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仏教の各宗派の(総)本山についてです。
天台宗は比叡山、真言宗は高野山と、山に位置しています。
一方、浄土真宗は、京都の真ん中に。
本山の位置が、山か平地かなどは、その宗派の教え(教義)などと関連があるのですか?
たまたまそこに位置しただけなのですか?

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A 回答 (4件)

一番大きいのは修行の位置づけでしょうね。


悟りをもとめて修行するためには、町の中ではできません。

比叡山天台宗も高野山金剛峰寺も、いずれも山の中で修行することを非常に重視しています。そのため俗世界とは離れた山の中に本山をおいたのでしょう。

ところが浄土真宗などでは、阿弥陀にひたすら依拠するというのが教えです。そうなればむしろ布教に便利な平地で本山を開山する方が理にかなっていると思われますよ。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<一番大きいのは修行の位置づけ>なのですね。
<悟りをもとめて修行するためには、><俗世界とは離れた山の中に>なのですね。
<阿弥陀にひたすら依拠する>ものは<布教に便利な平地>になりますね。
本来ありたい姿勢・選択ですね。

お礼日時:2022/04/04 12:28

どのような回答でも、「 <~~~>のですね。

」とのお礼ですが、実際のところ、park123さんは、どのような理解に、現時点で落ち着いているのでしょうか。

No.3さん、No.2さん、No.1さんとも、どうやら、その宗派の創始の寺のことを回答されているようです。
park123さんも、そうした寺の場所選定について、この地を選んだ理由を気にされているのですか。

《各宗派の(総)本山》があるとなったのは、江戸時代らしいです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%B1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E6%9C%AB …
高野山真言宗が成立し、総本山に位置づけされたのは明治になってからです。

> 真言宗は高野山と、山に位置しています。

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗の総本山の寺院。山号は八幡山。真言宗の根本道場であり、教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%AF%BA
東寺は、平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。明治維新まで、東寺の長官である4人の東寺長者は真言宗の最高位であり、中でも長者の筆頭である東寺一長者は律令制における仏教界の首座である法務も兼任する慣例だった。

高野山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B …
空海の入定(835年)の後、弟子であり実の甥でもあった真然が887年頃に(高野山に)根本大塔などの伽藍を整備した。真然が空海が唐で恵果から教わった奥義や経典を書写した「三十帖策子(三十帖冊子)」を東寺から借り出したが、「三十帖策子」を所有することで真言宗の根本寺院を意味したので、その後の東寺からの返却要請に応じず、紛争の原因となった。第2代座主無空は返還を拒否し「三十帖策子」を持って一山の者を連れ下山し、約20年にわたり高野山に人影が無い状態が続き、第一期の荒廃期を迎えた。この紛争を解決したのが東寺長者の観賢であった。「三十帖策子」は東寺に返却され、観賢が高野山座主を兼ねることで、高野山は東寺の配下となり、明治維新まで高野山は東寺の末寺となった。
明治の新時代の1868年(慶応4年/明治元年)に神仏判然令(神仏分離令)が発布されたことで、仏教界にとって未曾有の危機的状況となったが、高野山にとっても例外ではなかった。政府より高野山に神仏分離の通達が下り、また政府の命令により学侶、行人、聖の3派が廃止され、1869年(明治2年)に秀吉が建立した青巌寺と興山寺が合併し寺号が金剛峯寺と改められた。このことで、金剛峯寺という寺号は本来高野山全体を指す寺号であったが、この時より「金剛峯寺」は高野山真言宗の管長が住む総本山寺院を意味するようになった。

臨済宗の場合、本山は多いです。15
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%B8%88 …

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrd …
「○○山」について
『世界大百科事典』『岩波仏教辞典』に以下のような記述あり。
寺院は元来修行・祈願の道場であったため、山中の勝地を選んで建立された。「○○山」は山号と呼ばれるが、中国で、寺の所在を示すためにその寺の所在する山名を冠して呼ばれたのにはじまる。わが国では、飛鳥・奈良時代には、寺は主に平地に造られたので山号はなかった。平安時代に、山上に造られた寺は「比叡山寺」「高野山寺」など山の名を用いた寺名で、これらの寺はのちに寺号が定まっても、その所在を明瞭にするために山号を寺名に冠して使用した。
中国で禅宗の代表的寺院に「五山十刹(ゴザンジッセツ)」の制が定められ、鎌倉時代、禅宗とともにこの制がわが国に伝えられると、巨福山(コブクサン)建長寺などのように寺名の上に山号が付けられるようになり、山は鎌倉五山・京都五山などが選ばれた。その後、ほかの宗の寺院も、寺名の上に山号をつけるようになった。 

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
質問回数を増やすことが投稿の目的であるのならば、言うことはないのですが、何か疑問をもって知りたいという願望があるのならば、こういうサイトで質問するよりは、自分でネット検索した方が、希望に敵うものを見つけ易いと思います。
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この回答へのお礼

ご迷惑をおかけし申し訳ありません。

お礼日時:2022/04/05 14:41

教えは関係ない。

天台・真言の平安仏教は、奈良仏教の失敗を繰り返すまいと朝廷がわざと山を下賜して都から遠ざけたのです。鎌倉仏教の時代は、もう朝廷が関係なくなっていて、それぞれの教祖が開拓した支持基盤から寄進をうけた土地なのです。それには土地税制に密着な関連のある荘園制度が関係あります。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<天台・真言の平安仏教は、><わざと山を下賜して都から遠ざけた>のですね。
その後は、<それぞれの教祖が開拓した支持基盤から寄進をうけた土地>なのですね。
いろいろ事情があるのですね。

お礼日時:2022/04/04 12:31

時の偉いさんに与えられた土地に高僧が住んだだけです。


奈良の政治に口出す坊主にこりて
平安京は敷地内にお寺をおかず入り口に東寺(弘法大使)と西寺を置きました。そのあとできた宗派は山沿いの貴族が作った屋敷で貴族が無くなると屋敷を仏壇として高僧を住まわせて毎日仏壇にお経をあげさせた
お寺の名前は貴族の戒名です
そのあとにできた新興宗教はそれを信じた権力者が土地を与えて住まわせたもの
秀吉が街を改革しようとしたが古くからあるお寺は言う事を聞かなくて新しくできた浄土真宗だけ町中に集めることができた
というものです
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<時の偉いさんに与えられた土地に高僧が住んだ>のですか。
教え(教義など)とは関係がないのですね。

お礼日時:2022/04/04 12:24

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