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おせわになります。

君が代を歌わないのは個人の自由と言われればそれまでですが
「なんで戦争の歌を歌わなきゃならないの」と言う意見がありました。

君が代=戦争

これはあまりにも安易な発想に感じるのです....。
戦後60年が立っていつまでも「戦争の歌」なのはなぜなのでしょうか?
歌詞の意味も日本人であればおかしく無い内容で、平和的な印象を受けます。
(確かにメロディは重苦しいですが、荘厳な感じはします。)
天皇は国歌斉唱は「強制でないのが望ましい」と言っている様です。
こんな発言をさせてしまうのに国民として後ろめたさを感じてしまいました。

平和を叫んで君が代を歌わない人の攻撃性が怖い時があります。(皆ではないです。)
私は国歌なので歌いますが、それだけで「天皇万歳の右思想」と思われるのは
正直良い気はしません。天皇は敬いますがいわゆる【右】ではありません。

天皇の重要性は色々ありますが何と言っても「伝統」だと思います。
この伝統がある国だからエリザベス女王もアメリカ大統領も天皇陛下と
同席するときは上座を譲ります。外交にも大きな力を持っています。

この手の議論はいろんな意見があるので一筋縄では行きませんが
もう少し自国の旗や国歌に誇りを持てないかな、と単純に思っています。
若い人にこの思想がこびりつくのは、日本を誇れない悪循環に
陥りそうで少しこわいです。

みなさまのご意見お聞かせください。

まとまりない文章ですみません.....。

A 回答 (20件中1~10件)

 国旗や国歌は、その「国の顔」ですから、誇りを持って「変えない」のが本筋でしょう。



 変える国も時々ありますが、政情不安定で国の政治体制が大幅に変わったり、「国の顔」を変えることで、安上がりに人心一新を狙ったりというケースしかありません。

 日本人として、私は「国旗=日の丸、国歌=君が代」を変えないということが、日本人の誇りにつながると思います。
 
 歴史の長い国では、国旗・国歌の制定時と、現在の政治体制・政治理念とが、当然ながら離れたものになることもあるでしょう。
 それを、国の歴史変遷の一つの表われとして捉え、容認し、現在の国是と融和していくようなあり方こそが、国旗・国歌にふさわしいと思います。
(フランス国歌など、マルセイユで民衆を主体に編成された軍がパリへ向かって進軍するときの革命歌ですから、平和とはかなり異なっています。)

 私個人としては、国歌の歌詞を変更することについて、国民的合意ができるなら、(たとえば、天皇制が廃止された様な場合)変えてもいいと考えますが、日の丸や君が代のメロディを変えることには反対です。
 デザイン的に、「日の丸」はとてもシンプルで良いし、世界各国で行進曲風の国歌ばかりが多い中で、「君が代」は厳粛さと雅(みやび)を備えたいい曲です。

<質問者さんの質問のメインである、日の丸や君が代と、戦争や多民族支配の歴史との関連については、以下のとおりです。>

 日本人は、「日本の国土の上で、子供・女性・老人が外国の軍隊によって無抵抗のまま、繰り返し何万も殺戮されたのに、国は何も打つ手がないに等しかった。」という日本史上最大の失敗・国益の壊滅がなぜ起こったのか、第二次世界大戦時突入の原因を徹底的に分析して伝えてき、代々の日本人が良く理解して、再びこのようなことがないようにしなければなりません。
 その原因を伝えていかないのなら、このような多くの人の死が、無駄死になってしまいます。

 日本は戦争で、日の丸・君が代をはじめ、アジアのリーダーとしての地位や、精神的価値としての愛国心や武士道などを、勝てない戦争を長引かせるための道具として使ってしまい、これらを地に落としてしまいました。
 しかし、日本人が戦争を本当に「大失敗」と考えるなら、韓国や中国など、他民族の土地で掲げられたために、日の丸=多民族支配のイメージがあるからといって、日の丸を国旗として使わないようにしようなどという、暴論を持つべきではありません。
 地に落としてしまった大切な物を、捨て去って新しいものに換ればいいという安易な選択は、戦争の失敗を忘却しようという動きと同じように、戦争を過去にしてしまう同じ態度の裏表です。

