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実朝が死んだあと、血筋と順番から言ったら時元(全成と実衣の息子)で問題ないと思うんですけど、なんでいけなかったんですか?
あんなに源氏源氏言ってたのに。

政子って、頼家がなんで死んだか知らなかったんでしたか?
最終回で「なんでお前の殺した人数に頼家が入っとるんや」と詰め寄ってましたが、
みんな、頼家が病気から復活したのが都合悪いから義時が児(善児を使って)殺してくれたの知ってたかと思ってました。

質問者からの補足コメント

  • 今、33回「修善寺」を早送りしながら見なおしてみました(暇か!)。
    頼家が殺される回です。
    会議で「わー頼家が上皇様に通じとる・あいつ殺そうや!」ってなってます。
    で、善児が送り込まれますが、ミスしたのでトウがやりました。
    この回で頼家が死んだことの女性陣へ言及はなし。

    その次の34回「理想の結婚」では、実朝と義時の嫁取りの話のみです。
    頼家が死んだことの言及はなし。

    そのだいぶ後で、鶴岡八幡宮での実朝が殺される直前に、
    公暁に真相を聞いた実朝が政子に詰め寄って、
    「兄上(頼家)は病で死んだんじゃないじゃん!生き返ったらしいじゃん!」みたいに話してましたよね?
    その時政子は「北条を守るためには仕方なかったの!」って言ってました。
    どういうこと三谷さん!w

    でも確かに頼家が誰にどうやって殺されたと、政子の口から主語・述語では言ってないなあ。

      補足日時:2023/05/25 23:20
  • >公暁に真相を聞いた実朝が政子に詰め寄って、

    おっと真相は三善殿に聞いたんでしたね。
    演じた小林隆さん素晴らしかった。

      補足日時:2023/05/26 00:01

A 回答 (4件)

再度、お邪魔しますね。


鎌倉殿の13人、保存用USB外付けに移動したので見るのが大変でしたが見ちゃいました。
33話で丁度、「このドクロからすべては始まったのです」ってところから始まりました。あのドクロも出自が怪しくて、くすって笑えますよね。

>その次の34回「理想の結婚」では、実朝と義時の嫁取りの話のみです。
頼家が死んだことの言及はなし。

確かにほぼゼロですね。
ただ、実朝の京からの結婚話に乗り気な妹の実衣と義母りくに対し、「私は頼家を亡くしたばかりで」と傷心を見せています。
この時の政子が実朝の死が病気の再発である病死?と聞かされていたのかもしれません。
憶測ですが政子は、この先の様々な出来事を見ていくうちに、自分の知っている優しい小四郎が?という疑惑を持ち始めもしかしたらと最終回までに思ったのかもしれません。
運慶が迷いがあるからいい顔って迷ってないですよね?義時サン。

>その時政子は「北条を守るためには仕方なかったの!」って言ってました。

頼家は生き返ってから荒れていましたし(そりゃ荒れますよね、目が覚めたら鎌倉殿とは到底呼べない幽閉の身ですし)そもそも倒れる前から人妻に手をだしたりと評判が悪いので、周りからいえば丁度良い鞍替えの時だったのではないでしょうか?
本当に鎌倉殿としてほしいのは実朝のような大人しい男なのですから、頼家は傀儡になれない男です。
政子にとっての信念は鎌倉が北条が主軸となって太平の世を作る事。
亡き夫、頼朝の信念でもあり、それがなされないときは息子であっても排除せざるを得ないのかもしれません。
頼家は鎌倉を火の海にしてやる!と息巻いていましたから…。
もし頼家を復権させたとしても息子にその器がなくいずれその暴挙によって北条すなわち鎌倉が滅びると思ったのかも。
政子にとって北条=鎌倉なのですから。
比企の粛清のあとの混乱、武蔵の地を望む実父の時政、そして公家出身の妻のりく、不満を抱く畠山に朝廷の横やり、暗躍している坂東武者、家臣など(特に三浦がちょろっと悪さしそうな雰囲気)で人々の様々な思惑があって火種はゴロゴロありました。
まして朝廷(本当にあの扇に書かれて文章を頼家が書いたかどうかは不明ですが)との密通があれば黒確定かなって。

さらに、「私(義時)は頼朝様の子と孫を殺めたから貰った観音様は持つ資格がない」と言ってますので(ここ曖昧でしたよね、でもあっさり自白)孫(頼家の子まで始末してた)のことを知られたら後がありません。
ヤるしかない!(回答にて物騒な言葉の規制がありましてすみません( ;∀;))となったのだと思われます。

