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1. モノとコトを取り上げますが 次の図式において オホモノヌシ=ヒトコトヌシなる神が主神ではないか?

[図1] オホモノシヌシ=ヒトコトヌシ ~~~~~~~~~~~~

モノ(物)―――もの(者)――――――――オホモノヌシ(大物主)
コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)――ヒトコトヌシ(一言主)
↓       ↓            ↓
自然・社会・・・ひと・・・・・・・・・・・かみ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ モノはコトである( e = mc^2 )といった見方にちなんでのことです。 


2. [図1]から 次の図式も得られます。

[図2] 木というモノ・日のめぐるコトにちなんで ~~~~

モノの木――――――ねこ(根子)――――――――生命の木
日の移り行くコト――ひこ・ひめ(日子・日女)――日(光源)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

3. そうすると 《日(または 火)のみなもと》として――その意味での神として――アマテラスが みちびかれ得ます。

4. ただし この《オホモノシヌシ=ヒトコトヌシ》系としてのアマテラスなる神は タカ〔ア〕マノハラの主宰神であるアマテラスオホミカミとは 別物でしょう。

5. アシハラの中つ国(大八島なる国またはイヅモの国)に対してタカマノハラという他所から統治の手を伸ばしてくるスーパー・アマテラスとは 別物だと思われますが どうでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • №1つづき

    13. 神道が 日本教の総本山となっているという見方。たとえば 事例をふたつを挙げるとすれば いま話題の旧統一教会が その――自民党〔だけ〕のでしょうが―― 一支部とごとくなっているようですし そしていまひとつは 創価学会=公明党でしょう。

    14. さいわい 幸福の科学は 蚊帳の外でありお呼びでないかも知れないですが。・・・

    15. つまりかくの如く――普遍神を立てる神論とは別の話ですが―― 神話は生きていて そこにあたかも主神が立てられている。と言ってよいでしょう。神話は 実質的に現実の《まつりごと》にまで及び活発な動きをしめしています。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/07/24 08:48
  • №2つづき1

    ★ 以下は、現実的な史実による考察です。
    ☆ ざんねんですが ぜんぶの復唱は割愛させていただきますが。

    ★ ~~~
    ドルイドは各地域に部族(豪族と言っていい)が住み、それぞれの神をもちつつ全体として「ドルイド教」といえる形式を共有していました。

    これ日本の古代の各豪族たちの神々と同じです。
    ~~~
    ☆ 或る意味・部分的には アイルランドでは特に いまのナショナルな意味でのケルト教がつよいようです。エリン・ゴブラーと言って自死をえらぶシーンが ポワロのドラマにありました。

    むしろ日本教よりも強烈かも知れません。よく聞くように《天皇陛下ばんざい!》は 《お母さん! 先立つ不孝をおゆるしください》の意味だったとしたら。

    つづく

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/07/24 10:21
  • №2つづき2

    ★ ~~~
    また重要なのは「神々がローマの丘に一緒に祀られる=すべての部族がローマ市民として等しい待遇を受ける」という保証になっていたことです。

    天皇も王権を作り上げる過程でどうもおなじことをやったようで、今の大嘗祭や新嘗祭はその時の「王権さらには朝廷に参加したすべての豪族たちの神々」に対して祈りをささげている、といえるのです。

    だから日本人は今「日本民族」であり、そのために一神教的な教義を必要としないわけです。
    ~~~
    ☆ 無教義でじゅうぶんナショナルな指向性を醸成するようです。

    《おほやけ》が 公民として公正・公平性を醸し出し 《アマテラス》が科学的にも倫理的にも普遍性を意味する普遍語なのだという雰囲気・クウキは 幸か不幸か蔓延しています。いました。秋篠宮家・特に眞子氏の登場で ひび割れを起こしています。

    つづく

      補足日時:2022/07/24 10:23
  • №2つづき3

    ★ しかし日本だけは、天皇の祭祀が中断せずに現代まで残り、そこには「日本各地のすべての神々が平等である」という哲学が生きているといえます。
    ☆ わるいのは 泣く子と地頭だという美学が 半ば浸透していました。