 『日の丸』という旗自体に元々「多民族支配」のイメージなどのような意味付けなど、まったくありません。たまたまその時に道具として使われただけです。
 そのために、悪いイメージがついたのなら、今度は、日の丸が「安全と医療・支援の目印」であると世界中の人が認識するまで努力して、イメージを良くすればいいのです。
 日本人は日の丸を掲げて、世界各地の戦争難民救済に人・物両面での支援を続けることを行い、戦場から逃げ出した先で日の丸を見つけたら
 『助かった』と世界中の人みんなが思うようになる、それが日本国民の戦争責任の取り方であり、日本人としての国旗に対する名誉と誇りそして尊厳の守り方であると考えています。
 
 日の丸=安全と平和の象徴と世界中で認識されるようになれば、日の丸に敬意を払わない日本国民は存在しなくなり、日の丸を焼き捨てたりするような国民のいる国は、軽蔑されるようになるでしょう。

 法律で強制したり、ナショナリズムを鼓舞して「反日だ!」と叫ぶ必要は、全くありません。
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この回答へのお礼

ご回答、誠にありがとうございます。

>しかし、日本人が戦争を本当に「大失敗」と考えるなら、韓国や中国など、他民族の土地で
掲げられたために、日の丸=多民族支配のイメージがあるからといって、日の丸を国旗として
使わないようにしようなどという、暴論を持つべきではありません。

>地に落としてしまった大切な物を、捨て去って新しいものに換ればいいという安易な選択は、
戦争の失敗を忘却しようという動きと同じように、戦争を過去にしてしまう同じ態度の裏表です。
----------------------------------------------------------------------
本当にそう思います。日の丸・国歌は戦争の加害者、被害者である日本が忘れては
いけない物の象徴だと思います。
今オバマさんに広島長崎に来て貰うなどの話が出ていますが、最初は来なくてもいいと思っていました。
でも本当に核兵器廃絶を目指すのならば一度来て、肌で感じて欲しいと思いました。

よく「被害者ぶるな」と言うお隣の国々がいますが、核兵器の被害者である事には変わりありませんよね。
私は日本人だからかもしれませんが被害者ぶってると思った事は一度も感じた事はありません。

被害者日本を全面に出すのではなく、日本のメッセージが平和の象徴として世界に認識されれば
いいなと思っています。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/08 23:11

細石(さざれ石)ウィキより。


【国歌「君が代」の歌詞に歌われることで、その名が知られている。ただし、歌詞中のさざれ石(細石)は文字通り、細かい石・小石の意であり、それらの小石が長い年月を経て行く中で巌(いわお)となった状態のものが歌詞の、さざれ石と呼ばれているものである。】

小石が長年月をかけて自然に合体するようですね。いったい何年かかる
のか?それを観察していた日本人。その後でコケが生えるのですねえ~
1000年、1万年、5万年あるいはもっと・・・
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この回答へのお礼

再度のご回答、誠にありがとうございます。

私も日本のみずみずしい森の情景が浮かぶ様なこの歌詞が
好きです。悠久、って感じですよね.....。^^

なぜ「君が代なんて」「天皇なんて」と言う方達の中には
平和を全面に出していながらあんなに攻撃性があるのでしょうか。

ただ若い方にはなかなか想像しにくく判りにくい歌詞なのは
理解できます。かつての自分の様に。
いつかわかるといいな、と.....。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/08 23:20

もともとはただの相聞歌で(春歌という説もある)天皇をたたえる歌ではありません。

小さな石が大きな岩になることは自然現象ではありえずしたがって何かを例えたものであるようです。でも正直「苔のむすまで」って短いスパンですね。日本の国、数十年で終わりかいな・・
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この回答へのお礼

ご回答、誠にありがとうございます。

>もともとはただの相聞歌で(春歌という説もある)
天皇をたたえる歌ではありません。

そうなんですね。色々説があってわからなくなりますね。
でもいろんな解釈が出来るのも面白いかもしれませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/08 23:13

>この伝統がある国だからエリザベス女王もアメリカ大統領も天皇陛下と同席するときは上座を譲ります。

外交にも大きな力を持っています。

ネットで生まれたガセネタです
外交での席次は年齢順、即位順、任命順によって定まります
天皇陛下もですから状況によっては他国の元首の下座に座ります。現にタイ王室の式典ではブルネイ王の下座に座っています

