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浄土真宗ではペットにも仏性はあるのですか?。ペット供養は斎行していますか?。

A 回答 (1件)

浄土真宗も仏教ならば、釈迦の言う通りで『一切衆生悉有仏性』という事を意味します。



処で仏性とは何かと言うならば、全ての命を働かせている働きそのものの事です。

草でも桜でも、全ての命あるものが持っているその命の根源を『仏性と称しています。』

桜で説明するなら、その桜の持っている葉の色でも匂いでも、葉が出る時期でも枯れる時期でも全てを知り尽くして、芽を出したり紅葉したり葉を落としたりしています。他の言い方をするならそう云った時期でも性質でもその命が発現する事そのものを、働き出させる力とか原理そのものの事を云っています。

その桜ならその桜、固有種足らしめている生命力そのものの事を云っています。

人間で説明するなら、高い処に上がった時『怖いと思わせている”働き”』の事を云っています。

同じく人間でも動物でも同じですが、生命として芽生える瞬間から働き始めている働きそのものの事です。仏性を命そのものの働きと云ったとしても長い表現になりますので、『その者』と今は書き進めたいと思います。

仏性=『その者』という事で書き進めたいと思います。

生命として生じる時、細胞分裂の順番でさえも知っている者です。生まれ落ちた瞬間では、人間ならおぎゃーと泣かせている者の事です。牛や馬なら、起き上がって直ぐに走らせている働きを促している者の事です。

人間なら、生まれた瞬間から心臓の鼓動の数を正確に働かせている者の事です。そしてあらゆる神経細胞でも、ホルモンの分泌でもその者の指示に従って働かせている働きの事です。

又その者の働きを『人間に例を取って説明するなら』大まかにいうなら三つに分ける事が出来ます。

一つ目は只単なる、生命維持装置としての働きそのものです。呼吸も呼吸数も自動運転的に働かせている者です。ホルモンの調節も同じように管轄しています。命を司る全ての働きの主人公的に働かせている者の事です。

二つ目は、人間の行動を通して人間の命を守る者としての働きを演じさせている者の事です。この者が最高に働いていて当の本人がその働きそのものに違和感を抱かない場合では、普通では健常者と呼んでいます。処が本人が神経質な性格を持った自我意識の持ち主の場合では、自分の行動そのものに違和感を訴える事があります。

その訴えた内容を神経症の場合では、吃音とか書痙とか不眠症とかと呼ぶ様です、処がこう云った事柄以外でもあらゆる症状を訴える場合もある様です。その理由は自意識が訴える内容が全て症状になっているからです。

自意識が抱く違和感が神経症の場合での症状と呼ばれているものだからです。

残る三つ目は心的な事柄です。その者は人間の自我意識に『感情を沸かせる事も命を守る働きの一つにしている』からです。人間にその場その時の目の前の環境に順応させるために感情を沸かせる事をその使命にしているからです。


高い処をどの程度恐いのかもその高さに応じて知らせています。鋭い刃物の場合でもその鋭さの加減に応じて知らせています。広い場所でも狭い場所でも同じように、その場その場の状態を知らせています。

心的なこう云った情報を、違和感なく受け入れる場合では『その者との恙無い情報交換を行う事が出来ているという意味で”健常者”』と呼んでいるようです。

自我意識とその情報の送り手=その者とのコミュニケ―ションが順調に行っているという意味で『健常者』と云っています。

今日は此処までとして置きます。質問があるようでしたら答える用意があります。
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