
・正しい⇒情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。
・間違い⇒▷人に情けをかけるのは自立の妨げになりその人のためにならない、の意に解するのは誤り。
(広辞苑)
https://sakura-paris.org/dict/%E5%BA%83%E8%BE%9E …
およそこういう解説が一般的と思います。
しかし、事実として、
《情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。》
という解釈は本当に正しいでしょうか?
たしかに《めぐりめぐって自分によい報いが来る》ことはあるでしょう。
しかし、《めぐりめぐって自分によい報いが来ない》ことだって大いにあるはずです。
その場合、(辞書の語釈通りであれば)情けをかけたことは自分にとって意味が無かったことになるわけですが、それはおかしいだろう、というのが私の言いたいことです。
『情けを人にかけることは有益な行為だ。なぜなら、情けを人にかけるという行為自体によって自己満足が得られるからである。』
良くも悪くもこれが真実じゃないかと思うのですが、みなさんのご見解を教えてください。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
《情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。
人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。》
という解釈は本当に正しいでしょうか?
↑
事実としては正しく無いと思います。
自分に良い報いが来る、なんてのは
現実にはまず有りませんし
ワタシも経験したことは一度もありません。
『情けを人にかけることは有益な行為だ。なぜなら、
情けを人にかけるという行為自体によって自己満足が
得られるからである。』
良くも悪くもこれが真実じゃないかと思うのですが、
みなさんのご見解を教えてください。
↑
それが真実でしょうね。
身も蓋もないけど。
一瞬プラグマティズムだと理解しています。
真実が何の役に立つというのか。
犯罪が減り、皆が幸せになれるなら
ウソでもなんでもありだろう。
それを行うことにより、気持ちが良くなれば
それで良いではないか。
それで今日一日心地良く過ごせれば
それで良いだろう。
ご回答ありがとうございます。
>真実が何の役に立つというのか。
犯罪が減り、皆が幸せになれるなら
ウソでもなんでもありだろう。
:
まさに言いたいことは、そこなのですよ。
そういう非論理性に基づいた幸せの基準が蔓延するということは、とりもなおさず、非論理性に基づいた不幸の基準が当たり前のように蔓延することも自ら容認してしまうことになるのではなかろうか?
という問題提起です。
実際、世の中ってそういう傾向が顕著すぎませんかね?
なぜ気づかんのか、お前らアホなんか?
と言いたいわけです。(笑)
No.9
- 回答日時:
私は割と旧家の流れですが、「情けは人の為ならず」は、「家訓(処世訓)」に近い考え方ですね。
また「自己満足」と言うよりは、「自己実現の法則」です。
そう言う前提で、以下はご参考程度に。
一過性でちょこっと情けをかけるくらいは、誰でも出来るし、やってるでしょ?
そんなことで、良い報いを期待するのは、ちょっと甘いと思います。
我が家の家訓は、もうワンランク厳しく、「見返りを求めず、やり続けろ」みたいな感じ。
やり続けるのは大変で、「努力」が必要ですが、努力を重ねたら「実力」になります。
「その実力を得ること」が、最大の見返りであって、やり遂げたら、確実に得られるものでもあります。
逆に、情けを施したことに対する直接的な見返りなど、「おまけ」くらいのもので、「あればラッキー!」ですが、さほど期待はしてません。
一般論で考えても、何度かボランティア活動に参加した程度で、何か見返りがあるとは思えませんし、そもそもボランティアで見返りを期待するのも、どうかと思いますけど。
しかし、長年、ボランティア活動を継続している様な人は、自己満足と言うより、自己実現の領域に到達していると思いませんか?
多分、この諺も、そう言う意図を多分に含んでいると思います。
ご回答ありがとうございます。
>多分、この諺も、そう言う意図を多分に含んでいると思います。
:
最初にこの諺を造った人の意図はそうであったと思いたいですね。
ありがちなことですが後世の俗人が短絡的解釈で固定してしまった。
因みにマズローが言うほどの意志性は基本的に含んでいないと思っています。
おそらくですが無意識の超自我的満足が得られるのでしょう。
No.8
- 回答日時:
因果応報(いんがおうほう)
善行に対してはよい報い、悪行に対しては悪い報いがあるということ。
[注釈]仏教語で、善悪の因縁に応じて報いが現れる意で、現在では多く悪い意味に使われる。
[類句]善には善の報い悪には悪の報い/RUB:E積悪RUB:Sせきあくの家には必ずRUB:E余殃RUB:Sよおうあり/RUB:E積善RUB:Sせきぜんの家には必ずRUB:E余慶RUB:Sよけいあり/因果のRUB:E小車RUB:Sおぐるま
[英語例]As you sow, so shall you reap. (RUB:E蒔RUB:Sまいたとおりに刈らなければならない)
[用例]テストの結果がさんざんだったようだが、なまけて勉強しなかったんだから因果応報さ。
【学研故事ことわざ辞典】
ということです。■
ご回答ありがとうございます。
>因果応報(いんがおうほう)
善行に対してはよい報い、悪行に対しては悪い報いがあるということ。
:
それはそれで一面の真実ですね。
善行に対してはよい報い、悪行に対しては悪い報いが [ 常に ] あるというわけではありませんが、諺が一面の真実を表現するのはよくあることなので特に問題は起きません。
「情けは人の為ならず」も、
《情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。》
という解釈をするならば「一面の真実」にすぎません。
しかし、
『情けを人にかけることは有益な行為だ。なぜなら、情けを人にかけるという行為自体によって自己満足が得られるからである。』
のように解釈すれば「全面的な真実」を表わす諺になり得る。
なぜ、このような解釈をしないのかというと、それは、今までの解釈が間違っていたからということにすぎないのではないか?
