煩悩即菩提の意味について、wikiには立派な解釈と説明が載っておりますが、理解できたようなできてないような気になっています。
少なくとも、凡夫のまま、愚かなそのままで良いと言う意味ではないことは分かるのですが、特に、即、という意味を図りかねています。自分の過ち(煩悩)を知ることは即、その時の正しい事(菩提)を悟ることに通じる、という意味なのでしょうか。例えば、哀しみがあるからやさしさがあるようなもの、或いは、やさしさがあるから哀しむ事も出来る、というようなことでしょうか。
また別に、無煩悩無菩提と言ったような事態が、覚りの境地であるような気も致します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A9%E6%82%A9 …
「渋柿の渋味、そのまま甘味かな」「この泥があればこそ咲け蓮の花(与謝蕪村)」
などが例示としてあげられているのですが、渋柿を干し柿にして食べたこともなくて共感が湧きません(渋味成分が変性して甘みになる?)。また、蓮が泥地帯に咲くのは蓮に有利なことがあるからであって、蓮にとっては泥は人が認識しているような汚れとは違うと思うことから、後者の例もあまり理解できません。多分蓮は、清潔な環境の水耕栽培でもきれいな花を咲かせると思います。泥は必要悪ではなく、自然界における都合の良い環境に過ぎないと思います。泥から綺麗な花が咲くので演出的な効果を人は感じますが、実態はそのような演出とは関係が無いと思います。
それとも、泥=世間 蓮=仏 ということでしょうか。
或いは、苦しみがあるから楽を求めるのであり、それを受けるので根本的に癒そうとする、一種の反作用として、煩悩(苦)に対するアンチテーゼとしての菩提(楽)があり、その対立が昇華して苦楽に煩わない境地に至り、人と言う生態の全体を肯定できるようになるのでしょうか。
皆様のご見解を待ちしております。
なお、よい回答、なるほどと思えるような回答が求められればカテゴリはこだわりません。こちらでは哲学カテゴリ版として、問いたいと思います。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
即は「すなわち」であって、「そのまま」の意味です。
「すぐに、即座に」などの意味ではない、と思います。また、「菩提」には「涅槃」や「悟りの境地」そのものの意味以外に、そこに至るための道筋や智恵などの意味があります。
と言うことから、「煩悩即菩提」とは、「『煩悩』とは『即ち』『涅槃に至るための道筋』なのである」と言うことではないでしょうか。
「『煩悩』を捨て去るのではなく、『煩悩』と向き合うことから『菩提』が得られる」、つまり、「凡夫が『菩提』を得るためには、『煩悩』もまた必要なものである」などの意味ではないか、と私は考えています。
「渋柿」や「蓮」はただの例えですから、ある意味で誇張や事実とは異なることを含んでいると思います。
また俳句ですから、字義通りに捉えるのではなく、行間字間から蕪村の想いを汲み取ろうとするべきだと思います。
「渋柿」は「渋味」があるからこそ生食はせず、手間暇かけて寒風にさらして「甘味」を引き出して干し柿にします。生の柿より濃厚で深い、干し柿の「甘味」は「渋味」があったからこそ引き出されたものなのです。
また、「蓮」は水耕栽培でも美しい華を咲かせるでしょうが、汚く見える「泥」の中で、「泥」に守られ、「泥」から養分などを得ることで、「泥」から抜け出て「華」を咲かせるものです。
「渋柿」も「蓮」も、様々な苦労や時間をかけて生まれ変わるものとして、蕪村にとって手本にしたいものとして、その時の蕪村の心情や望みを象徴するものとして、選ばれたのだと思います。
なるほど。蕪村の生い立ちは知らないのですが、句を詠んだ人の心情は考慮すべき事のように思います。
煩悩が涅槃に至る道筋である、や、渋柿は生食はしないなど、何か感じるところがありました。ありがとうございます。
難しいですね。
No.11
- 回答日時:
書き忘れたので、追加。
化法(けほう) 仏語。仏が衆生 (しゅじょう) を教化 (きょうけ) するために説いた教法。天台宗で説く八教のうち、化儀の四教に対する四教。