女性陣が知らないのは男性陣で動いているからだと思いますし、賢女である政子は想像がつくのではないでしょうか。
ただ、それが優しい小四郎がやったと思いたくなかったのかもしれません。
他の誰か…お父さん(時政)とか?思っていたのかもしれません。
あ、お父さんでもショックですが…。

>おっと真相は三善殿に聞いたんでしたね。
演じた小林隆さん素晴らしかった。
あれ?そうでしたっけ???
三善殿はいい役でしたよね。
和歌を教えるシーンもほほえましいし、最終回には朝廷を打つために即出陣を提言したりと中々すごいお人でした。
あの当時、天皇を打つってないですからね~。
小林隆さんは三谷作品の常連ですからね、毎度光る役者さん。
とにもかくにもいいキャストで事務所力など感じない素晴らしい作品でした。
私もちょっと忙しくて年末に一気見して終わったので、見終わったあと「あー面白かった」ってつぶやきました。
ではでは。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます!
めっちゃ楽しいので大歓迎です。

>>その次の34回「理想の結婚」
>「私は頼家を亡くしたばかりで」と傷心を見せています。

なぬ!?私も再々度この回を見てみました笑。今度は早送りせずに。

言ってる・・・言ってました・・・!
ただ確かに死に方は知らないっぽいですね。
男社会だもんなあ。

>三善殿はいい役でしたよね。
>和歌を教えるシーンもほほえましいし、最終回には朝廷を打つために即出陣を提言したりと中々すごいお人でした。

このシーン、座る瞬間の三善殿の顔が一瞬仁王様に見えるんですよ。
全員燃やしたるわみたいな。優しい人ほど怖いよねと。
メイクかなあと思ったら次の瞬間は普通の顔で。すごいなあと。

他にも、義時がヤバいこと言う度に三善殿が「何この鬼畜」みたいな表情で義時を見つめるシーンがたくさんあって、すごく好きでした。
セリフがなくても、なんなら顔が見えなくても場を動かすとても重要な役でしたね。
和歌のシーンも心の交流がある感じで素敵でした。

私は三谷作品の早口でわちゃわちゃ身内ギャグ詰めてくる部分がちょっと苦手なのですが(言い方笑)、この方はとても自然ですね。


キャストも良かったですよね!
私は小池栄子さんの息子に金子大地くんって、その手があったか!と膝を打ちましたよ。柿澤さん、寛一郎さんも小池さんのファミリー感ある。
ガッキー伊東一家も一貫した上品な雰囲気が筋が通ってて(坂口健太郎さんまで含む)、ドラマ作る人ってすごいんだなと思いました。
大江殿も上皇様も他の方も皆素敵でした。
山寺さんは最初ベテラン舞台俳優の方かと思っていて、あれこれ山ちゃんじゃん!と驚きました。

ハードディスクから消すか迷いますね!
Twitterでは何度も見て伏線回収を確認して楽しめるとありましたから、置いとこうかな。

お礼日時:2023/05/27 12:51

源頼朝は、源義朝(よしとも)と正室の由良御前(藤原季範の娘)の第一子(長男)です。


藤原季範は熱田神宮の大宮司で位が高い人なので、その娘である由良御前も多くの妻たちの中でも位が上になります。
全成は、常盤御前(絶世の美女)の息子です。
母親の位が低いので庶子(正妻以外の子ども)であり、頼朝より格が下となります。
ドラマに出てきた源範頼の母は遊女なので全成、義円、義経よりも格下となります。(ただ、母は遊女ですが、後ろ盾になる確りとした家がついています)
同じ父親でも、母親の家の家格で身分が違ってくるのです。

頼朝の息子たちである、源頼家・源実朝は正妻である政子の子どもで庶子ではありません。
どちらが正統かというと、政子の子どもたちです。
(政子は、最終的には三位となりますが、頼朝と結婚した時の家格は低く、他の頼朝に見あう家格の娘が嫁に来たら正妻ではなくなってしまいます。
政子が他の女性を許さなかったのはこのためだといわれています。)

頼家、実朝が亡くなってしまえば、庶子である全成にもチャンスは巡ってきたかもしれません。


頼朝暗殺については、流石に母親の政子には言えずにぼかしていたということですね。
だから、政子は知らなかったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

頼朝は年上だから皆が尊重してるのかと思ったら、正室の子っていうのもあったんですね!
ほんとだ、実は三男だけど母の位が高いから嫡男ってある。ドラマは弟しか出てこなかったけどお兄さんがいるんですね。
(今ちょっと検索してみました笑)

後からもっと良い家柄の女性が来たら正室の座から降ろされるって嫌ですねえ・・・。
家を強くしていくゲームだから仕方ないんでしょうか。

その考えから行っても、後鳥羽上皇の子と時元を比較するともう答えは明白ですね。きっとキャラも弱かったんだろうな。
ドラマの中では実衣も全然周りに一目置かれてませんしね。


>頼朝暗殺については、流石に母親の政子には言えずにぼかしていたということですね。

納得です。

お礼日時:2023/05/27 11:46

>時元(全成と実衣の息子)で問題ないと思うんですけど、なんでいけなかったんですか?