    各地のムラのマツリは その新嘗祭などの稔りが 中央のマツリゴトに吸い上げられても 《ユヅリ愛》の精神で我慢していました。いまも そうです。

    その昔 《くにゆづり》をしたからには いまさらおいそれと《ゆづりかえしたまえ》とは言えない・言わないからです。


    ★ なので、日本の神々が「全体としてひとまとまりを成している」としても、一神教的なメカニズムを必要とはしていない、のです。
    ☆ このメカニズムは きわめて巧妙に――それと気づかれることなく――人びとの主体性としての気概にうったえています。

    敬宮愛子氏は このからくりについて じゅうぶん分かっているようですよ。

      補足日時:2022/07/24 10:26
  • ☆☆ 補足コメントの №2つづき2に寄せて

    ★ (№2) ~~~
    また重要なのは「神々がローマの丘に一緒に祀られる=すべての部族がローマ市民として等しい待遇を受ける」という保証になっていたことです。

    天皇も王権を作り上げる過程でどうもおなじことをやったようで、今の大嘗祭や新嘗祭はその時の「王権さらには朝廷に参加したすべての豪族たちの神々」に対して祈りをささげている、といえるのです。

    だから日本人は今「日本民族」であり、そのために一神教的な教義を必要としないわけです。
    ~~~
    ☆ つまり アニミズムにもとづくいわゆる多神教の社会でも ニ階建て構造から成る国家を形成したなら 覇道を追い求める帝国主義と成り得ることを物語っています。

    一神教にもとづく国家だけの話ではないという証拠を挙げてもらった恰好です。

      補足日時:2022/07/24 22:36
  • №5つづき1

    ★ なので、改めて質問者様の言う「日本の神々の絶対性」について、所見を述べるとすると
    《日本人が絶対的な一神教を求めていない、とはいえない。したがって日本の神々にもヒエラルキーがあり、主神という考え方は成り立つ場合もある》
    です。
    ☆ 推論の順番が違うと思います。《絶対性》は その初めから全一性なる普遍神であり そのほかにあり得ないんです。

    この普遍神が 日本神話では 語られていない。だけです。

    アメノミナカヌシが 身を隠したあとでは 《デウス・アブスコンディトゥス》であり得てこれが 普遍神を代用しているかも分かりません。

    そして 実質的に言って オホモノヌシ=ヒトコトヌシが 概念内容として その普遍神として建てられておかしくはない。こういう推論です。

    つづく

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/07/25 13:59
  • №5つづき2

    ★ ただ、同時に
    《いわゆるユダヤ・キリスト・イスラムの神=一神教の主、は日本には存在しない。それはつまり「人々に対して指示命令する神は日本にはいない」と言える》です。
    ☆ ですから 《神と人間たるわれとのカカハリ》は 《非知なるナゾを無条件に無根拠にてわが心に受け容れる=すなわち信じる》だけなんです。固有には。

    そのほかの《全知全能》だとか《その創造主による命令》だとかは あとから余分に人間が忖度してつけ添えたカザリなんです。

    この神論にかんするかぎり お説のとおりわれらが神道の勝ちです。



    つづく

      補足日時:2022/07/25 14:02
  • №5つづき3

    ★ で日本の「主神」がなにか、ということになるとあやふやでありつつも「天照大神」なのだと考えます。というより、その論拠で言えば本来「天皇」が日本の主神です。
    ☆ [1]~[3]のアマテラスなら 一致します。

    スメラミコトは どうでしょう? 当時は天皇なる概念がなくオホキミだったと思われる崇神ミマキイリヒコイニヱは オホモノヌシなる神の子のオホタタネコを 疫病の流行ったときに治癒をいのる神主に立てましたね。市民主権なんです。

    オホモノヌシ=ヒトコトヌシは 葛城の山で雄略ワカタケルに出会い名を問われると:

