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No.12
- 回答日時:
源義経なんかはどうでしょう?
いま、大河ドラマでもやっているし…(^^ゞ
平家討伐の一ノ谷の合戦、屋島の奇襲、壇ノ浦の合戦など、勝ち目のない戦で奇跡的な逆転勝利を勝ち取り、あまりにも勝ちすぎたので後の将軍である兄・頼朝には疎んじられましたが、後白河法皇からは絶大な信任を得られたようです。
No.11
- 回答日時:
古代中国の名君「重耳」という人がいます。
重耳は君主である父に殺されそうになり、他国に亡命し、何年も他の国を転々とし不遇の日々を送っていた。
その後「楚」という大国に訪れた時、他の国の君主は見向きもしなかった重耳を厚遇する。
楚王は重耳に「貴方が国に帰り、王になれた時、何をくれるのかな?」と聞いた時重耳は「貴方の国は財宝も美女も有り余っておりますから、私の国と楚が争った時、私の軍を三舎(3日の行程分)退きましょう」と言った。
後年、重耳と楚王が戦った時、重耳が圧倒的有利だったにもかかわらず、約束を守り、三舎退いた。
その後、重耳は亡命中に恩を受けた国や人を助け、粗末に扱った国を討ち、春秋戦国時代の覇者となった。
No.10
- 回答日時:
意外なところで戦国時代を代表する梟雄・宇喜多直家など。
備前の浦上家の最前線に乙子城という城を築いたのですが、強敵に囲まれている上に城は小さく、味方の城とは離れていたので、誰一人進んで防衛に当たろうとする武将は居ませんでした。
そんな中、17~8歳の直家が志願して入城し、耕作したり夜盗・辻斬までし、それでも足りないので直家はじめ全ての者が月に何度も断食して兵糧を確保し、見事城を守りきり、逆に敵の領地まで兵を進めました。
見事期待に答えた直家は主君からの信頼を勝ち得、落ちぶれていた宇喜多家は復活の足がかりを掴むのですが、その後は毒殺やだまし討ちなど凄惨な謀略の限りを尽くして主家を凌ぐようになり、ついに浦上宗景を追放してその版図を乗っ取ってしまいました。
No.9
- 回答日時:
東海道新幹線の経路・駅に関する国鉄の公式記録では
・新幹線の経路として山脈をぶちぬくルートと迂回するルートの 2つが検討され, 建設の技術的・時間的な観点から迂回するルートが選ばれた (つまり, 当時の技術では山脈をぶちぬこうとすると開業が間に合わなくなる可能性があった).
・その結果, 迂回路で列車遅延が発生することが予測されるため, 退避設備としての駅を (現在の位置かどうかはともかくその付近には) 作らざるをえなかった.
として, 政治家の働きかけによって駅を設置したことを否定しています (働きかけの有無に関係なく駅を作らなければならなかったのだから).
見方を変えれば「地元請願駅」といえなくもないんですがね.
No.8
- 回答日時:
あんまりピッタリそうなのは思い浮かばないですね。
事前に約束をしたことまで後世に伝わってないと言うか。
・源義家
後三年の役で部下に恩賞を約束したが、朝廷からは私闘とみなされ恩賞がもらえなかったので、自分の領地を割いて恩賞を与えた。→関東武士が源氏に恩を感じる元になった
・勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城
政治家がらみではいろいろ「公約」はありますが。
・池田勇人元首相の所得倍増計画
・某政治家が地元に駅を作ると約束して、東海道新幹線の経路を曲げたとか(笑)…地元民の信頼は勝ち取ったでしょう
・郵政民有化?
No.7
- 回答日時:
三国志の話で
太史慈が呉に降るときの話はまさに
「走れメロス」的なエピソードです。
孫策の呉郡攻略の際
孫策と一騎打ちの後意気投合し
孫策軍に降る約束をした太史慈は
兵を集める為に一度劉ヨウ軍の元へ戻る。
孫策は太史慈を信じそれを快諾するが
家臣は誰もが太史慈が約束を違えると口々に言った。
しかし太史慈は約束を守り部下を連れて孫策に降った。
No.6
- 回答日時:
マイナー路線で:
ケマル・アタテュルク: オスマントルコ帝国の借金を返した
革命などが起きたことで旧政権が外国にしていた借金を「なかったことにしてしまう」ことが多い(例: 旧ソ連というかロシア・ソヴィエト)中で, 一応借金を返したというある意味で珍しい例.
No.5
- 回答日時:
宗教の開祖と言われる人は大なり小なりそのような人では?
ダビデはエジプトから奴隷とされていたユダヤの人々を神に啓示されたカナンの地に導く事を宣言し紅海を渡りパレスチナに達したといいます。
No.4
- 回答日時:
ギリシャのアレキサンダーは自分が最高と信じたギリシャ文明を世界に広める事を使命と考えて世界征服の遠征を始めました。
当時世界最大のペルシャ帝国と戦い次第に版図を広げてついにペルシャ全土を征服しましたが、それで留まらずインドまで遠征しましたが、部下が長い遠征に疲れ帰国を迫ったのでついに帰国を命じたといいます。
この間ペルシャ文明がギリシャ文明と比べて遜色のない事を発見し両文明の融合を押し進めました。
見たこともない異境へ突進した勇気は誰にも真似できない偉業でした。
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