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総理だった小渕恵三が2000年4月2日に病に倒れて公務復帰が絶望となると、内閣官房長官・寺院等参院幹事長・自民党幹事長・幹事長代理・政調会長の5人がホテルの一室に集まって、幹事長であった森喜朗を後任の総理総裁に決まりました。しかし、森内閣はスタート時は支持率が高かったものの、密室で決まった総理や森の失言によって支持率は右肩下がりで推移し、自民党内でクーデターが起きる動きもありましたが不発に終わり、森内閣誕生から1年を迎えるときには支持率が1桁まで下がって、総辞職となり、後に小泉内閣が誕生しました。
なぜ、森内閣は国民から不人気だったのでしょうか?見方を変えれば、小泉を総理にするくらいならば、森が総理を続けていた方が格差問題は起こらなかっと思います。

A 回答 (3件)

要するに、マスコミ対策が


下手だったからだと思います。

だから、失言やえひめまる事件
などで揚げ足を取られ
散々叩かれ、揶揄され
それで、不人気になったのだと
思われます。

とくに、えひめまる事件ですね。

あの事件が報じられるときは、
必ずと言ってよいほど、
脳天気にゴルフしているシーンが
繰り返し報じられました。

ああしたマスコミのアンチ森キャンペーンに
やられたのだと思います。
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森内閣って何やったかな。

ITがどうの、神の国がどうのしか覚えてないわ。

(28) 第85・86代総理大臣 森喜朗【歴代総理列伝】 - YouTube
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森喜朗って傲慢な態度が目立って居ましたからね。


高級料亭での会合について問われた時に『政治には金が掛かる!』と記者に凄みましたし。
その性格は丸くなる事も無く、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長となっても
傲慢なままでしたので、それを覚えて居れば想像が付くでしょう。
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