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第二次世界大戦を経験された方にうかがいます。

横井庄一さんの嫁さんが戦争映画を見ていると、横井庄一さんがそれを見て、険しい顔をして、「こんなものは戦争ではない。」とおっしゃったことがあるそうです。

連ドラのひよっこで登場人物がこんなエピソードを語るシーンがありました。
「大戦中、夜、おれ(小祝宗男)と仲間が森の中にいると、突然目の前にアメリカ兵が現れて、『手を上げろ』と言ってきた。おれたちが手を上げるとアメリカ兵は、『今晩は楽しく過ごそう』と言った。そしておれたちとアメリカ兵はその晩楽しく過ごした。おれは負けたと思った。」
もちろん朝になってからも戦うことはなく、平和的に別れたというわけです。これはうろ覚えで書いたんで違う所があるかもしれませんが、だいたいこんな話でした。
そこで質問なんですが、こんなことって実際にあったんでしょうか?嘘でしょうか?
ありえないのではないかと思えます。

フジテレビの昼ドラの僕の夏休みでこんなシーンがありました。
大戦中のことです。部隊のリーダーが部下に、神風特攻隊を希望する人に名前を書いてもらうというシーンでした。
「私はあの部屋にいるから、みんな1人ずつ中に入ってきて、希望者は名前を書いてくれ。」と部隊のリーダーが言いました。
すると意外なことに、みんな嫌々名前を書いたのではなく、熱血高校球児みたいに、積極的に、自分のほうからやりたいかのように名前を書き、名前を書かなかった人は1人もいませんでした。リーダーは『みんなありがとう!みんなでお国のために戦おう!』と泣きながら言ったかもしれません。みんなで抱き合ったかもしれません。そんな感じのシーンでした。愛国心や情熱が素晴らしく描かれていて、感動的で泣きました。
けれど質問なんですが、これは真実なんでしょうか?みんな本気で神風特攻隊を志願したのでしょうか?心の中ではやりたくないと思っていた人もいたけれど、眺めとしては、表面的には、本当にこんな様子だったということなんでしょうか?

よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

>このお話はかなりazmsyrさんのプライバシーに係わると思うんで、


>目立たなくするために締め切りましょうか?
>そしたらランクからは消えるんで。
いえいえ、貴殿の興味ある回答がまだまだ寄せられるかもしれません。
私にお構いなくどうぞ回答を募集してください。

特攻で散った命だけで3948、
他空中戦にて被弾し特攻で突っ込んでった英霊も合わせると
陸海両航空隊だけでも5千は超えると思われます。

正式に空中戦での損失機の数は発表されておりません。

失われた航空機は陸海合わせて56000とかどこかの書物に書いてありました。
地上にて爆撃や破壊されたものを差し引いても1万は特攻と空中戦による

その家族の数は数倍になりますので
特に私のプライバシーに触れることでもありません。

>それとベストアンサーに選んで宜しいですか?
恐縮です、そのお言葉だけで充分です。
他に貴殿の質問に納得できる回答を寄せてくれる人がいるかと存じます。
私が言うのも僭越ですが、そちらにつけてあげて下さい。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
この、数についてのお話も興味深いですね。よくご存知ですね。面白いと云っては不謹慎ですが、興味深いです。

ただやはり、おじいさんの経験はかけがえのないものですし、特攻を希望されて死なずにすんだ方は貴重なのではないかと思います。
それと、私がベストアンサーに選んで宜しいか、あえてうかがったわけは、ベストアンサーに選んでしまうと文章が一番目立つ位置にきてしまうからです。
それでやはりazmsyrさんも、あとで、書かなきゃ良かったと後悔されるかもしれませんので独断で決めさせていただくことにしました。
ベストアンサーには選らばないことにいたします。
締め切りは、質問がすでに目立たないところに行っているので、とりあえずこのままでいこうかと思います。実はもう一回、全く同じ質問をしばらくたってからさせていただこうかとも思っているので、ここでこれ以上求める必要もありません。今回はazmsyrのお話を拝見して、ほんまに充分満足いたしました。
ただ、入力はいたしませんが、本当の意味ではベストアンサーです。
とんでもなく貴重でありがたいお話、ほんまにほんまにありがとうございました。

お礼日時:2022/10/28 11:49

第1の質問に。


あったと思いますよ。
相手は人間、いろんな人がいます。
お互い家庭があり、その心情をわかる人もいれば冷徹あるいは任務をまっとうする人もいたでしょう。

当時は各国とも徴兵されるのが普通でした。
つまり志願した兵隊ではないということです。
徴兵された人の中には戦争反対論者もいたことでしょう。
なのでどこかで出っくわした時にはここだけでも戦争をやめよう、
この場だけでもお互い生き延びよう、とする場合もあったかと思います。

特にアメリカ兵は国際条約(戦争時における)を厳しく守っていたので
ケガをして動けない人間や、捕虜には実に丁寧でした。
そういう人たちと楽しい話をすることもあったと思われます。

神風特攻隊志願について。
当然志願したと思われます。
そもそも海軍航空隊であれ陸軍航空隊であれ
パイロットは志願兵でなくてはなれません。
彼らは死を覚悟していたからこそパイロットに志願したわけです。

