
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
戦前は、学校教育の中では古事記・日本書紀が正当な歴史書として子供谷に教育されました。
したがって天皇は「現人神」であったのです。考古学の世界では、天孫族が大陸から朝鮮半島を経由したということは、きちんと主張はされなかったようです。あくまでにおわす程度のようですね。
歴史家における天皇家起源問題
http://www.miraikoso.org/takaten/taka60.htm
早速の御回答ありがとうございました。
<あくまでにおわす程度のよう>なのですね。
やはり、天王家の起源についてはタブーだったのですね。
当時の研究家の苦労は大きかったのでしょうね。
No.3
- 回答日時:
>戦前、「天孫族は大陸からやって来た」という考古学の考えは、社会的に圧迫・非難されていましたか?
いいえ、圧迫されていませんでした。
明治期、天皇の主権を確立するために神道を積極的に利用し始めた時代は、「天孫族の大陸由来」を強く主張できませんでしたが、日清戦争で日本が勝ち、征韓論が台頭し始めると流れが変わりました。
つまり「天皇のルーツ、日本民族のルーツが朝鮮半島またはその先の大陸にあるなら、日本人が朝鮮を侵攻するのはまったく道理である」ということです。
これ、ウクライナ侵攻をしたロシアの論理「ルーシの祖国はウクライナだから、ロシアがウクライナを支配するのは道理」というのとまったく同じ論理です。
しかし、この考え方つまり「天孫族は大陸にルーツをもつから、日本が大陸に入り込んでもよい」という認識はあまり強く宣伝されませんでした。
理由はいくつかあるでしょうが「天孫は日本で生まれ発展した」という歴史学者の勢力が多かったからです。
いずれにしても、明治から戦前における日朝同祖論や国内ルーツ論などは政治的軍事的な影響を受けすぎていて、どれもゆがめられているといえます。
以下蛇足
最後に個人的な見解をのべますが、私個人は日朝同祖論(または天孫が大陸から来た説)には賛成しません。
理由はいくつかありますが、一番大きな理由は「日本が去勢を知らなかった」ことです。
もし大陸から来た民族、特に騎馬民族であれば絶対に馬の去勢を知っていたはずです。そして、去勢した官氏である宦官も大和朝廷にいたはずです。
しかし、日本は律令制を取り入れたときですら、宦官は受け入れていません。
大陸では「馬の去勢と宦官」はほぼセットですから、それを取り入れなかった大和朝廷のルーツが大陸にあるとは私には受け入れがたいです。
早速の御回答ありがとうございました。
<「天皇のルーツ、日本民族のルーツが朝鮮半島またはその先の大陸にあるなら、日本人が朝鮮を侵攻するのはまったく道理である」>という言い分もあったのですね。
ただし、<「天孫は日本で生まれ発展した」>国産思考もあったのですね。
<政治的軍事的な影響を受けすぎていて、どれもゆがめられている>のですね。時代の制約に翻弄されていたんのですね。
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