https://www.google.co.jp/search?lr=lang_ja&hl=ja …
文章の意味、ロジカルな内容理解ということではなく、『言葉の作用』に注目することです。
あー、なるほど。読ませやすくする工夫とか、引き込む工夫、韻律の効果、数字の効果などにも目を配れば、
煩悩即菩提
の、短いながらも確かに人間の気持ちのスイッチを押すような作用を持つ形式をしているように思います。
なんというか、人間が喜びそうな事を言っている気がします。
その意味では、
虚仮の一念 とか、 ○○の奥義的なものは、そういう食指を誘う構造をしている気がします。中二的なものも多いですね。
これらの言葉がその作用を目的に発せられたのか、言葉として発するにはそういう構造にならざるを得ない精神の機序が先に在ったのか、と思うと、言葉から逆算して発した人の精神の在り様を探索することも可能ですね。むしろそれが、筋なのかもしれません。発された言葉の真意を知ると言う事は。
まったく門外の事を引用するのですが、有名な物理法則も、物質はエネルギーであると言うあれも、とても興味をそそる記述のように思います。人の目を惹くと言うのはそれだけで、作用や効果が含まれていることが保証されているのかもしれません。
素っ裸よりもタイトであったりちらりと見えたりする服を着ている方が魅力的に見えたりするのも同じでしょうか。見ている、読んでいる方の想像力を使うと言うか。なので、
衆生は修行して仏に成る
と言うよりも、
煩悩即菩提
と言った方が、相手の想像力を起動させて、それぞれに適した、ある意味で都合の良い解釈をしてくれるので、その方がむしろ修行の本意に適っているとも見れますね。
とても勉強になりました。好い回答をありがとうございます。
No.10
- 回答日時:
既に多数の回答が寄せられているので、別見地から。
ビジネスでも、顧客や関係者、あるいはこれから関係を結ぼうとしている相手、ただの第三者、一般人に、心理的防御姿勢を強められてしまうと、以降の対処が何かと大変になります。 笑顔がイイとは限らないですが、不機嫌や怒り・叱責・攻撃を感じさせる表情や声をしないことは大切です。 今流にいうとEQの重視ということです。
https://up-to-you.me/article/789/
宗教者でも、叱責や強制、「べき・ネバならない」を前面に押し出しては、上手くいかなくなります。 ダメ出しを出すのではなくて、共感的な姿勢で、「大変ですね、お辛いでしょう、よく頑張っていらっしゃいます」とか、自分の例や先達の師や高僧にも苦労したこと・失敗が重なったことなどを紹介して、心の門を開けてもらうことが肝要です。
《便法・方便》も使うと、効果的です。「渋柿の、渋 そのまま甘味かな」もそういう効果が得られることで採用されている便利なフレーズです。もちろん、宗教上活動上の創作なので、典拠のようなのはないですが、それにぼやーんとした解説を付加して法話に織り込めば、「あなたは大丈夫、救われることが決まっている」という方向に説いた効果をもたらし、聞き手の態度や悩みにことになり、法話をした自分との関係も拒絶的ではなくなります。
煩悩即菩提、無明即菩提、行即菩提、識即菩提、生死即涅槃
とにかく、分かったような、でもよく分からないことを、さも「尊い教え」のように《会得した境地を開陳し、教え諭す》態度で述べることが、言われた側が安心の方向に動いていく、重要な働きをするのです。
渋柿を囓ったことも、干し柿を食べたこともある経験者ならば、「渋柿の、渋 そのまま甘味かな」の文章構造的な意味解釈には納得できなくても、『そいうものなのか』という気にはなれます。 で、**即菩提(涅槃)も、意味解釈はどうにも不明のママでも、『**』であっても、『**がどんなに具合が悪い、不都合でたあった、とても苦しくやりきれない状態』であっても、『それでもイイらしい。結局はよくなるらしい。 救いに繋がるらしい』という気持になり、ネガティブ・マイナー・自責・自己否認の状態から脱する『救いの呪文』になるのです。
聞いた者、読んだ者が、[苦しみがあるから楽を求めるのであり、それを受けるので根本的に癒そうとする、一種の反作用として、煩悩(苦)に対するアンチテーゼとしての菩提(楽)があり、その対立が昇華して苦楽に煩わない境地に至り、人と言う生態の全体を肯定できるようになる]と解釈し、それで自分を納得させ、肯定感を得ることに繋がるのであれば、"それでも良い"のです。
