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弘法大師空海は次男と聞きました。
では、その兄について、どのような方であったのかを調べた限りでは不明です。
もし、ご存じの方がいらっしゃれば、出来るだけ詳しく教えて頂けたら有り難いです。
よろしくお願い致します。

A 回答 (2件)

https://ameblo.jp/lunlun-koubou/entry-1275862102 …
弘法大師の一家で、名前が残っているのは、

父=佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)=善通(よしみち)
母=阿刀阿古屋(あとあこや)=玉依姫(たまよりひめ)
長男=鈴伎麻呂(すずきまろ)
次男=酒麻呂(さかまろ)
三男=魚主(うおぬし)
四男=眞魚(まお)=《空海》 *三男とも言われています
五男=真雅(しんが)

空海の上に、さらに姉が数人いたと考えられています。
さらに、弟の真雅(しんが)とは、20歳以上の年の差があったそうです。おそらく阿古屋(あこや)の他にも妻がいたのでしょう。
長兄の鈴伎麻呂(すずきまろ)から酒麻呂(さかまろ)と魚主(うおぬし)は官僚でした。だいたいくらいは中くらいで、まずますの家柄です。
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この回答へのお礼

助かりました

ご回答誠に有り難うございます。
こんなにも兄弟が多く居たことにも驚きましたが、なかなかのエリート一家だったということですね。
また、ふじもとのりこさんのブログのご紹介も非常に興味深く、読んでいてワクワクしました。
早速「空海を知る」を1から読んでみたいと思います。

以前、空海が産まれたとされる屏風ヶ浦を訪れたことがありますが、眞魚少年が遊んだという砂浜に立つと目の前がまさに空と海でした。

しかし、才能があるがために多くの期待を背負った人生は、ことのほか苦労が絶えなかったのでは、と。
空海を支えた人々も含め、その苦労を労いたいという気持ちになりました。
ご回答に心より感謝申し上げます。

お礼日時:2024/04/03 07:50

真雅(しんが、延暦20年(801年) - 元慶3年1月3日(879年2月1日))は、平安時代前期の真言宗の僧。

父は佐伯田公。空海の弟。讃岐国多度郡屏風浦の出身。空海の十大弟子の一人。清和天皇の誕生以来の護持僧で、天皇とその外祖父藤原良房から厚い信任を得る。清和天皇の御願寺である貞観寺の開基。貞観寺僧正・法光大師と称される。
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この回答へのお礼

ありがとう

早速のご回答誠に有り難うございます。
詳しいご説明で、初めて知り得たことでしたが、やはり屏風ヶ浦出身なのですね。
空海は有名ですが、空海に関わった人々にも興味があります。

お礼日時:2024/04/02 07:48

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