     吾は悪事も一言、善事も一言、
     言い離つ神。葛城の一言主の大神なり

    と答えたのでした。この雄略が――応神ホムダワケおよびその母・神功オキナガタラシヒメに倣って――主神であると名乗り 現人神の先駆を行ったのだと思います。これは いかんせん 人工物でしょう。

      補足日時:2022/07/25 14:13
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A 回答 (5件)

#2です。

お礼と補足を拝見しました。

最初に指摘しないといけないのは「私と質問者様の考えている《絶対的な神》という認識がかなり違うのではないか?」ということです。

私は、基本的に「神は人間が作り出したもの」と考えていますので《絶対性》とは「人間の社会が要求する度合いによって作り出される」と考えています。

質問者様は《絶対性ないし人知を超えたところ》という考えですから、人間の頭が作り出したとしても「人間そのものが知りえない領域がある」という認識だといえるでしょう。

私も経済学で言う「神の手」のような「人間が作ったが人知が及ばないものがある」という点では「神」という概念に賛成します。

なので、改めて質問者様の言う「日本の神々の絶対性」について、所見を述べるとすると
《日本人が絶対的な一神教を求めていない、とはいえない。したがって日本の神々にもヒエラルキーがあり、主神という考え方は成り立つ場合もある》
です。

ただ、同時に
《いわゆるユダヤ・キリスト・イスラムの神=一神教の主、は日本には存在しない。それはつまり「人々に対して指示命令する神は日本にはいない」と言える》です。

#2で指摘した「一神教的価値観」とは「命令する神」という意味で、日本人の宗教観はこの前提に縛られすぎています。つまり日本人も「宗教とは神が、他の神を信じるな、と命令するところから始まる」と思い込んでいるわけです。

質問者様の認識には「主神」はあっても「絶対神(命令する神)」ではないようですから、質問者様の「絶対性」という言葉の認識を間違ってとらえていたことはお詫びして訂正します。

で日本の「主神」がなにか、ということになるとあやふやでありつつも「天照大神」なのだと考えます。というより、その論拠で言えば本来「天皇」が日本の主神です。

この辺りの感覚はまさに「古代」そのもので、近代科学万能な現在の価値観では、受け入れがたいものだと思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

★ 「私と質問者様の考えている《絶対的な神》という認識がかなり違うのではないか?」
☆ 簡潔にお応えしてまいりますが 《神》についての《人知を超えた場・絶対性・無限性》といった概念認識は 共通ではないかと思うのですが。


★ 私は、基本的に「神は人間が作り出したもの」と考えていますので《絶対性》とは「人間の社会が要求する度合いによって作り出される」と考えています。
☆ 《人間がこしらえた――観念の――神》もあります。ですがそれなら 人知のおよぶ範囲内におさまります。《絶対性》という名の《認識しうる概念ないし観念》をこしらえることもあたかも出来るようなんです。

たとえば絶対性なら 不可変性を意味したとえば不死です。(不生でもありますが)。ところが 人間が――何を思ってか―― 《不死なる神》を想像裡において観念として作り出すこともあたかもあり得るようなんです。

人間の想像し考える《不死》を 神に当てはめている。ところが 絶対性なる神は 固有に不死なんです。

こういった違いが 神と人工の神とのあいだには考えられます。


★ 質問者様は《絶対性ないし人知を超えたところ》という考えですから、人間の頭が作り出したとしても「人間そのものが知りえない領域がある」という認識だといえるでしょう。
☆ ところが 微妙でして 絶対性なる神は 不可知――知り得ないと証明された未知――ではないんです。《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ:非知 incomprehensible incomprehensibility 》が 人知を超えたところの場ないしチカラだとと捉えます。
cf.【Q:神論のエセンスは これだ】



★ 私も経済学で言う「神の手」のような「人間が作ったが人知が及ばないものがある」という点では「神」という概念に賛成します。
☆ ちょっと違うと思います。その場合は 相対的なものごとなる経験事象の生じる経験世界であり 因果関係があるはずです。