中枢は「君が代」を強制することへの批判であって、これは「君が代」を国歌として認めるか否かとは、あまり関係ありません。

いわゆる反対派といっても

A「君が代」を特定の行事に強制する事への反対

B「君が代」を国歌とする事への反対

C国歌そのものの存在を反対

似通っているようですが、これらは全く意見が異なります。
Aの立場は「君が代」を国歌として認めることができる側も賛同できます。
現に保守派でも国歌は自発的に歌う方が自然であって、法律や圧力によって歌わせるものではないという意見はあります(現に天皇陛下もそのような趣旨を思わせる発言をされています)

Bの立場はですと、現在ではAの意見に賛同しても仮に彼らの理想とする国歌が誕生した時は、そのままAの意見に賛同するか否かはまた変わってくるでしょう

CになるとA、Bすら認められません。Aは強制さえしなければ国歌を認めることですし、Bは「君が代」でなければ国歌を認める立場ですから

ちなみに「君が代反対派」と十把一絡げに考えがちですが、Aの立場が現在ではもっとも中心的であって、「君が代が戦争の歌だから」という理由は、どちらかというと論点がずれた幼稚な意見として彼らからは批判的にみられています。
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この回答へのお礼

ご回答、誠にありがとうございます。

ガセなんですか....そうなんですね。しかし国外での皇室の位置は
それほど重要ではないです、日本人が天皇を敬う事が出来れば....。
それでも国外での天皇に対する対応は非常に良いと感じています。

私もなんでもかんでも行事に君が代を流して歌いたいとは思いませんが
「強制」までしないと歌わない人が出て来てしまったのはなぜなんでしょう?

Cの「国歌そのものの存在を反対」をしてしまう人、若い世代が
いるのはなぜなんでしょう?わたしもそうでした。
日の丸・天皇・愛国心アレルギー。とても不思議です。

>「君が代が戦争の歌だから」という理由は、どちらかというと論点がずれた幼稚な
意見として彼らからは批判的にみられています。

実際にそういう意見が若い方にもあるんですよね....。
でもいずれ私の様に考える機会がおとずれるかもしれません。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/08 16:32

イギリスの国歌との比較が話題に挙がったので補足すると・・・


同じ君主制をルーツに持つ国歌なのでフランスのような共和制の国歌よりも表現が柔らかいのかと思います。
しかし、イギリスの場合は「神の目」によりキリスト教徒としての責務を問われ続けている意識があります。つまり、神の加護のはキリスト教徒としての使命と道徳を果たしているかにより決まるという意識です。
一方、君が代は永久に続くよう希望しているだけです。
天皇陛下とも神とも契約するわけではないのが特徴でしょう。

四方を海に囲まれ抹殺ではなく融和の象徴として天皇制の歴史は素晴らしいとは思うが、空母やミサイルが存在する今日において永久に続くよう希望を表明するだけの国歌がふさわしいのか疑問です。
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この回答へのお礼

ご回答、誠にありがとうございます。

宗教・戦争がどうしても結び付きがありますね、国歌は。
この国歌がふさわしいかどうかは置いておいても歌詞は
日本の情景が浮かび、とても良いと思うのですがね.....。
悠久を感じると言うか.....。

ただこのニュアンスが海外の方に伝わるかどうかは
わかりませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/08 16:03

伝統と言うのは基礎のことだよ。


学校で習うことも全て基礎。
嫌いというのは数学が嫌い、社会が嫌いと子どもの言い訳レベルなんだよ。
でも、子どもの方が分からない。と答えるのに、大人は言い訳を言う。
しかも、逆ギレや暴力に訴える、法に訴えるなど酷い。

天皇は基礎に忠実に生きてるんだよ。
良く言われるマニュアル人間。

最近言われてるじゃないですか。
基礎が出来てない人間が増えた。ってねwwwwwwww
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この回答へのお礼

ご回答、誠にありがとうございます。

すみません...ご回答をよく汲み取れませんでした....。
天皇陛下が基礎(マニュアル)と言うのは少しわかりかねます。

一般とは違う生活をなさっているので、天皇を模範にする事は
難しい気がします。(的外れな事を言っていたらすみません....。)

ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/08 15:49

私個人は「君が代」にそれほど拒否反応もないのですが、確かに「君が代=戦争=日本ファシズム」といったイメージは、よくもたれますね。


ただ、このイメージ付けというのは短絡的でもなく、結構置くの深い問題だとおもいます。

もともと、「国歌」という概念が生まれたのは19世紀~20世紀にかけて、「国家意識(ナショナリズム)」が昂揚していく中で生まれてきたモノです。
もちろん、それ以前にも国王を賛歌する歌とか、「クニ(今の国家というイメージではない)」を指して作られた歌とかは存在していました。
ただ、今のイメージでの「国歌」というのは、19世紀ころの、今で言う「国家」ができていく中で、民族(国民)の一体感やナショナリズム精神を叩き込むために作られていったのが多くあります。
そのため、歌詞はおのずと攻撃的であったり昂揚心を煽る旋律だったりします。

