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ネタを探しています。

到底難しそうな約束をして実際に守り、何か大きなことを成し遂げたとか、大切な人の信頼を勝ち取ったとか、そんなような歴史上有名な人の話を知りませんか?
現代の偉人とかでもいいです。

よろしくです~☆

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A 回答 (12件中1~10件)

源義経なんかはどうでしょう?


いま、大河ドラマでもやっているし…(^^ゞ
平家討伐の一ノ谷の合戦、屋島の奇襲、壇ノ浦の合戦など、勝ち目のない戦で奇跡的な逆転勝利を勝ち取り、あまりにも勝ちすぎたので後の将軍である兄・頼朝には疎んじられましたが、後白河法皇からは絶大な信任を得られたようです。
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古代中国の名君「重耳」という人がいます。


重耳は君主である父に殺されそうになり、他国に亡命し、何年も他の国を転々とし不遇の日々を送っていた。
その後「楚」という大国に訪れた時、他の国の君主は見向きもしなかった重耳を厚遇する。
楚王は重耳に「貴方が国に帰り、王になれた時、何をくれるのかな?」と聞いた時重耳は「貴方の国は財宝も美女も有り余っておりますから、私の国と楚が争った時、私の軍を三舎(3日の行程分)退きましょう」と言った。
後年、重耳と楚王が戦った時、重耳が圧倒的有利だったにもかかわらず、約束を守り、三舎退いた。
その後、重耳は亡命中に恩を受けた国や人を助け、粗末に扱った国を討ち、春秋戦国時代の覇者となった。
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意外なところで戦国時代を代表する梟雄・宇喜多直家など。



備前の浦上家の最前線に乙子城という城を築いたのですが、強敵に囲まれている上に城は小さく、味方の城とは離れていたので、誰一人進んで防衛に当たろうとする武将は居ませんでした。

そんな中、17~8歳の直家が志願して入城し、耕作したり夜盗・辻斬までし、それでも足りないので直家はじめ全ての者が月に何度も断食して兵糧を確保し、見事城を守りきり、逆に敵の領地まで兵を進めました。

見事期待に答えた直家は主君からの信頼を勝ち得、落ちぶれていた宇喜多家は復活の足がかりを掴むのですが、その後は毒殺やだまし討ちなど凄惨な謀略の限りを尽くして主家を凌ぐようになり、ついに浦上宗景を追放してその版図を乗っ取ってしまいました。
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東海道新幹線の経路・駅に関する国鉄の公式記録では



・新幹線の経路として山脈をぶちぬくルートと迂回するルートの 2つが検討され, 建設の技術的・時間的な観点から迂回するルートが選ばれた (つまり, 当時の技術では山脈をぶちぬこうとすると開業が間に合わなくなる可能性があった).
・その結果, 迂回路で列車遅延が発生することが予測されるため, 退避設備としての駅を (現在の位置かどうかはともかくその付近には) 作らざるをえなかった.

として, 政治家の働きかけによって駅を設置したことを否定しています (働きかけの有無に関係なく駅を作らなければならなかったのだから).

見方を変えれば「地元請願駅」といえなくもないんですがね.
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あんまりピッタリそうなのは思い浮かばないですね。


事前に約束をしたことまで後世に伝わってないと言うか。
・源義家
後三年の役で部下に恩賞を約束したが、朝廷からは私闘とみなされ恩賞がもらえなかったので、自分の領地を割いて恩賞を与えた。→関東武士が源氏に恩を感じる元になった

・勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城

政治家がらみではいろいろ「公約」はありますが。
・池田勇人元首相の所得倍増計画
・某政治家が地元に駅を作ると約束して、東海道新幹線の経路を曲げたとか(笑)…地元民の信頼は勝ち取ったでしょう
・郵政民有化?
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三国志の話で


太史慈が呉に降るときの話はまさに
「走れメロス」的なエピソードです。

孫策の呉郡攻略の際
孫策と一騎打ちの後意気投合し
孫策軍に降る約束をした太史慈は
兵を集める為に一度劉ヨウ軍の元へ戻る。
孫策は太史慈を信じそれを快諾するが
家臣は誰もが太史慈が約束を違えると口々に言った。
しかし太史慈は約束を守り部下を連れて孫策に降った。
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マイナー路線で:


ケマル・アタテュルク: オスマントルコ帝国の借金を返した

革命などが起きたことで旧政権が外国にしていた借金を「なかったことにしてしまう」ことが多い(例: 旧ソ連というかロシア・ソヴィエト)中で, 一応借金を返したというある意味で珍しい例.
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宗教の開祖と言われる人は大なり小なりそのような人では?


