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高校生です。高瀬舟の中の小説に出てくる登場人物「喜助」「庄兵衛」の二人のどちらが幸せかについて討論することになりました。
一応、小説の場面としては喜助が自分の罪について打ち明ける前の場面のところまでとして討論します。
中学生でやった内容なのに全然抑えられていなくて情けないですが、私は庄兵衛が幸せというグループに振り分けられました。

庄兵衛が幸せっていうことを討論で優位に進めるために何かいい主張を教えてくださるとありがたいです。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

①庄兵衛が、例えば、愛する家族に恵まれているとか、仕事に生きがいを感じているとかいう記述があるならともかく、小説の中の描写では幸福な生活をしているかどうか不明


②喜助が幸福感(満足感?)を感じているとしたら、弟の世話から解放された、弟を死の苦しみから救ったということ

でも、①と②を比較してどちらがより幸福だったかという客観的な評価は無理ですね。

後は読者が客観性抜きで感情的に判断をするとしたら②の喜助が安楽死で弟の苦しみを救ってやったから……という理由で喜助が幸福だったとこじつけるしかないと思います。

もしくは、
作者がどんな意図でこんな物語を書き、何を訴えたかったのか、作者の考え方や生き方から探ってみてはいかがでしょう。
森鴎外(本名:森林太郎)はこの作品を書く十数年前、日本陸軍の医療責任者として、自分の面子のために数万人もの兵士を死に追いやり、それを悔いることが無かった人物です。
https://diamond.jp/articles/-/282093
もし、自分はドイツで最新の医学を学んだという面子を捨てて、麦飯を食べさせることが病気の治癒に効果があるという海軍の実績を素直に受け入れていたら、数万人もの人たちが死ぬことは無かったんですね。

高瀬舟を書いた作者がこんな背景を持っていると言うことを前提に考えると
・プライドの高い作者は、過去の自分を正当化しようとしたのでは?
・脚気のエピソードを持ち出すのは露骨すぎるから、設定を変えて、仲の良い弟を殺した喜助を設定
・喜助が殺人を犯したのはやむを得なかった。喜助がやったことは人道上、間違っているとは言えないというストーリー展開
・作者は、多くの兵を死に追いやった自分を、喜助と重ね合わせて、過去の自分の判断は正しかったのだと思い込もうとしている

と、考えられませんか

とすると、
作者の生き方が投影された喜助が正しかった、満足出来る生き方だったというのは、ちょっと違いませんか。
誰かを殺してそれを正当化する生き方って、幸福どころか不幸ですね。

と言うことで、

人を殺す運命にも会わず役人として、こつこつと自分の仕事に励んで生きている庄兵衛が幸福という解釈も出来そうな……
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「喜助」は、シャバの生活が貧乏過ぎて、島流しの


方が良い、と喜ぶ。

「庄兵衛」は、不快な仕事ということで
世間からは低評価だが、安定はしている。


どっちが幸せか。
作者の意図は喜助なんでしょうね。


「庄兵衛」説を採るなら、島生活が心身とも
過酷なモノであった、という説をとる
ことになるでしょう。

また、喜助説だと、犯罪を犯した方がお得
ということで、犯罪を奨励することになる。
だから事実はどうあれ、喜助説を採る訳には
いかない。

そもそも心理学では、幸福とは人生に
おける満足を意味する。
だから、この小説からは判断出来ない。
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