日本の「君が代」は、ヨーロッパ列強各国がすでに国家を定めており、外交や交流などのときに演奏し合う一種の儀礼となってました。
また、演奏も国軍の軍楽部隊が行うのが通例でした。
これは、そもそも国歌のルーツが軍歌にあることを示唆しているといえます。
軍歌なのだから、戦争の匂いがしても当然だと思いますけど、一部の人にはアレルギー症状がでるのかもしれません。

ともあれ、日本も急遽「国歌」の作成に動き、『古今和歌集』や『和漢朗詠集』などを元に作られたといわれています。

===引用===
古今和歌集第七(賀歌)17首
題しらず 読人知らず

343
我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-ymst/yamatouta/ …

===和漢朗詠集===
祝(いはひ)

かしんれいげつよろこびきはまりなし、
ばんぜいせんしうたのしみいまだなかばならず、
嘉辰令月(かしんれいげつ)歓(よろこ)び極(きはま)り無(な)し、
万歳千秋(ばんぜいせんしう)楽(たのし)み未(いま)だ央(なかば)ならず、
嘉辰令月歓無極。万歳千秋楽未央。
雑言詩 謝偃或英明

ちやうせいでんのうちにはしゆんじうとめり、
ふらうもんのまへにはじつげつおそし、
長生殿(ちやうせいでん)の裏(うち)には春秋(しゆんじう)富(と)めり、
不老門(ふらうもん)の前(まへ)には日月(じつげつ)遅(おそ)し、
長生殿裏春秋富。不老門前日月遅。
天子万年 慶滋保胤

古今
きみが代は千代にやちよにさざれ石の
いはほとなりてこけのむすまで
読人不知

拾遺
よろづ世とみかさのやまぞよばふなる
あめがしたこそたのしかるらし
仲算

===以上===

元は、「我が君」だったんですね。
これが、時代を下ると「君が代」にすり変わっていった。
ここに、歴史の大きな「なぞ」が潜んでたりします。
「我が君」とは一体だれなのか?
『古今和歌集』編纂の過程を考えると大和朝廷(天皇)を指してるように思うが、本当だろうか?
なぜ、時代が下り『和漢朗詠集』では「君が代」になっているのか?
明治政府は、どうしてそれを採用したのか?
曲をつける時、なぜ日本の作曲家でなく、プロイセン人(現ポーランド)フランツ・エッケルトであったのか?

やはり「国歌」なのだから、伝統的なものでなければダメだろう。
しかし、列強各国に舐められないように、彼らにも受け入れられる旋律じゃなければならない。
その折半案が伝統的に受け継がれてきた「祝賀歌」の「君が代~」から始まる歌を採用し、曲は顧問としてきていたフランツさんにお願いした。
これでもって、国威昂揚と欧米列強に肩を並べる体制を整えていった。
といったところでしょうか。
まぁ、素人の勝手な推測ですけど。

と、何が言いたいのか支離滅裂になってしまいましたけど、この辺で筆をおきます。
長文乱文しつれいしました。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答、誠にありがとうございます。

>確かに「君が代=戦争=日本ファシズム」といったイメージは、よくもたれますね。

これが不思議なんです。私の様な普通の一般市民が
学校で教わった訳でも無し、誰かに教えられた訳でも無し
「いつのまにか」アレルギーを起こしていたのです。

そして回答者様の中におりましたが「天皇の歌だから歌わない」
と言う思想はなぜ生まれたのか。

先にもお礼で述べさせて頂いたのですが、国歌=戦争と言う図式は
わからないではありません。むしろ当たり前の図式かもしれません。
でもそれがなぜ、今の日本が言われているのか。
(これも被害妄想なんでしょうかね.....)