宣伝文、コピー、ビジネストーク、EQのコミテクと理解してみると、現実に数百年もこのフレーズが使われていることが理解できると思います。
確かに別見地からのご見解ですね。
宗教は人を救済したいのであるから、人に拒絶され門前払いされてはその目的は達成されません。
敢えて相手の非?も抱擁し、受け止めてから、こんなのはどうですか?と提示するのは営業的に有りだと思います。
この、煩悩即菩提が大乗説であるところも相まって、民衆に受け入れられるための方便交じりの文句であると考えれば、なるほどと思います。
医者が、大丈夫ですよ、一緒に治していきましょう。と言ってくれれば大変心強いです。いきなり、もう手遅れですね、と言われれば絶望する人も出てきます。手遅れですね、と言われて覚悟が定まり開眼する人も少なくないとは思いますが。
大丈夫です、一緒に素晴らしい人生を目指しましょうと言われれば、上手く行っていない人は心動くと思います。
これが大乗に起因する文言であると言うところに文言の全容と意味を正しく理解するポイントがあるのかなと思いました。
No.9
- 回答日時:
№3です。
12. ★ (№3お礼欄) 7-1.によると、無煩悩無菩提が、開祖の意味した覚りなのでしょうか。
☆ ゴータマ氏は アン‐アートマン(無‐霊我ないし無我)をとなえました。
13. 動機としては カースト身分制にくるしむ民衆の心を思ってのことだと見ます。そのように身分がいくら次の世へと輪廻転生してもいっさい変わらないと説いたブラフマニズムをゆるせなかったかと。
14. 身分一定は 業(カルマ:なされた行為)によって決まるというとき 階級制の枠を超えてではない。そこをゴータマは 生まれによってではなく何をおこなったかのカルマによって四姓の枠をも超えられると説いた。
15. アートマン〔をとおしてのブラフマンの〕信仰を目の敵として 《無我》を言い放った。〔ブッダの法(ダルマ)への信仰は のこされていたようにも見えますが〕。
16. 無我説のオシへによって得られる最大の結果は 《二度とこの世に生まれて来ないこと》です。この世の生は 苦ですから。
17. ですから この《無‐生》という意味で 《無煩悩無菩提》をふくめていたかも知れません。
18. ★ 9-1.に挙げられる本覚思想は、wikiによると煩悩即菩提と結びつけては成らないとあります。煩悩と菩提とは、あくまで紙一重で分かれてあると。
19. 後世のブディストたちは 《苦の先行》説をひっくり返しました。
アートマン命題に対して反対する師匠のアン‐アートマン説 これはブッダの生命(または ダルマ)といった高いところに揚げて 棄てました。手にしたのが ブッダター論。
20. 《一切衆生 悉有仏性》なる命題が すべてに先行します。すなわち 《ひとは生まれたままですでにさとりを得ている》という本覚思想です。
21. ただこれによると 何もせんでもよいだとか事なかれ主義だとかにつながり得ます。なら 仏性も菩提心も その欠片もへったくれもないとして 毛嫌いされさげすまれてしまいます。――そういう問題だと思います。
21-1. 批判者が そういった批判の対象となっている状態としての生臭坊主であるかも知れない。
22. 問題は 苦の以前に煩悩や無明より先に 仏性が来るんだという神観ではないかと思われます。
23. ★ 11-1.煩悩と菩提の一体性の矛盾を合一して、アウフヘーベンするのでしょうか。
☆ それは アンチ・ブッダター(仏性)論だと思います。つまり アン‐アートマン(無我)論としてのさとりでありその修業説でしょう。
24. そうではなく 仏性先行論によるなら すでに旧来の説にいう二項対立をアウフヘーベンし終えた状態で生まれて来ているわけです。
25. 菩提は 生命体の生命であり自然本性いっぱいの人間の能力です。
煩悩は 人間の意志が自己表現するあらゆる発言と行動を――欲望の視点から捉えた――すがたです。
26. 人間の知性も努力も 限りあるチカラでしかないわけですが それでも――仏性ないし本覚というからには―― おそらく薄暮のひかりでしょう。
