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軍部独裁の乱世に入る前から、明治政府の初期の首相は、黒田清隆、山縣有朋、桂太郎などと軍人出身者が多いのは何故なのでしょうか?
同時期の他国の宰相の経歴は法律家とか純粋な文官ばっかりです。
単にその様な学識のある適任者がいなかった…という事になるのでしょうか?

A 回答 (5件)

軍人は「集団統率」のプロ。


なにしろ部下を死地に赴かせないといけないのである。
なままかなことでは務まらない。
その技能は政治の世界にも転用できる。

戦前日本だけではない。
古代ローマはミリタリーとシビリアンの区分けがなかった。
アメリカのアイゼンハワーは、第二次大戦の大西洋戦線総司令である。
イギリスもフランスもしかり。
プロイセンのビスマルクも、軍人上がりである。

むしろ、軍人として培ったバランスが政治にも絶対不可欠、といえるかもしれない。
日本でそれが悪く言われるのは、戦中日本があまりにもひどかったからである。
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高杉晋作らが、中国に出かけ、


奴隷化されている中国人を目にして
危機感を抱き、
明治維新になった訳です。

その後は、列強の殖民地にされまい
とする戦争の連続でした。

だから軍人の発言力が強くなった
のです。
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明治政府の初期の首相の学齢期(江戸時代末期)に、まともな教育機関は日本にありませんでした。

 しかもみんな地方出身者ばかりで、せいぜい藩校などで学んだだけです。
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明治政府というのは、革命政権であったと言うことと、明治になってからも国内で内戦が起こっていた。


武力集団でもあった武士から俸禄という毎年あたりまえのように受け取っていた生活のためのお金や、部下を養うためのお金の全てを明治政府は奪ってしまったのだ。
なかには飢えて死ぬ者まで出たわけで、武道を職業としてきた武士が全国に山ほどいて、それが明治政府を死ぬほど恨んでいるという状況だ。
西南戦争では政府軍がかろうじて勝つことができたが、あのようなことが全国で起きたらたちまちにして明治政府はつぶれてしまうと言う状況にあったのだ。
軍や警察の力が強くなるのは当然だ。
しかしながら、力だけで押さえ込むのには限界を感じた初代首相の伊藤博文などが考えたことは、天皇を利用することだったのだ。
天皇は無力で何の権限も無かったのだが、ヨーロッパの王室を参考にして皇室や天皇制を作り、天皇の軍隊とすることで反乱を抑え込もうとした。
結果的に大成功をしたのだが、これに味をしめた軍部が天皇の権威を笠に着て横暴な振る舞いをし始め、昭和に入るとのぼせあがった軍部は世界に向けて横暴な振る舞いをするようになっていって、ついにはアメリカにまで戦争を仕掛けるという無謀なことをして自滅していった。
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明治維新が薩長同盟による徳川家への軍事クーデターであるとして理解できない?


他国はこの時期に革命起きていませんので。
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