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一個人の見解、感想でしかないものをあたかも正解であったりこの世の真理であるかのように語る人がいますが、それはなぜですか?

どのように生きていたら、そのように傲慢な考え方になれるのでしょうか?

やはり年長者ほどこの傾向が強いと感じます。

A 回答 (10件)

私が観察するものは、私にとって全宇宙であり、私が観測できないものは認識できない=存在しないとなりますから、私が述べる事=この世の真理となるのは、仕方ないでしょう。

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この世の真理というものは科学では分からないし、人間の一生のうちにおそらく大抵は分からないものであろうと思います。



しかし、人間の頭には「公理」「前提」的なものが必要で、これが無いと自分の考えが組み立てられないものです。それで、どうするかというと、何ものかを信ずるのです。
信ずるということは、それがその人の中で真理になるということです。程度の差、言い方の差こそあれ、誰もが大人になればそうなります。

それから、若い人と年配者の違いは、若い人の方が経験が一般的に少ないため、論理的推敲が足りないのでより多く矛盾を孕んでいるということを指摘したい。
年配者は経験により自分の哲学理論を練っているので、普遍性は高いと言えます。けれど、それが故に結論を持っているから、頑固に思えるのでしょう。
若い内は、従来は経験の少なさから、より多くの経験と思索を求めたものですが、近頃はそうではなく、少ない経験でもって結論を出してしまうという傾向があると思っています。つまり、決めつけが多いということです。
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所詮世の中のあらゆる見解あらゆる解釈というのは個人見解でしかない。

数学の証明でさえ(それが個人的見解→集団的見解になっているにすぎない)そうです。だから、それぞれの個人的見解は、その発露において、真理であると確信して語るのが当然なのです。
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「年長者ほどこの傾向が強い」というのは、ありえる話です。



論理的思考には「帰納法」と「演繹法」があり、多くの事象をよく観察してそれらに共通するルール(もしあれば)を見つけ出すのが帰納法です。

たとえば、〇〇市に住むAさんはお金持ちだ。〇〇市に住むBさんもCさんもDさんもお金持ちだ。⇒ ○○市に住む人はお金持ちだ。…となるわけ。

帰納法によって見いだされたルールは、いわば経験則です。現代科学も経験則によって築かれています。

年長者ほどこうした多くの経験を積んでいるので、○○なら××だという自分の経験則で考えるようになるんです。傲慢な考え方とは言い切れません。
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あなたのこの書き込みがまさにそれですね

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Q一個人の見解、感想でしかないものをあたかも正解であったりこの世の真理であるかのように語る人



Aちょっと捻くれすぎかも…?含みや説得力がある話し方とも取れる訳だし、聞く側の主観だとおもいます。
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全ての人の考えには、前提があります。


その人が育った環境や経験などです。
だから、話を聞く方も自分に当て嵌めてはいけません。
他人の世間話です。

あの人はどうしてそう思うのだろうという場面に出遭った時に、偶に、以前聞いた話しが当て嵌まると、納得できることもあります。
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誰だって自分の考えが正しいと思っています



「いえいえ、私の考えは正しいのも間違ってるのも
あります」と言ったって、その考えは正しいと思っているんです
「私の考えはすべて間違いです」と言っても、それは正しいと
思っています

人間は自分の考えが正しいというバリアから
一歩も出られないんです
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テストでもそうですけど、正解というものは聞かされて気分の良いばかりではないです。



ただそれに気分が悪いだとか気に入らないなどのイチャモンをつけたところで、正解は正解なので揺らぐことはなくて、自分なりに受け入れて生きていくしかないと思います。

僕は正解を言ってくれる人は素直にすごいと思いますし感謝もします。

それは自分なりに勉強や考えごと、悩みの解決などがある程度足りているからかなと思います。

考えが足りてないと、たぶん腹が立つような気がします。
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>一個人の見解、感想でしかないものをあたかも正解であったりこの世の真理であるかのように語る人がいますが、それはなぜですか?



受け取り手がそういう風に受け取るからでは?
あくまで個人の見解だと思って聞けばいいだけで良いと思います。

それが難しいという場合は、人それぞれに世界があるでしょうが、少なくともその人の中の世界では真理となっているという見方をすれば、多少は受け入れやすくなるかと思います。

>やはり年長者ほどこの傾向が強いと感じます。

そうでしょうね。
そこまで生きてこれたというのならば、ある意味真理だと言えますし。
大抵の場合は「そうでなくても困らない」ことのに関してが多いと思います。
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