という問題提起です。
No.7
- 回答日時:
ことわざというものは、絶対的な真ではない。
ある場面では真であり、ある場面では偽である。
(解釈次第ってことかなぁ)
>「めぐりめぐって」こない場合も多々あるわけですから嘘ですよね?
いや~、嘘と断言されますか。今はまだ「めぐって」来ないだけで、
これから後の未来に巡ってくるかもしれない。
解釈次第ってことでしょうネ。
ご回答ありがとうございます。
>今はまだ「めぐって」来ないだけで、
これから後の未来に巡ってくるかもしれない。
:
「かもしれない」ですか、素直なお方ですなあ。(笑)
ただ、問題はそういうことではなく、
《めぐりめぐって自分によい報いが来るとは限らない》のに、
《めぐりめぐって自分によい報いが来る》という解釈を平気でしていることに問題があるのではないか、ということです。
そもそもですが、
《いつかお返しをもらえるから、情けを人にかけておくものだよ》
なんて、いかにも「さもしい」根性だとは思われません?
しかも、
《情けを人にかけるという行為自体によって自己満足が得られる》という立派な真理としての恩恵が、「めぐりめぐってくる」のを待つまでもなく即座に得られるというのにです。
No.5
- 回答日時:
そんな事は自分で判断すればいいんだよ。
例えば「二度ある事は三度ある」と「三度目の正直」と正反対の諺がある。
どっちでも自分の都合の良い方を選択すればいい。
質問の諺は、俺は一般的な解釈を支持する。
因果応報って事もあるし。
ご回答ありがとうございます。
>例えば「二度ある事は三度ある」と「三度目の正直」と正反対の諺がある。
どっちでも自分の都合の良い方を選択すればいい。
:
おっしゃるとおりですね。
ただ、
「二度ある事は三度ある」と「三度目の正直」は、それぞれ別の諺であり、また、どちらも真実だと思います。
「二度ある事は三度ある」こともあるし、「三度目の正直」という場合もある。
重要なのは、「二度ある事は三度ある」という諺の解釈の中に「三度目の正直」という(正反対の)概念は含まれていない、という点。
つまり、片面だけより見ていない諺ではあるが《嘘はついていない》わけです。
それこそ『自分の都合の良い方を選択すればいい』で話は終わるでしょう。
今回の件に関しては、「情けは人の為ならず」というひとつの諺についての論証です。
《情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。》
という解釈は、
《情けを人にかけても、めぐりめぐって自分によい報いが来るとは限らない》という事実に反しています。
だからこの諺は間違いだ、と言っているのではなく、
《情けを人にかければ、(めぐりめぐって来るのを待つまでもなく)自分によい報いとなる。人に親切にすれば、それがすなわちよい報いとなる》
のように解釈すれば、100%真実を示す諺になるのではないだろうか?
ということ。
なぜそうなるかと言えば、
《情けを人にかけるという行為自体によって自己満足が得られるからである》と考える次第。
有体に申し上げると、
いわゆる一般的解釈とされているものは間違っているのではないだろうか?
ということですが、いかがでしょうか。
No.4
- 回答日時:
自分にとって意味が無かったことになるわけですが、..この考えがおかしい。
「情けを人にかけるという行為自体によって自己満足が得られるからである」これも、「必ずよい報いがある」の内です。金銭的な損得では無くて、気持ちや知識なども含まれます。困った人の為に色々と調べてあげれば知識なども身に付きます。まさにこの質問コーナーですね。ご回答ありがとうございます。
>自分にとって意味が無かったことになるわけですが、..この考えがおかしい。
:
どういった点がおかしいですか?
《情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。》
というのは、
《めぐりめぐって自分によい報いが来るから、情けを人にかけておきなさい》
ということに他なりません。
これは取りも直さず、
《めぐりめぐって自分によい報いが来ないとすれば、情けを人にかける必要は無い》
ということになります。
そして、実際、そういうことは多々あるわけですから、そもそもこの諺は嘘だと思われませんか?
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若干補足させていただきます。
わたしが着目したいのは、「めぐりめぐって」という表現です。
あとから何らかの恩恵が自分に返ってくる、という考え方なわけですが、これが妙にいじましく感じられるわけです。
しかも、「めぐりめぐって」こない場合も多々あるわけですから嘘ですよね?
そんなことよりも、つまり「めぐりめぐって」くる以前に、情けを人にかけた時点で、自身はすでに恩恵を受けているのではないですか?
と問いたいのです。
>「情けを人にかけるという行為自体によって自己満足が得られるからである」これも、「必ずよい報いがある」の内です。
:
「の内」ではなく、絶対的に(しかも自然に)享受できる恩恵じゃないですかね。
いかがでしょう?
>「必ずよい報いがある」
:
報いを期待して情けをかけるという、いじましさを増長しているように思うのですけどねえ・・・。
みなさんご回答ありがとうございます。
私の表現に曖昧な点がありまして、一部の回答者さんに筋の通らない反論をしてしまった部分もあります。
特に「嘘」という表現の使いどころについて安易だったと反省しつつお詫び申し上げます。
この諺は100%の真実性を示しているはずなのに、今までのような一般的な解釈は、それを歪めることによって、諺自体が嘘となる一面を不必要に形成する結果となっているのではないだろうか?
ということです。