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空海は、晩年、長安に帰りたくなったでしょうか?

A 回答 (6件)

晩年に当たる時期は、弘法大師が滞在していた時代の唐とは違い、士大夫と宦官の権力争い(甘露の変)が激化し、歴代皇帝が宦官によって暗殺されていました。



なので、長安で共に過ごした人々の身を案じても、長安行きは望まなかったでしょう。

仮に晩年を過ごし、入定するよりも俗世に留まり続けたとしても、後に即位する武宗が会昌の廃仏と呼ばれ、三武一宗の法難(中華王朝が行った仏教への大弾圧)の1つにも数えられる弾圧を行っているので、決して幸福ではなかったと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
当時は、治安の悪さと弾圧があったのですね。

お礼日時:2021/11/19 07:46

未練があったのなら、あんなに早く帰国しなかったでしょう。

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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/11/19 07:46

こればっかりは、聞けないからなぁ。


でも、日本で遣り甲斐は有ったでしょう
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<遣り甲斐は有った>でしょうね。

お礼日時:2021/11/18 11:17

それはないでしょう。


空海が訪中していたのは2年間です。
すでに中国の師匠の恵果和尚も亡くなっていますしね。

彼は日本において密教を定着させるために努力していました。
特に中国に再度行きたいとは思わないでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<日本において密教を定着させるために努力>し成功していますね。

お礼日時:2021/11/18 08:52

中国料理でも食うかい?


wwwwww
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/11/18 08:01

空海は日本人なんでしたよね?

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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/11/18 08:53

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