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非常に大雑把にですが以下のように言うことはできますよね?

ソシュールはラング(言語規範)を愛しすぎてパロール(話者の認識)をないがしろにしすぎた。
時枝はパロール(話者の認識)を愛し過ぎてラング(言語規範)をないがしろにしすぎた。
三浦はラング(言語規範)とパロール(話者の認識)を結婚させた。

A 回答 (14件中11~14件)

>>《話者の認識によって表現された言語》と言うべきだ、ということですか?



話者の認識と表現は別ものです。
絵、音楽他、表現には種々あります。

パロールこそが言語です。

認識と表現の関係が理解できていませんね。

パロール(話者の認識)ではありません。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>パロール(話者の認識)ではありません。

《話者の認識によって表現された言語》
という表現を提示しましたが、これも間違っているということですか?

お礼日時:2022/01/28 18:05

なお、この辺は、



言語とは何か?(1)
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=8721 …

言語とは何か?(2)
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=8958 …

を参照下さい。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>言語とは何か?(1)

「言語」は本人の著作ではなかったわけか。
ひょっとしてですが、ソシュールが言語道具説を唱えているというのは冤罪の可能性もあるということですか?
それであれば私の予想にかなり近づくことになるので喜ばしい?ことなのですがね。(笑)

>言語実体観、言語道具説というソシュール的な誤った言語観

こうした表現をするということは、アス坊も、言語実体観、言語道具説とソシュールの主張自体をまったく同じものだとする捉え方には、若干の異論がある、ということですな?

お礼日時:2022/01/28 18:25

一体、どのような解説を参照し、このような根本的な誤読に到ったのでしょうか????



原典を挙げて下さい。????
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ソシュールは

《 言は意志と知能の個人的行為であって、これにはつぎのものを識別してしかるべきである。1.話手がその個人的思想を表現する意図をもって、言語の法典を利用するさいの結合。2.かれにそうした結合を表出することをゆるす精神的物理的機構。(『講義』p.26~27)》

と言っているようなので。

お礼日時:2022/01/28 17:40

非常に大雑把過ぎて、用語理解が誤っています。



パロールは話者の認識ではありません。
パロールこそが表現としての言語です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>表現としての言語

ではあるが《話者の認識》ではないと?
その言語は、話者の認識によって表現されたものではないのですか?
《話者の認識によって表現された言語》と言うべきだ、ということですか?

お礼日時:2022/01/28 17:39

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