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薩摩隼人、黒田武士、武士道というは死ぬ事と見つけたり」の葉隠は鍋島藩,等、九州男児とは良く言いますけど最後まで秀吉に反抗したのは、青森県の九戸氏です。伊達政宗も最後まで秀吉に従うか?ギリギリまで考えた
のは有名ですけど、何故あまり東北の武士には、そんな言葉がないんでしょうか?

A 回答 (1件)

合戦の経験値の差でしょうか。


北国では冬の間は、雪で合戦は出来ず、春から秋は田植えから稲刈りで食料を確保する必要があるため、やはり合戦には不向き。1年のうちで合戦が出来る時期は極めて少ない。同時に長期戦になりそうな可能性を避けるため、せいぜい小競り合い。
武士として活躍する場があまりなかったため、適当で良いという感覚に。

秀吉は、九州攻めで薩摩まで遠征したけど、北方に関しては、小田原城攻めを見せて、外交的に解決している。ここでも、合戦なし。

九州は、南端の島津家と、本州から侵略してくる毛利に挟まれた激戦区だったので、自然、武士としての生き方を考えるようになった。
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