ただし 《見えざる手》がはたらくというのは その因果関係が分からない。全部をはっきりとは分からない。と言っているわけです。《神》に譬えてはいますが。

つづく

お礼日時:2022/07/25 13:58

大物主は大国主命が國譲りした後に


出雲より大和の三輪に移住して称した神名。
以後、この一族は三輪氏となって祭祀を司り、
天皇家に仕える。崇神朝の代に大田田根子命が出る。

一言主神は大国主命の子の味鋤高彦根命の一名
で鴨神社の祭神。
雄略帝の代に天皇の横暴を正す神として
出てきますね。天皇はこの神の諫めで
悪帝から聖帝へと心を改め、
背く者をやたらに殺したがる政策から
人命を大事にする政治へと
政策転換を図られたようですね。

倭の五王の最後の王である武王と中国史書に登場。
古事記に引田部赤猪子が80歳まで召されることを待っていたという話は
年齢の誇張でしょうね。天皇の年齢の124歳も誇張。
こういうのは日本を古く見せるためにいろいろ作り話を織り込んだのでしょう。

皇子に清寧天皇が出来ますが、子が出来ず、履中系・應神系へと
王朝交代がありますね。継体系が今の天皇系へと連続。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 大物主は大国主命が國譲りした後に
出雲より大和の三輪に移住して称した神名。
☆ オホクニヌシがスクナヒコナ(少彦名:おそらく稲より以前の他の穀物の栽培に関係するか)と一緒に国をつくった。

そのときすでに神はいたんぢゃないかと。

イヅモの国は ぎゃくに ヤマトのミワかどこかから人びとが移住したのかも。



★ 以後、この一族は三輪氏となって祭祀を司り、
天皇家に仕える。崇神朝の代に大田田根子命が出る。
☆ オホタタネコは オホモノヌシとイクタマヨリヒメとのあいだの子。

オホモノヌシが神であるなら さしづめ(愛嬌ですが) オホタタネコは 聖霊によって生まれたゆえ 日本神話のイエス・キリスト。

崇神ミマキイリヒコイニヱは オホキミ。当時 天皇はまだない。



★ 一言主神は大国主命の子の味鋤高彦根命の一名
で鴨神社の祭神。

★ 雄略帝の代に天皇の横暴を正す神として
出てきますね。天皇はこの神の諫めで
悪帝から聖帝へと心を改め、
背く者をやたらに殺したがる政策から
人命を大事にする政治へと
政策転換を図られたようですね。
☆ はなはだ悪しきすめらみことなるウワサが立ちました。ヒトコトヌシの一言で 心を改めたんでしたっけ?



★ 倭の五王の最後の王である武王と中国史書に登場。
☆ 倭の五王も 引き当てがうまく合うとも思えません。卑弥呼にしても 外国の文献だけですし。



★ 古事記に引田部赤猪子が80歳まで召されることを待っていたという話は
年齢の誇張でしょうね。天皇の年齢の124歳も誇張。
こういうのは日本を古く見せるためにいろいろ作り話を織り込んだのでしょう。
☆ エピソードは エピソードとしておもしろいかも。


★ 皇子に清寧天皇が出来ますが、子が出来ず、履中系・應神系へと
王朝交代がありますね。継体系が今の天皇系へと連続。
☆ この論点は 例のワカクサカベが 陰の主人公ではないかと・・・。

お礼日時:2022/07/24 18:26

國學院でも物理学は教えてるのでしょうか。



コロナの感染者が増加してますが、行動制限しないということは
安全保障より経済が勝ったのでしょうか。
東電の裁判も株主、資本家が勝ったそうですね。

私も年金のほうが問題です。ベーシックインカムとかで収入は得られないのでしょうか。インプットとアウトプット、質量保存の法則の例外でしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


