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もういつ死んでもいいと思っているのに、小さいことに対して惜しく感じてしまうのはなぜでしょうか?

散らかってる部屋を掃除しておこうと思ってもゴミ箱へ入れることができません。

それどころか掃除してる時間すら惜しく感じています。

一昨日買って食べきれなくて冷蔵庫のチーズケーキ、使いかけのシャンプー。

この先、生きていても惨めな思いをするしかないことは分かっているのに。

それでも死にたくない気持ちが私に残っているからでしょうか?

A 回答 (4件)

それは「いつ死んでも言い」とは全く思って居らず、単に何かに文字を上書きしているに


過ぎないからでしょう。
それを自覚出来ていないだけ。
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自分が納得の部分なので


部屋の掃除なども納得してからでないと死ぬ場合気がかりになるので
清算です
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死にたい気持ちに反して、どこかでまだ死なないことはわかっているのでしょう。


生まれてから死に向かって生きているのはわかっていても、これまでに継続して明日も生きていること以外は考えられない。
終わりは何歳になってもイメージするのは難しいものです。
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いつ死んでもいいと思っているからって、


欲望から解放されてはいません。
執着から脱しているんではなく、投げやりになっているだけです
いつ死んでもいいという思いも、部屋を片付けられないのも、
煩悩です。
もっと修行が必要です
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