確かに血統から言えばそうなんですよね。
ただ、以前に全成が謀反を疑われて死亡しているからだと思いましたが…。
つまり時元はすでに「謀反人の子」のはずです。
普通は一緒に処刑されますが義時か政子の温情で生きていたはずです。

さらに、この時にはほぼ義時が北条を掌握していましたし、義時は表に出ず執権というかたちで陣取っていましたよね?
一方、北条政子は頼朝の子である頼家と実朝が亡くなったことで正統な血筋として時元を認めていなかったのかもしれません。

実衣とは仲良しなのか不仲なのか、なんとなくな雰囲気もありましたよね?
実衣ははっきりと敵意を表しますが政子はそうじゃないので…。

政子が京に上り、藤原兼子と政子の間で、次の鎌倉殿となる養子について言葉が交わされたので政子としては朝廷からの後鳥羽天皇の息子を呼び寄せたかったというシーンがあったはずです。
そういう全体的な絡みで言えば時元をもう生かしておく理由もなく、という流れだったと思います。

>政子って、頼家がなんで死んだか知らなかったんでしたか?
はっきりとは知らなくても、なんとなくはわかっていたはずで…。
はっきりと確信したのがアノ時だったんでしょうね。
だから薬を渡さなかったんでしょう。

鎌倉殿は最後まで身内同士のやり合いでしたね。
身内は怖いってことでしょうか。
面白かったですよね。
ではでは。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>つまり時元はすでに「謀反人の子」のはずです。

わーそうでした!そうでしたね!!

あとは、時元気に入らん上にすでにいらないのに出て来なくていい、みたいな感じでしょうか。
私は実衣が「時元を鎌倉殿に!」って言いだした時、確かにねえとうなずきながら見てたのに。
勝手ですよねえ。血統じゃないといけないと主張してたときもあるのに。
今話題の歌舞伎のニュースとかとなんとなくかぶりますわ。

>はっきりと確信したのがアノ時だったんでしょうね。
>はっきりとは知らなくても、なんとなくはわかっていたはずで…。

なるほどです!

お礼日時:2023/05/25 23:30

それを描いたドラマが、鎌倉殿の13人ですよ(笑)


見ての通りとしかいいようがありません。

嫡子による相続が整備され一般化されたのは江戸時代です。

鎌倉は初めての武士政権。農民政権とも市民政権とも言えなくもない。だから、何もルールがないのです。相続もあいまい。しかも所領を分割して分け与えた。なのでだれを継がせるかそもそも決まっていない、制度もない、ルールもない、不文律もないからこそ、つねにそれが争いのもとになる。

三浦は風見鶏、畠山は捨てられ、比企もつぶされ・・・勝った北条がすべてを仕切り、権力を持たないお飾り源氏の張り子政権が続いた。そのはじまりの経緯とドタバタ、関東の土着武士たちの闘争物語が、あのドラマです。鎌倉はやがて、土地を分割相続するため、所領がどんどん細切れになり、生活できくなった武士の不満が爆発して滅びる。幼稚な社会制度が、なるべくして破綻したいい例ですね。もっとも、土地しか生産手段がない時代、しかたなかった面はありますが。

室町は幕府と言っても、あまり存在感はない。最初は朝廷との権力争い再び。各地の武士は、鎌倉の残党が土着化し、そのの連合体が幕府をゆるやかに支える。応仁の乱以降はボロボロで、戦国は100年ドタバタ劇。ここでも、相続ルールはまだあいまい。

家康が徳川幕府を盤石にするため、嫡子相続に徹底的にこだわったのは、所領を分割せずに維持し、だれが相続するかを明確にすることで争いを事前に断つためでした。実際、その後300年弱、平和な時代が続いたわけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>それを描いたドラマが、鎌倉殿の13人ですよ(笑)

確かにです笑!!

お礼日時:2023/05/25 23:34

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