社会の問題がいくつかあるようですね。

どれも わたしがしっかりと勉強している課題では――ざんねんながら・恥づかしながら――ないので 控えなければならないとは思います。

お礼日時:2022/07/24 18:10

#1です。

 お礼ありがとうございます。

>8. 人知を超え絶対性として成る神と言うなら その神は 一柱で全体をおおう普遍神つまり全一性としての普遍神であるしかないということです。

うーーん、質問者様ほどの方が「一神教的価値観」に縛られているとは思いたくないのですが、8.の考え方は一神教のそれです。

>9. 言いかえると やほよろづの神々はみなそれぞれ普遍神の分身だという意味です。じっさい 自然や人物やあるいは人工物が一つひとつ具体的に《かみ》となっていたとしても それらはみな 普遍神である主神の――霊性の降りてくるというその――依り代なわけです。
日本神話の神々はすべて 仮象です。

これも一神教的価値観ですね。

たとえば、イタリアにはローマ時代、日本の道祖神と同じようなものがありました。現代でも同じ場所に同じように存在するのですが、キリスト教が入って以降、それらは「その土地を守る精霊」に姿を変えました。

質問者様の認識だと、まさに一神教の「全能なる神が遣わした聖なるものたち」になってしまうわけで、これは日本の現実的な神の在り方とは異なります。

>10. 仮りに:
★ 主神はいない、それが一神教を産まなかった日本の神話
☆ という見方が出来るとしても その実質的なあり方は それとしての多神教が全体としてひとまとまりを成している。したがって けっきょく――多神教だから民主的な性格を持つと言えたとしても――対外的には やっぱし《一神教》として振る舞うことになるようなのです。どの国家も同じようですが。

いいえ、そうはなりません。というより「日本だけが連綿と古代の神々を今に受け継いでいる国家」なんです。
 これは天皇による祭祀の影響が大きいです。

以下は、現実的な史実による考察です。
元々どこの国でも、一神教という強い神が現れる前は、日本と同じアニミズムでした。ギリシャ神話やローマ神話よりも、北欧神話やキリスト教以前のケルト人のドルイド教が参考になります。

ドルイドは各地域に部族(豪族と言っていい)が住み、それぞれの神をもちつつ全体として「ドルイド教」といえる形式を共有していました。

これ日本の古代の各豪族たちの神々と同じです。

ローマもキリスト国教化以前は多神教で、首都ローマには「神々の丘」があり、ここにはローマに参加した各ケルトの部族の神とか、さらにイギリスの神々なども祀られていました。
 つまりローマとは「各民族の神々が首都ローマで祭祀される、多神教国家」だったわけです。
 
また重要なのは「神々がローマの丘に一緒に祀られる=すべての部族がローマ市民として等しい待遇を受ける」という保証になっていたことです。

天皇も王権を作り上げる過程でどうもおなじことをやったようで、今の大嘗祭や新嘗祭はその時の「王権さらには朝廷に参加したすべての豪族たちの神々」に対して祈りをささげている、といえるのです。

だから日本人は今「日本民族」であり、そのために一神教的な教義を必要としないわけです。

世界各地も一神教伝播の前は同じ状況だったと言えますが、キリスト教やユダヤ教は強力な伝播力を持ち、また仏教も3世紀ぐらいに一神教的な変革が行われ、大日如来を頂点としたヒエラルキー化が起きています。

しかし日本だけは、天皇の祭祀が中断せずに現代まで残り、そこには「日本各地のすべての神々が平等である」という哲学が生きているといえます。

なので、日本の神々が「全体としてひとまとまりを成している」としても、一神教的なメカニズムを必要とはしていない、のです。

したがって、お礼のそれ以下の内容は私は全く汲みしません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

☆☆ >8. 人知を超え絶対性として成る神と言うなら ・・・

★ うーーん、質問者様ほどの方が「一神教的価値観」に縛られているとは思いたくないのですが、8.の考え方は一神教のそれです。
☆ 《価値観》からは自由に 《絶対性ないし人知を超えたところ》の問題だと思います。


