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男子継承を徹底するためには、男子が出生するまで頑張ることが必要です。将軍家では「大奥」がありました。日本では「衣替え」のかたは寝所までお付き合いし身ごもったそうです。明治時代は、境目ですが、大日本国憲法では、どのような規定だったのでしょうか?

A 回答 (1件)

>明治時代は、境目ですが…



いやいや、明治はまだ事実上の一夫多妻でしたよ。
昭憲皇太后は全く子宝に恵まれず、のちの大正天皇は側室が産んだのです。

大正時代もまだ側室を禁ずる決め事はありませんでしたが、大正天皇には 4 人もの男子が生まれたばかりか、その後天皇は身体を悪くされてしまったので、側室を設ける必要もゆとりもなかったのです。

昭和天皇は、戦前は側室禁止ではありませんでしたが、ご自身で側室無用と明言されました。
戦後は、側室禁止がはっきり成文化されました。

つまり、境目は昭和時代となります。

>大日本国憲法では、どのような規定…

正確な文言は調べてありませんが、男系であれば「庶子」にも皇位継承権があると書かれていたのです。

>男子が出生するまで頑張ることが必要です…

健康な男女が比較的若いうちに一緒になれば、無理にがんばらなくても 8 人や 10人の子宝には恵まれるものです。
8人、9人と産んでいれば男児が 1 人もできないなんてことはまずありません。

昭和30年代ぐらいまでは、小学校の 1 クラスに 8人兄弟とか 10人兄弟が何にもいて珍しくもなんともなかったのです。

それが上皇陛下の時代から 2 人か 3人しかお産みにならないようになってしまったので、昨今騒がれている異常事態になってしまったのです。

悠仁さまには是非とも産児制限などなさらず、自然のままに子作りしていただくことを切望するものです。
これで天皇家安泰の道が開かれるのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ただ、兄弟が10人の級友もいましたが、一人の子もいました。親戚では6人連続、女子という家もあります。安倍さんは「側室」が必要!と言っているような気がしています・・・・

お礼日時:2021/10/27 15:09

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