ダビデはエジプトから奴隷とされていたユダヤの人々を神に啓示されたカナンの地に導く事を宣言し紅海を渡りパレスチナに達したといいます。
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ギリシャのアレキサンダーは自分が最高と信じたギリシャ文明を世界に広める事を使命と考えて世界征服の遠征を始めました。


当時世界最大のペルシャ帝国と戦い次第に版図を広げてついにペルシャ全土を征服しましたが、それで留まらずインドまで遠征しましたが、部下が長い遠征に疲れ帰国を迫ったのでついに帰国を命じたといいます。

この間ペルシャ文明がギリシャ文明と比べて遜色のない事を発見し両文明の融合を押し進めました。
見たこともない異境へ突進した勇気は誰にも真似できない偉業でした。
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ゴダイバ夫人(だっけ?)なんかどうでしょう?

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歴史に残る偉人の名言、格言の筆書がどこで手に入るかわかるかたいたら教えてください。

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名言集や格言集のようなものをお探しだと思いますが、この手のものは図書館に行けば、たいがい置いていると思います。
また、アマゾンなどで「名言」「格言」のキーワードで探すのもよし、WEBでも参考になるサイトはたくさんあるようです。

参考URL:http://www.kkgs.net/

Q日本の歴史の南北朝時代を調べようと思ったのですがここの部分で日本の歴史で一番難しそうなんですけど

日本の歴史の南北朝時代を調べようと思ったのですがここの部分で日本の歴史で一番
難しそうなんですけど
ポイントを教えてください。

Aベストアンサー

ポイントは人によって説明の仕方が異なると思います。
 一つは、動乱や統合(統治する幕府の変化の原因と他の政権への変遷の原因となるもの:つまり〇〇の乱:争いの原因は何か、〇〇時代~〇〇時代で、誰が中心的な役割を果たしたか? 誰の政権下:〇〇天皇、〇〇将軍等:にあったか?)等を中心にまとめることがわかりやすいかもしれません。

 ここに、とてもわかりやすくまとめて説明している動画があります。
これを見ながら、もう一度考えてみたら如何でしょうか?
①わかる歴史【南北朝時代】南北朝の動乱 https://youtu.be/hYipWhLxAqg @YouTubeさんから
②わかる歴史【南北朝時代】南北朝の合一 https://youtu.be/EOeqZv2bD_U @YouTubeさんから

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Q系譜という言葉について

自作小説のタイトルで「系譜」という言葉を使いたいのですが、「~への系譜」という使い方は誤用でしょうか? 系譜は大抵、「~の系譜」という使われ方をしているみたいなのですが。
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Q【ヨーロッパのパトカーの回転灯は】青色なのは歴史からだそうですが、どういう歴史があるのですか? 青

【ヨーロッパのパトカーの回転灯は】青色なのは歴史からだそうですが、どういう歴史があるのですか?

青の回転灯は欧州の歴史からそうしていると言っていました。

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法律の違いです。もともとヨーロッパでは「青」は「危険、注意せよ!」というイメージでつかわれていることが多いのです。因みに、アメリカは州や警察組織によって青色のみ、赤/青だったりします。
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ブレーキが赤色だから、青色の方が目立つとか、
自然界に青色に光る物が少ないから目立つとか、
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Q世界史の偉人や歴史的事件が題材の映画で

世界史の偉人や歴史的事件が題材の映画で
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「大統領の陰謀」足でかせぐ記者の地道さがいいです。これも事実の事件です。
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 「銀行崩壊/トレーダー」これもイギリスの巨大銀行が一人のトレーダーによってもたらされた事実のお話。日本の日経を基準にしてて、阪神大震災のときが、ちょうど出てきます。
 社会に出る前にしっかり見てください。そうとうえぐい現実を教えてくれますよ。

 

Q特攻隊の司令官は約束を守ったか?