特に戦争末期、負ければアメリカの属国となり当時の認識では
奴隷扱いされ、婦女子は犯され、ひどい扱いを受ける、というものでした。

それだけは許してはならん、
特攻隊は故郷にいる家族、恋人が一日でも穏やかな
日を過ごせるよう願って志願しているのですから
本当は特攻に行きたくない、なんていう人はいないと思います。
特攻をしなければならない日本の状況は嫌だったかもしれませんが
特攻そのものをいやだという人はいなかったでしょう。

実はウチのじーさん特攻隊の生き残りです。
古ーいアルバムに葬式用の写真があります。
4つ切りに引き伸ばされた大きな写真には
愛機の戦闘機を背景に飛行帽にゴーグルをつけ、
飛行服に白いマフラーで腕を組んだ上半身が写っています。

出撃を待っている間に終戦と「なってしまいました」
「なってしまった」というのはじーさんの言葉です。
「なってくれた」ではなく「なってしまった」。。。
どこかに特攻を果たせなかった悔しさが出ていると私は感じました。

そのくらい、国を思っての志願だったようです。

もう他界していますが、毎年知覧からジーサン宛てに
慰霊祭のハガキが来ます。

元の話に戻りますが、
当時、じーさんは南方のほうに赴任し、
そこで何度か空中戦をやったらしいです。
米軍の空軍チームは「フライングタイガース」
これとドッグファイトをやって僚機は落とされることも多かったらしいですがジーサンは何度かの空中戦で敵機の一機しか撃墜しなかったようで
攻撃は下手だったがかわすのだけはうまかったと
いう話をしていました。

今から20年くらいですかね、
そんな「フライングタイガース」のメンバー(当然アメリカ人)
と新幹線の中でじーさんが偶然隣同士に座り胸のワッペンを見て
「お前、太平洋戦争時のフライングタイガースか?」
と聞いたところ、「そうだ」という話になり

「○×上空で3度にわたって日本の戦闘機とドッグファイトやらなかったか?」と聞くと、
「やったやった!覚えている!
まさかおまえ、その時の相手か?」
で話が盛り上がり、
ついでに自宅にまで招待して2mもありそうなでかいアメリカ人が
ウチに来たことがあります。

米軍退役軍人の「フライングタイガース」メンバー数人で
慰安旅行で日本に来てた人でした。

その晩はもうハチャメチャ。
2人で飲んでもう70過ぎていたジーサンとアメリカ人が
ウチのオヤジも含めてどんちゃん騒ぎ、

命をやり取りした、いわば殺し合いをした
2人があんなに喜んで仲良くできるもんか、と戦争を知らない私には
理解できませんでした。

なので、この感情が戦争下でもあった人がいるのではないか、
と思う次第です。
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この回答へのお礼

azmsyrさんのおじいさんはすばらしいおじいさんですね。
私の祖父母に戦争について話してと言っても、辛いことだから話したくないとか、思い出したくないとか言って結局全然話してはくれませんでした。話してくれなければ結局何もわかりませんので、正直つまりませんでした。望んで戦った人としかたなく戦った人は、まずそこが違うのかもしれませんね。
他に私が出会った戦争経験者は1人しかいません。その人は自営業をされていたのですが、もう15年くらい会っていないので亡くなっているのではないかと思います。そのとき80才くらいでしたので。
その人も戦闘機(飛行機)に乗っていたのですが、私と出会った時も、戦闘機が好きで戦闘機(飛行機)のプラモデルを作って沢山飾っていました。私が「戦闘機は人を殺す道具やから、嫌いであるべきなのではないですか?」と聞くと「そうは思わない。」といい、撃ち落としたことに罪悪感はあるか聞くと「ない。あのころはそういう時代やったから。」と言っていました。最近はロシアが戦争しているから以前よりリアルに戦争のことをイメージできるので、その人のことを思い出すと「あの人はいい人ではなかったんやな、人を殺しても可哀想と思わないんやから。」と思っていたのですが、そうではなくて、望んで戦っていたからああいうふうに思っていたのかもしれませんね。
戦地でなければ感じることができないことがあるようです。ゆえに私にはわからないことがあるようです。渥美清の“泣いてたまるか”というドラマで言っていました。主人公はかつて大戦中、陸軍で戦っていたのですが、その時のことを忘れないため、あるいは思い出すために時々戦争ごっこをするという話です。その時主人公は会社の役職に就いていて、もうオッサンやというのにです。所詮ドラマの話ですけど。

戦争に負けたら奴隷にされたりレイプされたりすると皆が思っていたというのは最近勉強して知りました。だからポツダム宣言を受諾するのに少し時間がかかってしまい、そのせいで原子爆弾が落とされてしまったらしいですね。

とんでもなく貴重で有難いお話を書いてくださり、ほんまにほんまに有難うございました。
このお話はかなりazmsyrさんのプライバシーに係わると思うんで、目立たなくするために締め切りましょうか?そしたらランクからは消えるんで。それとベストアンサーに選んで宜しいですか?

お礼日時:2022/10/27 11:48

日本独特の同調圧力だと思います



嫌とは言えない
その場で拒否すると言うことは
その部隊で生活できるだろうか?

インパール作戦などに関する手記などを読むと
我々の人間には戦場など理解できないと思います
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

お礼日時:2022/10/28 12:48

今年で終戦から77年です。


その当時の事を知っている方は90歳越え
ここを見ている方はいますかね?
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この回答へのお礼

うかがう場がここしかないのでしかたないのです。
私の祖父母もいませんので。

お礼日時:2022/10/24 15:35

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