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歴史番組が好きな夫ですが、偉人の人の行い等を見て、感動して
嫉妬や僻みはよくないと私をたしなめます。

夫には財布に常に札束があれば、私誰も嫉妬しないで心に余裕が持てる気がすると返しています。
そうすると夫は黙ってくれるからです。

この世は大体のことはお金で解決できると思っています。

聖人でもないのに、我慢する方が体の毒だと思いませんか?

羨ましい、妬ましい、僻んで何が悪いんだーと思い生きています。
義父母が何か宗教じみていて(まあその影響で夫が正しく生きたいみたいな人なのですが・・・)
無理にありがとうばかり言って我慢している様子を見ていました。時々イライラするようで、大変そうでしたが・・・心の葛藤と常に戦っている感じでした。
無理に感謝しなくてはいけない・・・無理に肯定しなくてはいけないみたいな感じでした。

無理にでも感謝したり、僻んだりしないほうがいい人生を歩めると思いますか?
(もうすぐ寝るので返信は明日かもしれません・・・)

A 回答 (7件)

嫉妬や僻みは人間を卑屈にし、どんどん器が小さくなるので辞めた方が良い



無理や我慢は必要無い

金は間違い無く全てを解決出来るが、拝金主義になったら人間としては一銭の価値も無くなる

前向きに楽しく振る舞えば自然と運がやってくる
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この回答へのお礼

ありがとう

そうなのですか?

そういえば小さい頃からこんな人なので、自然と運がいいと思うことがギリギリセーフくらいのラインだった気がします。

なんとか生きているレベル程度に運がいいというか・・・
心当たりがあります。

拝金主義になったら人間としては一銭の価値も無くなる→そんな心境も怖そうですね・・・

お礼日時:2023/08/03 20:25

●羨ましい、妬ましい、僻んで何が悪いんだーと思い生きています。



 ↑何も悪いことはありません。そのままあなたの物の考え方、性格の傾向として(ヒンシュクをかう)人格が規定されますのでそれを受け入れられるのなら何の問題もないでしょう。

嫉妬心というのは、向上心があるから発生します。その向上心の目的にハシゴ無しで登ろうとするのが間違っています。

嫉妬する対象を手に入れたりの、そこまでになるには、それなりの過程が必要なのですが、その過程を無視して単なる他者をうらやましい、と言う眼で見続けるから、嫉妬のまま動けなくなるのです。

うらやましく思ったりひがみという、努力の対象を必要としない気持ちだけで物事を観てしまうから、ダメなのです。うらやましいと思うのなら自分も対象を手に入れる努力という行動を起こすべきです。

●夫には財布に常に札束があれば、私誰も嫉妬しないで心に余裕が持てる気
 がすると返しています。

 ↑このように話が飛躍すると、ご主人も黙らざるを得ないと思います。嫉妬と言うよりも話のすり替えで欲求を誤魔化しているのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

夫に言わせると心が曇っているそうです・・・

一生懸命優しい人のふりをしているので、たぶん人からはヒンシュク買わないと思います。

お礼日時:2023/08/03 20:31

聖人でもないのに、我慢する方が


体の毒だと思いませんか?
 ↑
思いません。
嫉妬や僻みは醜いです。

醜い、というのは悪いことです。



無理にでも感謝したり、僻んだりしないほうが
いい人生を歩めると思いますか?
 ↑
思いません。
嫉妬したり僻んだりすると
発散されるどころか
そういう顔になってしまいますよ。
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この回答へのお礼

ありがとう

いつも優しそうと言われるので今の所大丈夫です。

ニコニコして(内心いらいらして)話を聞いて夫にいいなぁ〜ばかり言っています。

たぶんまだ大丈夫です。

お礼日時:2023/08/03 20:35

嫉妬や妬み、、、は、四悪趣から出てきます。



あまり良い事ではないですね。



参考:【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

お釈迦様の手の話を聞いてそういえば感動していたことありますね・・・

また元気に楽しいこと探します。

お礼日時:2023/08/03 20:37

>>無理にでも感謝



これ私も嫌い
多少ならいいけど、やりすぎてるの見たら逆に運気わるそーって思っちゃう



>>僻んだりしないほうがいい人生を歩めると思いますか?

札束がないんだったら絶対そう
健全なのはそういうのをバネにして金稼げるようになる事だけど・・

宝くじでもあたって全部リセット出来たらスカッとするでしょうね!





>>この世は大体のことはお金で解決できると思っています。

これも100%同感です
みんな取り繕ってるけど内心そう思ってそうですよね





まぁどうにか上手くやっていくしかないですよ!
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この回答へのお礼

ありがとう

すごく参考になりました。

やっぱり何か稼ぐ道を探すのが一番私には幸せの追求になりそうです。

健全なのはそういうのをバネにして金稼げるようになる事だけど・・
これができていないんだと思います。
だから人生つまらないのかも・・・とふと思いました。

お礼日時:2023/08/03 07:21

感謝しないといけないから、僻んではいけないからと正しさとか単なる禁止による我慢に意味はないです。

それは自分の心のなかの執着、偏見、我、満が捨てられていないからです。

ただ心の底からの感謝や、慈しみ、与える喜び。僻みや驕りのない考え方はものすごく幸福になるのは事実です。
では両者の違いは何かというと、そこに知恵があるか無いかなんです。

世の中をバイアスにとらわれずにありのままを見てその因果や構造を正しく俯瞰的にみると自然とそういった卑しい気持ちがなくなり腑に落ちて心穏やかにいられるようになるのですよ。

仏教ではそれを悟りといい、そのような精神性と行いをし人生を幸福に生きるための合理的で具体的な方法論を釈迦が解いたものです。

おそらくそんなとこだと思いますが、

仏教は神を拝めば救われる、というスピリチュアル宗教ではないので(宗派による)
学んでみると良いでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

仏教関連の本も時々は読んでいて・・・
いろいろ考えるのですが、結局今のような心境になります。

精神性を高めるのって難しいですね。

お礼日時:2023/08/03 07:17

女の妬みは大抵の場合性的に満たされていない事が起因です。


今から満たせば何とかなるという話ではなく人格形成期によい恋愛、はっきり言ってしまえば良いセックスを経験出来なかったということです。

なので今からそれを治すには理性で乗り越えるしか無いでしょう。
単に「妬ましい」という感情で終わるのではなく、どうやってその人が成功したのか観察する姿勢が大事です。
嫉妬に駆られていると「どうせ悪い事して得た金だろう」「どうせ騙して手に入れた幸せだろう」と同じ答えしか出せない無能になってしまいます。
またその考えから卒業する気も持てなくなります。

妬ましい限りはどうぞ妬んで恨んで下さい、でもいつまでもそれでは限界を感じると思いますよ。バカで鈍い女だと限界も気づかず一生同じ事を繰り返しています。
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この回答へのお礼

ありがとう

なんか私の羨ましい人って、成功者ではなくて一般的に幸せなかんじの人です。

普通の幸せを手に入れている人というか・・・

エンドレスなのもある意味辛い気もしてきました。

お礼日時:2023/08/03 07:15

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