私の父が亡くなりました。
88歳でした。
父は先の大戦に行きましたが戦争体験を
聞いても口をつぐんでほとんど話しません。
数少ない話として
父は大学の工学部に在学していたため学徒動員を免除されていたのに
大学を休学し志願して予科練に入隊したようです。
木更津で訓練を受けその後九州の航空隊に配属され銀河と
いう爆撃機に乗っていたようです。
多くの同期の人が沖縄方面に出撃し戦死、同期の生き残りは
ほとんどいないと言う事を聞いたことがあります。

多くの指揮官は特攻隊員に「自分たちも後から必ず行く」と訓示していたが
宇垣中将や大西中将や他の上級将校たちの終戦の日の行動は調べると解かりましたが、
実際現地で特攻隊員を送り出した現地司令官たちはどうしたのでしょう?
実際約束を守って出撃したのでしょうか?
それとも約束を反故にして戦後恩給をもらい続けたのでしょうか?
解かる人がいればお教え下さい。
学徒動員された人や予科練に志願した多くの人は沖縄の海に眠り
生き残った人も「苦労をかけた]という感謝状一枚もらっただけなのに
実際送り出した司令官は生き延びて、ずっと恩給をもらったというなら
なにかやりきれない気分となります。

私の父が亡くなりました。
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父は先の大戦に行きましたが戦争体験を
聞いても口をつぐんでほとんど話しません。
数少ない話として
父は大学の工学部に在学していたため学徒動員を免除されていたのに
大学を休学し志願して予科練に入隊したようです。
木更津で訓練を受けその後九州の航空隊に配属され銀河と
いう爆撃機に乗っていたようです。
多くの同期の人が沖縄方面に出撃し戦死、同期の生き残りは
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Aベストアンサー

「父は大学の工学部に在学していたため学徒動員を免除されていたのに大学を休学し志願して予科練に入隊したようです。木更津で訓練を受けその後九州の航空隊に配属され銀河という爆撃機に乗っていたようです」

父上様は、海軍の「飛行予備学生」を志願して士官搭乗員(少尉以上)になられたのでしょう。
「飛行予備学生」については、下記の本を読んで頂けるとどういう制度か分かります。

海軍飛行科予備学生学徒出陣よもやま物語―学徒海鷲戦陣物語 (光人社NF文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/476982324X/

「予科練」というのは、今で言うと高校生くらいの「少年」を教育し、下士官搭乗員にする制度です。父上様のような、大学レベルの教育を受けていた方は対象外です。

さて、特攻隊が編成される際は、海軍なら航空艦隊司令長官、陸軍なら航空軍司令長官といった中将クラスの指揮官が出向いたようです。こうした人が、特攻隊員に訓示をします。

また、質問者さんは「現地司令官」と言っておられますが、佐官クラスの「航空隊司令」や「航空隊飛行長」
といった立場で、特攻隊員を選考したり、実際の出撃を指揮したりする将校がいました。また、海軍や陸軍の中央で特攻作戦に関わった将校もいました。

そうした人たちの、敗戦時・戦後の身の処し方を述べます。最初の3名が、敗戦時に自ら死を選んだ人です。

大西瀧治郎 海軍中将:
レイテ沖海戦の際に、第一航空艦隊司令長官として特攻隊を編成し、送り出した。敗戦時には軍令部次長。特攻隊員に詫びる遺書を残して自決。

宇垣纏 海軍中将:
軍令部次長に転じた大西中将の後任のような形で、第五航空艦隊司令長官として、九州から沖縄方面への特攻作戦を指揮。8月15日に「玉音放送」を聞いた後、最後の特攻隊に同乗して戦死。「最後には自分も行くという、特攻隊員への約束を果たした」という擁護意見と、「死なないで済む若者を道連れにした」という批判意見が常にぶつかる。

寺本熊市 陸軍中将:
陸軍航空本部長として敗戦を迎え、玉音放送が放送された8月15日に自決。陸軍では数少ない「知米派」で、高い見識で知られており、寺本中将の自決を知った人は「寺本中将が自決するなら、先に自決しなければならない者がいくらでもいる」と驚いたそうです。
一般に、寺本中将の自決と、陸軍航空特攻の関係が指摘されることはありません。陸軍航空本部長は、陸軍航空隊を「直接に」指揮する職務ではないからです。私見ですが、寺本中将が自決したのは「陸軍航空の特攻について、誰かは責任を取らねばならない」と考えたからではないかと考えます。

