて、今に比べて、どこそこ沼か水だらけのようにみえます。
長年の治水工事の賜物なのでしょうか。
普通に考えると、今の方が温暖化などで水位があがっててもいいような気がするのですが。
東京湾などは江戸時代の始まりに大掛かりな治水工事をしたとききます。
教えていただければ幸いです。
局部的な質問ですがよろしくお願い申し上げます。

A 回答 (2件)

気がついたことを坂東市を例に回答します。


 坂東市の南部に矢作新田という所があります。新田というのはだいたいは近世以降に開発されたところになります。それ以前はずぶずぶの沼沢地だったかと思われます。
 この付近は利根川と飯沼川や鬼怒川に挟まれた低地で、川沿いには自然堤防ができますから、周辺に降った雨水が流れ込んで集まってくるものの、自然堤防を越えて川に排水することができずいつまでもたまったままになります。
 新田を作ったときには流れをよくしてどこかに雨水を集めたものと思われます。
 現在でも同じような事が起こりますが、集まった水をポンプで汲み上げ利根川に強制的に排水しています。そのおかげで、広い地面ができたようです。
(大雨で排水が間に合わないと周辺も水没することがあります)

ポンプ場は、グーグルマップでは以下のリンク先にあります。ストリートビューに移ると昭和61年3月に竣工したことが確認できます。
https://www.google.co.jp/maps/@35.9756095,139.91 …
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この回答へのお礼

ご回答を、誠にありがとうございます。 

やはり、人の力によって、少しずつ、埋め立てや治水工事などで整地されていったというところでしょうか。
そもそも湿地帯気味(ずぶずぶ)の粘土質な土地だからこそ、稲作に向いている。ということにも
なるような気がします。
江戸の治水工事同様に、関東平野各地でも治水はきっと要だったのでしょうね。
川の水を調節して田んぼとして整える

近隣に伊奈忠次という人が小貝川の治水工事をして
伊奈町になったというのを思い出しました。
(現つくばみらい市)
丁寧なご説明を誠にありがとうございます。
しばらく、近隣の歴史を探りながら学んでいこうと思います。
それでは失礼します。
ありがとうございます。

お礼日時:2021/09/23 19:32

縄文時代に比べれば海水面は下がっているけど、その後はほとんど上下はないよ。



日本の人口は江戸時代でも一千万ちょっと。
千年前なら数百万人。
とうぜん誰もいない空間が多い。
そういうところは湿地などの荒れ地になる。

荘園経営や戦国大名の国力増強策、江戸藩の財政策はいずれもコメ経済が中心であり、米の増収は優先課題だった。
時代が進むにつれ開発地も増えた。
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この回答へのお礼

迅速なご回答をありがとうございます。

人口の少なさ、未開拓ということが、
そのような様になっているんですね。
先人の努力の上に現在があるんだ。ということに気づくことができました。

誠にありがとうございます。
失礼します。

お礼日時:2021/09/22 18:21

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