☆☆ >9. 言いかえると やほよろづの神々はみなそれぞれ普遍神の分身だという意味です。・・・

★ これも一神教的価値観ですね。
☆ いや ここまで言われるのなら それが《幸か不幸かきわめて平和的境地を醸し出す多神教的世界観》ですよ。


★ たとえば、イタリアにはローマ時代、日本の道祖神と同じようなものがありました。現代でも同じ場所に同じように存在するのですが、キリスト教が入って以降、それらは「その土地を守る精霊」に姿を変えました。
☆ いえ それでよいでしょうし 昔の昔から守護神なり守護の精霊なりだったりしたのだと思います。


★ 質問者様の認識だと、まさに一神教の「全能なる神が遣わした聖なるものたち」になってしまうわけで、これは日本の現実的な神の在り方とは異なります。
☆ 《価値観から自由に》という意味は 普遍神について《全能》という規定を一義的にはしないという意味です。そうするのは 人間の主観的な忖度なわけです。

《神が遣わした》という規定も 全能の創造主といったニュアンスを薄めて《神の霊が降りてくる〔神籬〕》というふうに定義すればいいわけです。これは 神道そのものです。


>10. ・・・対外的には やっぱし《一神教》として振る舞うことになるようなのです。

★ いいえ、そうはなりません。というより「日本だけが連綿と古代の神々を今に受け継いでいる国家」なんです。
これは天皇による祭祀の影響が大きいです。
☆ 英国の《 Midsommer murders 》というTV番組を見ていると――そこはケルト系の土地ですが―― やはりアニミズムの気配が濃厚ですよ。
カトリックから飛び出してさらに英国国教教会からも家出してのように 先祖帰りをしたかのようですよ。(このあと触れておられました)。

★ 天皇による祭祀
☆ が きわめて巧妙に――何の苦痛をも与えずにの如く――実質的に国家全体をあたかも《一神教》社会のようにかたちづくって久しいと思われます。


つづく

お礼日時:2022/07/24 10:20

日本の神話に主神はいない、それが一神教を産まなかった日本の神話の良いところだと思います。

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

こんにちは。ご回答をありがとうございます。


6. ちょっと根拠にとぼしい話になりますが 《八百万の神々》の中でその神々を主宰しそしてまた全世界を統治するといった見立てにおいて アマテラスが君臨していると〔思われていたと〕 わたしは受け取っていました。


7. この質問では おっしゃるとおりあたかも記紀神話が一神教のごとく成り立っていると言ったことになりますが それには理由があります。
神が 絶対性であるなら 絶対性には ここに一つ あそこに別のものがもう一つといった事態は あり得ないと考えられるからです。


8. 人知を超え絶対性として成る神と言うなら その神は 一柱で全体をおおう普遍神つまり全一性としての普遍神であるしかないということです。
一つ・二つ・・・と数えることのできる神は そのまま相対的な経験合理性で認識しうるものでしかないからです。


9. 言いかえると やほよろづの神々はみなそれぞれ普遍神の分身だという意味です。じっさい 自然や人物やあるいは人工物が一つひとつ具体的に《かみ》となっていたとしても それらはみな 普遍神である主神の――霊性の降りてくるというその――依り代なわけです。
日本神話の神々はすべて 仮象です。


10. 仮りに:
★ 主神はいない、それが一神教を産まなかった日本の神話
☆ という見方が出来るとしても その実質的なあり方は それとしての多神教が全体としてひとまとまりを成している。したがって けっきょく――多神教だから民主的な性格を持つと言えたとしても――対外的には やっぱし《一神教》として振る舞うことになるようなのです。どの国家も同じようですが。


11. 前項の話は 日本教ないしクウキ教と呼ばれている実態のことです。つまり じつにこの――仏教や儒教や基督教やマルクス教などの支部を統括する懐の深い神道総本山としての――日本教は 《〈多神教としてまとまった一神教なのだ〉と言ってはならないのだよ》という同調圧力を醸し出していましょう?

12. ちがった意味でじつにディープ・ステートのようではないですか?
(わざとツッコミどころをつくりました。真理は 中間にあるかも)。

お礼日時:2022/07/24 08:36

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