富永恭次 陸軍中将:
レイテ沖海戦の後、陸軍の第四航空軍司令官として、特攻隊を編成して送り出した。米軍がルソン島に上陸して自分の身が危なくなると、上級司令部に無断で、部下を置き去りにして飛行機で台湾へ移動。「敵前逃亡」とみなされる行動です。その責を問われて予備役に編入され、即日召集されて、ずっと格下の職である「臨時編成の武器もない師団の師団長」として満洲に送られ、敗戦後にソ連軍の捕虜となる。10年後の1955年に日本に帰還して恩給生活を送り、5年後の1960年に68歳で死去。「帝国陸軍の恥さらし」という意見以外は見た事がないです。

菅原道大 陸軍中将:
1944年12月に第六航空軍司令官となり、敗戦まで、陸軍航空隊の特攻作戦を指揮。長崎県出身ですが、戦後は、埼玉県の飯能で農民となり、養鶏に従事しました。ジャーナリストが取材に行くと「自分はどんなに罵倒されても良い、だけど特攻隊の若者を悪く書かないでくれ」とだけ言い続けたそうです。1983年に95歳で死去。

源田實 海軍大佐:
この人は「特攻の指揮官」ではなく、海軍中央の参謀です。もともと、戦闘機パイロットでした。大西中将が第一航空艦隊司令長官としてフィリピンに赴任する前に、軍令部参謀の源田大佐が、「もはや、飛行機が爆弾を抱いて敵に体当たりするしかない」と全てお膳立てをしていたというのが定説です。源田大佐は、その後、海軍の精鋭を集めた343航空隊司令として防空戦闘を指揮しましたが、この時に部下の飛行長(戦闘機パイロット)と下記の問答をしました。下記は、飛行長の証言によります。ジョークではありません。
源田「ウチの隊も特攻隊を出さねばならないか」
飛行長「分かりました。では、私が特攻隊長となって、海軍兵学校出身の士官搭乗員を引き連れて特攻します。その次は司令が特攻隊長となって残りの者たちを率いて下さい」
源田「・・・慎重に考えよう」
源田は戦後は航空自衛隊に入って航空幕僚長に上り詰め、退官後は参議院議員となり、帝国陸海軍将校として一番幸せな戦後を送った人と言えるでしょうが、「源田さんが、軍令部で特攻を立案したんですね?」という質問には一貫して「ノー」と言い続けました。個人的には、富永と同じくらい卑怯だと思います。

山本栄 海軍大佐:
「最初の特攻」とされる、関行夫大尉の上官(201航空隊司令)。戦後はカソリックに帰依し、伝道生活を送ったが、自分が海軍大佐であったこと、最初の特攻隊を送り出したことは、信者には一切話さなかったそうです。

玉井浅一 海軍大佐:
上記の、201航空隊の副長。のち、航空隊司令として特攻作戦に携わる。戦後は日蓮宗の僧侶になった。特攻隊員の慰霊に尽くしたとされています。

中島正 海軍中佐:
フィリピンや台湾で、航空隊の飛行長、副長として「特攻隊員を選定し、出撃の順番を決める」という、特攻隊員の死ぬ順番を決める仕事に携わる。当時の部下の印象は「軍人と言うより役人のような印象」だったそうです。フィリピンでは、「中島中佐がいる基地には降りるな。降りたら特攻隊にされる」と、搭乗員の間で恐怖を持って騙られたそうです。当時、ある航空基地に着陸した搭乗員は、その航空基地の指揮官の指揮下に入るとされていました。
戦後は航空自衛隊に入り、空将で退官。特攻については何も語らなかったようです。
なお、中島中佐は戦闘機のパイロットであり、太平洋戦争の前半は、「飛行隊長」として、操縦桿を握って数多くの戦闘に参加しています。その頃については、特に悪い評判は聴きません。

「父は大学の工学部に在学していたため学徒動員を免除されていたのに大学を休学し志願して予科練に入隊したようです。木更津で訓練を受けその後九州の航空隊に配属され銀河という爆撃機に乗っていたようです」

父上様は、海軍の「飛行予備学生」を志願して士官搭乗員(少尉以上)になられたのでしょう。
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「...続きを読む