27. やがて消えゆく薄暮の光とは言え 光は光です。あらゆる煩悩や無明なる振る舞いについて 或る程度は自治できます。煩悩と菩提の一体性の矛盾を我慢できます。さらに助け合っていくらかは共同自治してゆくことができます。
28. といった常識論に落ち着くのではないでしょうか。問題は鍵は ひかりが われわれみづからの心身の内にやどるといった――強引なながらの――命題にあると思われます。
29. たとえば:
▲ (親鸞) はからひ無きを 自然といふ。
▲ (同) 念仏は 非行非善なり。
☆ すでに即得往生しているゆえ さとりへと到る修行ではないんだ。何かさとりや往生を得るために善行をやらかそうとしているのではない。と。
29-1. 念仏によって往生できるという説は 法然です。ラッキーだったら 念仏をとなえてもよい それは自由だ。が 親鸞。(師匠に花を持たせて 念仏は継承した)。
30. わたしたちは つねにおしまいから始めるのだと思います。ゴルディアスの結び目は 知らないうちに解けていた。・・・
ありのままを人間を認め、しかし悪を野放しにすると言う事もなく、その自然の状態で、既得往生しているとする。往生しているからにはもう行くところは無いのだけれど、そこから始まるのが人間というものである。
なるほど。含蓄ありますね。これなら煩悩即菩提の解説として理解できそうです。
No.8
- 回答日時:
煩悩が無ければ菩提心は起きない!
そう云えると思います。
ただ、煩悩に負けているだけでも、菩提心は起きないでしょう。
艱難汝を玉にす、ということわざがありますが、艱難に出会ったときには、逃げずに立ち向かってこそ自身の心は磨かれると云うように、自身の今のこの煩悩が愚かな事だと感じたならば、何とかしようと思う筈です。
この、何とかしようと思うきっかけを作ってくれるのが煩悩だ、と云う事です。
尤も、釈尊の場合は煩悩に悩まされたと云うよりは、不自由のない恵まれた生活環境に居るのに、なぜ心は満たされないのか、との疑問から修行を始めたのでしょうが。
わたしも衣食住には事欠きませんが、人生に張りがありません。充実感がなく、虚しく孤独だと思います。
精神的に高潔に、朗らかに生きたいと思う反面、もったりとした生活をしています。
確かにこのある種怠惰な暮らしに問題意識を持たなければ、よりよい生活態度を求めることもありませんものね。
No.7
- 回答日時:
わかりやすく言うと、煩悩とは「悩み」であり、悩みを起こさせる欲望です。
菩提とは「幸福」であり、自信の境涯が開けることです。
ふつうは、煩悩と菩提はバラバラです。悩みと幸福は正反対です。
しかし法華経では、そうではない。
悩みという「薪(たきぎ)」を燃やして、はじめて幸福の「炎」が得られると説く。のです。「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」とあります
「どんな悩みも壁も困難も、全て幸福への原動力としていける」
自身の悩みから逃げようとするのではなく、それを克服しようとする強い生命力によって、「煩悩」を突き抜けて「菩提」に変えていける、というメッセージが「煩悩即菩提」には込められているんです。
菩提(幸福)の中身は充実です。
苦難と戦う所に、挑戦する所に、前進、希望、歓喜、幸福、勝利、充実があります。そこに「菩提」があります。
何の苦労も無い「菩提」など、世界中探してもありません
いちばん苦しんだ人がいちばん幸福になる。いちばん悩みをもった人が、いちばん偉大な人生となっていく。これが「煩悩即菩提」です
おお、なるほど。薪ですか。すると、火と言うのはatoitiさんとしては、挑戦する意志や努力の熱量と言う事でしょうか。
この薪(煩悩)を焼く譬えを聴いて、煩悩を消却すると言うようなイメージを私は持ちました。鋳型で仏像を作るように、煩悩(鋳型を最初に埋めていた物質)の消え去った後に、智慧が現れるのではないかと考えました。
考えが進む好いヒントになりました。ありがとうございます。
No.6
- 回答日時:
音色説に物言い。
苦→解脱 あるいは 煩悩→菩提。:これが ゴータマ氏。
一切衆生 悉有仏性。→ときに煩悩(人間の根本的な生存欲)によって 人間もよごれる。:このように逆転したのが 後世のブディストたち。