歌詞の関しては穏やかな内容で「君」が仮に天皇であっても
千年前の歌である事、憲法にあるように日本の象徴であるのなら
おかしくは無いはずです。

他国、国内外からの思想を自分で考えず(私もです。)鵜呑みにした結果かもしれません。


考えはつきませんね....。ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/08 15:43

君が代、大嫌いです。



天皇=税金を一円も使わない伝統、なら敬うけどね。
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この回答へのお礼

ご回答、誠にありがとうございます。

多いか少ないか感じるのは個人によりますが
皇費は国民一人当たり年間177~200円くらいだそうですよ。
(間違っていたら申し訳ありません。)

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/05 01:41

エリザベス女王が出てきたので、参考までに日本とよく比較対照されるイギリスを見てみると、その国歌の歌詞の大部分は、女王(王)を称えていますね。


現在歌われる場合は1番のみが多いし、「神様、女王を守ってその世を長く…」って、君が代とあまりかわりません。
ある意味日本より宗教的とも言えます。
なのに、国歌が問題だという論争はほとんど聞きません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%8E%8B% …

王室(皇室)が伝統的に今も続いている国で、王(天皇)を称える歌詞が国歌に入っている例は、時々あります。(ブルネイ、デンマーク第2国歌、等)

今の日本の憲法では、天皇は日本の象徴の地位に位置づけられているので、それが長く続くようにという事は、
同じように日本という国家が何事もなく続くように願うと解釈できると思うんですけどね。
(天皇が独裁権力を持つとか、日本が滅んで天皇家だけ続くなんてまずありえないですから。)

ただ先の戦時中の指導の為に、戦争を連想する人も少なからずいます。
けれども、君が代そのものが戦争を促す歌なのではありません。

戦後にきちんとした教育がなされればよかったんでしょうが、
現在でもどうしても戦争と結び付けたい人たちが、
なぜかその古い意識を若い世代にずっと受け継がせようとしているように思えます。

国外からの贖罪意識への圧力とも連動しています。

個人的には君が代は好きでも嫌いでもありませんが、
戦後の反省から約60年、直接戦争に加担していない日本が、
君が代を国歌においていると言うだけで、
すぐ戦争賛美だとか反省していないというのはあまりに短絡的ではないかと思います。
君が代自体は大戦前より存在し、軍事的に作られたものではありません。
たまたま、日本という伝統文化を持つ国がその文化の一つである和歌を基にしただけかと。
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この回答へのお礼

ご回答、誠にありがとうございます。

>現在歌われる場合は1番のみが多いし、「神様、女王を守ってその世を長く…」って、
君が代とあまりかわりません。

>すぐ戦争賛美だとか反省していないというのはあまりに短絡的ではないかと思います。
たまたま、日本という伝統文化を持つ国がその文化の一つである和歌を基にしただけかと。

私もそう思います。
それに恋歌とか結婚式で祝い歌として歌われてたとか諸説あるようで
必ずしも天皇であるとは言い切れないようですしね.....。
仮に天皇だったとしても決して変ではありません。なにせ千年前の歌ですからね...。

なにか良からぬ力が働いているようで怖い時があります。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/05 00:06

君が代は歌詞を見れば、天皇家の個人的な歌。


だから、私は歌いません。
国歌とは思いません。

伝統が長ければ何がいいの、
自分がそれを維持してきたのでなく、
国民の 税金 で維持しているんでしょ。
他人のフンドシで相撲とっていて、威張る価値 あるのって感じ。

エリザベス女王もアメリカ大統領も天皇陛下と
同席するときは上座を譲ります。
外交辞令で譲るのは当たり前、それを真に受けるのはちょっと
どうかと思うんですが。
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この回答へのお礼

ご回答、誠にありがとうございます。

少し質問の趣旨を外れた回答ですが、あなたのような意見があるのは全く
不思議ではありません。私もかつてその意見でしたので....。^^;
税金のムダ遣いなどなど特に若い人に多く見られる意見です。

むしろ税金の無駄使いをしているをしているのは官僚その他の公務員です。
それに天皇は仕事(金銭が発生する事)ができないので税金でしか暮らせないのです。
相続税などは払っている様ですよ。

それとちょっと国歌とは外れますが......。
伝統と言うのは壊すのは簡単ですが守るのが想像以上に大変で困難な物です。
この「伝統」は日本の強みですよ。
無くなってしまったら観光客も来ない国になってしまいます。
天皇は外国に置いては日本以上に敬われ尊敬されています。(中韓以外は...。)

あと、もし天皇になった時の事を想像してみてください。
私はけっしてなりたくはありません....。まるで鳥かごではありませんか。
天皇は天皇家に生まれてしまったから天皇なんです。
生まれた以上、責任と使命を果たしているのです。

いろんな意見があって良いと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/04 23:37

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