Q尾崎豊さんは偉人ですか

昭和偉人伝という番組で尾崎豊さんが取り上げられていました。

彼を知らないせいもありますが、私のもつ偉人というイメージの人ではないので違和感がありました。

彼を知っている人から見て、彼は偉人ですか。偉人でなければ何人ですか。

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廃人。

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どんな歴史でもすごく興味がある一般人です。世界の歴史をもっと知りたいため、今回は日本の有名な歴史を聞きたいと思います。いろいろありますが、皆さんの考えでいっぱい学びたいと思います。どうかご協力をお願いします。

Aベストアンサー

世界の歴史のうちの一部、という意味での日本史で、その中の有名な歴史、ということなら、大きな歴史的転換点がいいでしょう。
例えば、古代・中世・近世・近現代の転換点とかを考えると、
1:大宝律令の制定(古代的中央集権体制の設定)とか、
2:鎌倉幕府の誕生(武家政権の確立=中世的封建制の確立)とか、
3:鉄砲の伝来(戦乱の世の終結を早めた)とか、
4:関が原の戦い(江戸時代という「無事」の世の現出の契機)とか、
5:ペリーの来航(幕藩体制の崩壊の序章)とか、または
6:明治維新(近現代の開始)とか、
7:太平洋戦争の終結(戦後民主主義への道のり)とか、
色々考えられるでしょう。また、何を軸とするかでも違うでしょう。例えば、文化という観点なら5世紀の「漢字の伝来」とか、538年の「仏教の公伝」とか、奈良時代くらいからの「神仏習合」とか。
天皇制という観点なら、律令制の崩壊、摂関政治、院政、公武二元論、両統迭立、南北朝時代とか、色々ありますし(ちょっと細かいですが)。
おおまかに理解するには通史を描いたマンガも使えるでしょうし、それでわかってくれば、詳しい本を読んでみるとか、深めていけるでしょう。
(日本の客観的な歴史なら、上記のようなもの。日本人の内面的なもの、もしくは伝説的な(客観的な歴史叙述からは否定される)ものなら、『古事記』をまずは読んでみましょう。現代語訳や解説書なども無数に出ています。興味があれば民俗学も。柳田国男や折口信夫などが著名です。)

世界の歴史のうちの一部、という意味での日本史で、その中の有名な歴史、ということなら、大きな歴史的転換点がいいでしょう。
例えば、古代・中世・近世・近現代の転換点とかを考えると、
1:大宝律令の制定(古代的中央集権体制の設定)とか、
2:鎌倉幕府の誕生(武家政権の確立=中世的封建制の確立)とか、
3:鉄砲の伝来(戦乱の世の終結を早めた)とか、
4:関が原の戦い(江戸時代という「無事」の世の現出の契機)とか、
5:ペリーの来航(幕藩体制の崩壊の序章)とか、または
6:明治維新...続きを読む

Qテレビよりすごい変人・偉人、知らないですか?

テレビとかでたまに取り上げられてる、世間一般の変わった人っているじゃないですか、身の回りにいる変人や偉人がいたらおしえてもらえないですか? 
私の知ってるあの人は、もっとすごいよ。ってのが、ありましたら、教えていただきたいのですが、、
例えば、果物を楽器にして演奏しちゃうおじさんとか、、超マニアックな趣味を持ってる人とかの情報がありましたら、教えて欲しいです。

Aベストアンサー

こんにちは。
>果物を楽器に・・・これ私も出来ますよ。
音楽と物理学の知識がちょっとだけあればいいので、結構簡単な部類だと思います。

これは以前の私の質問ですが、
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=292070
こんな事もします。

Q歴史の格言(良い歴史、悪い歴史)

良い歴史も悪い歴史もない。歴史はただ事実の積み重ねである。
みたいな格言があったと思うのですが・・・
誰の言葉かご存知の方いらっしゃいますか?
トィンビーのような気がしてたんですが、いろいろググってもでてこなかったもので質問させていただきました

Aベストアンサー

おおっ、既にカーの名前が出てしまっている!

歴史とは事実の積み重ねだと言ったのが誰かは知りませんが、それに反対する人なら、苦し紛れでもうひとり思いつきます。

フランシス・フクヤマという人の理論で、歴史とは社会が自由になっていくというプロセスであって、現代においては既にそのプロセスは完了してしまっており、したがって歴史はもう終わっている、というものがあります。

これは、ドイツ人哲学者ヘーゲルの歴史観を単純化し、ネオコン系米国思想に適合させたものです。


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