(☆ 庶民のほうが えらい)。
ゴータマ氏の批判したブラフマニズムの梵我一如説に立ち戻った。
ただし アートマン(霊我)をブッダター(仏性)と言い換えた。
人間は煩悩と菩提、衆生と仏の二面性を持つ存在と言う事でよろしいでしょうか。コインの裏表の様に、二面あって一体となっているみたいな。
しかし実際の人間はもっと複雑なような気もします。
ゴータマ氏の説の方が、後世のブディストたちの見解(大乗?)よりも分かりやすい筋が通っているような気もします。苦しいから解脱する、煩悩が辛いから菩提である楽を目指す。非常にわかりやすい。しかしそれだと、即の意味がよく分からなくなります。煩悩即菩提と言うのは大乗説のようですが、ありのままの衆生が仏なわけではないと、煩悩=菩提ではないと、wikiの解説者は唱えています。
だとすると、即とはどういうことなのでしょう。
No.5
- 回答日時:
“煩悩即菩提”の意味は、煩悩が在るからこそ菩提心が生まれる、という事です。
煩悩がそのまま菩提心、という訳ではありません。
☆ 煩悩に苦しむ時は、菩提心を起しましょう。
☆ 起床して洗顔すれば気持ちもすっきり。煩悩と云う泥を落として、水面上に花を咲かせましょう。
☆ 心に付いた渋は太陽の光を浴び、渋味を甘く変えましょう。
一つ目の☆が特にシンプルで分かりやすいです。
やっぱりそういう事なのでしょうか。そうすると菩提と言うのはある種の反応であり、煩悩が無ければ存在し得ないということになる。
No.4
- 回答日時:
人間には、悩み・苦しみがあり、それが「不幸」という実感をもたらす。
その不幸の原因となる、悩み・苦しみは、迷ったり執着したりする心によって起きると思う。それを仏教哲学では「煩悩」と名付けた、と。この「不幸」という実感は、おそらく人間以外の生物にはあっても、チンパンジーのような知能の発達した種が、漠然と感じているに過ぎないのではないかと思います。
しかし、人間はありありと切実に感じてしまう、不思議ですが。
その苦しみを取り除くために人間の努力、進歩があったと言えるでしょう。
その努力は皮肉にも為政者の中ではなく、民衆側にあったと言えると思います。学者とか宗教家とか所謂知恵者とか。
その努力によって、様々なレベルの「菩提」つまり、良き発見が成された。
人間の悩み・苦しみを消し、喜び・楽しみ=幸せをもたらすために成された努力です。
それは、「宗教」「哲学」「科学」「芸術」「文化」などなどのカテゴリーに分けることはできますが、これらを一律に並べるという視点が重要であると思います。同じ目的に向かった人間の、理論、方法論であるからです。
その中の「宗教」というものも、所詮は人間の不幸をなくし、幸福をいかにもたらすかということを目的として、哲学を理論立て、実践法を説いたものであると言えます。宗派の違いは、それの違いであると明快に認識すべきです。
その宗教の中の「仏教」の一部は、「煩悩即菩提」という考え方を説きました。「即」というのは「そのまま」ということで、一人の人間の中に迷いも悟りもあり、凡夫も仏もあるということであると解釈しています。それは、キリスト教の生命観とは相対するものであると思います。
また、泥と言うのは現実社会の汚さと言う意味であり、蓮の花の美しさは素晴らしい文化というものを象徴していると思います。
ふむ。また違った角度からの解釈をありがとうございます。
煩悩と菩提は並列なのでしょうか?一人の人間の中で。人間はこの二つの間で揺れ動いてしまうのは、煩悩にも菩提に劣らない魅力があるからでしょうか。美味しい食事、快適な家、美しい異性、など。
世間の汚れを泥に見立てて、そこにあっても清廉さを保っているモノや文化、人を蓮に喩えているというのは、これは分かりやすいと思います。
しかし、これだと泥中の蓮が、煩悩即菩提の例えとしては成立しないような気もします。
人間の苦しみや悩みに応じたそれぞれの菩提が開花したと言うのは、なるほど一理あるなと思います。蓮と言うのが普遍的な菩提ではなく、それぞれの菩提であるというのは、煩悩にも種類があり、それぞれに応じた固有の解決があって然るべきの様にも考えられるからです。
No.3
- 回答日時:
1. ゴータマ・ブッダと呼ばれるようになった男は 文字通り《苦:ドゥッカ:思うようにならないこと》から出発します。
2. 生老病死と言い 特に――われわれには奇異に映るのですが――生を苦と規定しました。
3. 苦の原因は 煩悩あるいは無明です。
4. これを解釈するに 《人間の根本的な生存欲》だと捉えられています(宮元啓一)。つまり 《生》の苦に合わせた恰好〔の一解釈〕です。
5. ところで ゴータマ氏は この上なくとうとい智慧のさとりを得たと言い これを《ブッダ(目覚めた)》と表現しましたが ブッダター(仏性)は説いていません。如来蔵(タターガタ・ガルバ)から発達した概念です。
6. ブッダなる状態になれば もう輪廻転生しなくなる――生苦から自由になる――とさえ言ったし そういうかたちでさとりの状態を説明します。
6-1. 身分制のもとにくるしい生活を送る人びとへの精一杯の応援歌のごとく。
7. すなわち:
▲ (スッタニパータ) ~~~~~~~~~~
http://hosai02.la.coocan.jp/dammapada-01/suttani …
第一 蛇の章
1、蛇
1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
7-1. 《生》苦からの解脱とは 《この世とかの世とをともに捨て去る》ことだと言います。表現としてだけでも。
7-2. ニルワ‐ナ(涅槃)とは 《ろうそくの火が消えかかったような状態》を言うらしく ヨーガの修行は 根本的な生存欲を消し得たかのようにかろうじて日々を生きている状態を目指すようです。
8. しかるに 後世のブディストは 《ブッダター(仏性)》を推し出しました。
8-1. けっきょく ゴータマ氏が批判したブラフマニズムの説く《アートマン(霊我)》と同じ概念なはずです。
8-2. つまりまた 《有る神》としての信仰の領域に入りました。かんたんに言って ゴータマ・ブッダは 無神論です。
8-3. ですから インドでは いくら《ブッダター》のとうとさを説いても 人びとがよく馴染んでいる《アートマン》と同じであり 信仰として《梵我一如》という定理があるのですから 流行りません。
9. かくして 《一切衆生 悉有仏性》とあらたに――ブディズムとしては 《苦》の扱いを教祖から微妙に離れて――看板を書き換えました。
9-1. すなわち 梵我一如にならって 仏仏一如としてのごとく:
梵:ブラフマン・・マクロコスモス・・仏(法:ダルマ)
我:アートマン・・ミクロコスモス・・仏(人:仏性)
煩悩即菩提;生死即涅槃;〔無明即明知〕。
本覚思想
即身成仏;即得往生
娑婆即寂光土(浄土)
10. 《理性的なものは 現実的であり 現実的なものは 理性的である》といったような理念の問題としてあり得るかも知れないし また 人知を超えたところを扱うのならば 主観としての神観つまり特殊絶対性の問題として捉えることが出来るかと思います。
11. 同じヘーゲルの次の世界観によると いくらか経験世界の現実として受け取ることが出来るかとも考えます。
▲ (ヘーゲル:無限と有限) ~~~~~~~~~~~
無限なものと 有限なものとの一体性・・・この矛盾・・・は
どんな自然的なものも自分のなかにこれを持ってはいない
ないしはこれを 我慢できないであろうが
この矛盾を持ちこたえることができるのが
人格(☆ ――もしくは《わが固有の時間》――)の高さである。
(『法の哲学』§35追加(講義録)藤野渉・赤澤正敏訳 1967)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
11-1. 煩悩ないし無明と 菩提ないし明知との一体性なる矛盾!?!?
・・・
☆ おあとがよろしいようで。
これもまた難しいですね。
7-1.によると、無煩悩無菩提が、開祖の意味した覚りなのでしょうか。
9-1.に挙げられる本覚思想は、wikiによると煩悩即菩提と結びつけては成らないとあります。煩悩と菩提とは、あくまで紙一重で分かれてあると。
11-1.煩悩と菩提の一体性の矛盾を合一して、アウフヘーベンするのでしょうか。
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