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誰かが悩みをかかえているとき、話を聞いてあげることが出来る人と出来ない人がいます。

その両者の違いは何ですか。

A 回答 (7件)

その人が責任を感じているか否かです。



責任を感じていない人が悩みを聞いても「相談した相手への批判」の気持ちが収まらなくなります。しかし、相手の悩みを解決する必要があると「何らかの責任を感じている人」は相談にのってくれるでしょう。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

つまり相談にのってくれる相手と言うのは「その人の中」に理由があるんです。学校の先生は生徒や生徒の親に責任を感じているはずです。しかし私には責任を感じていません。私が悩み打ち明けたいと言っても「なんで?」と思うはずです。

友人であっても「自分の事で悩んでいたらどうしよう?」と負い目を感じた時は相談にのると思います。その結果「自分とは関係なかった」と安心した後で「こうするとよい」と言う人もいれば「責任を感じなくなったのでもういいや」と言う人もいます。

友人の幸福感に責任を感じている人もいれば、自分を楽しませる装置として捉えている人もいます。どちらにしても「責任を感じた」時は話を聞こうとします。

上司は部下に対して責任を感じますが自分の上司に関しては責任を感じません。なので上司が部下に対して悩みを打ち明けることは出来ません。親は子供に対して責任を感じますので相談できます。しかし子供に対して責任を感じなくなっている親は「その子」の悩みは聞いてくれないでしょう。子供が相談しても批判されるだけです。

ではどういう時に責任を感じなくなるのか?
(悩みを聞いてくれなくなるのか)

「責任を担うためには相手の協力が必要。協力要請に
 対して拒否をする対象には責任を感じなくなる」

という事です。自分の指示を疑わずに実践する生徒は先生にとっても怖いんです。間違った指示を出せばその通り実践するからです。なので「素直な子供」ほど先生は注意深く見ており、責任を感じているんです。同様に親であっても、上司であっても、「間違った指示を出したらその通りやってしまうだろう」と言う相手に対しては強い責任を感じるはずです。

逆に何度頼んでも本気で相手にしてくれない人に対しては責任を感じなくなるという事です。妻が夫にお願いしても「そんな事で俺に相談するな」といういう態度で夫が真剣に取り合う(協力する)という姿勢を見せなければ「夫が幸せに成る責任を感じなくなる」という事です。夫が悩んでいても話を聞こうとしないでしょうし「それみたことか」と喜ぶと思いますよ。

「世界共通であるので気を付けよう」

「自分の事ばかり考えるのは良くない」と良く言いますが、これは「その人の幸せに関して」他の人が責任を感じなくなるからです。協力的な人に対しては「この人が不快に感じたら申し訳ない」と言う気持ちが生じます。これに関しては「責任が重い人」ほど強く働きます。

「ちょっとした事なんだけど。色んな人に無視されて
 きつくて仕方ない時があったんだ。それでも責任が
 あるという事で自分を励まして頑張ってた。無理に
 笑おうとしていた。そんな時にアイツは何でも俺の
 言う通りにしちゃうんだ。このチームが上手くいく
 かどうかは分からない。でも最悪アイツだけは守ら
 ないと行けないと思うんだよ」

と言う感じに成ります。

自分にとってはちょっとした事(その程度ならいくらでも我慢できる)なのに「重い責任を担っている人(=特権を持ち影響力がある)」からは物凄い感謝されているという事です。最悪の時はコイツだけは守ろうくらいに思われているわけです。

「自分が思っている以上に責任を感じてくれている」

という分けです。そういう見えない部分で強い強制力が働きます。これを意識して活用しないと幸せに成れませんし、自分だけ不幸に成ります。皆さんが「良い事・悪い事」と教わる内容は子供向けのモノです。大人に成ったときは責任を担う立場になります。その時は違った考え方をしないと社会に適応できなくなります。

「じゃあ子供は関係ないの?」

「いや。親でさえ責任を感じなくなるのでヤバい。
 これは本能に近いものであって愛を超える。
 そのため良い事・悪い事みたいな躾として親は
 子供に教えるんだ。子供でも安全じゃない」

いう事を聞かない子供は「この子をどうしても愛せないんです」みたいな状態に成ります。なので親は一番最初に「親の言う事は絶対である」予め刷り込んでおかないと行けないんですよ。そうしませんと最初のうちは可愛がっていても途中から子供が憎くて仕方なく成ります。

「子供はペットじゃない」

この様に親を諭すのは「自分の気持ちが変わってしまうぞ」という警告です。いう事を聞くようにしつけて置けばペットも一生可愛いです。しかし自分(犬)の地位の方が(家族の中で)上だと主張する飼い犬が居た時、貴方は愛せますか?

皆さんは「イイ奴・ヤナ奴」「優しい・厳しい」「好かれる・嫌われる」「凄い奴・平凡な奴」みたいな色んな事を考えて「上手くヤリタイ」と思っているはずです。そのため「スキルがあればいいの?」「勇気があればいいの?」「面白い人であればいいの?」「陽キャならいいの?」みたい一生懸命考えると思います。

しかし実際は「相手に責任を感じさせないといけない」という一言で終わってしまうんです。また友情とか愛情で描く漫画が多いですが、責任を感じない相手には友情も愛情も湧かず、憎しみしか生じないので意味が無いのです。

「めんどくさ・・・」

現実が漫画の様に上手くいかないのは漫画を描いている人が分かってないからですよ。愛よりも責任の方が強いという事を知っていないと行けません。

少し前に「萌え」という言葉がはやりました。

「うへえ。責任を感じる~」

と言い換えれば合致すると思いますよ。

可愛いとかエモいとか色んな言いかえをしていますが「相手の幸せに対して何故だか責任を感じる」と言い表せば事足ります。

可愛い物が好きという人は「自分も何らかの責任を負いたい」と言う心の芽生えがあるという言事です。守ってもらうのに慣れてしまった人は、このままではいけないと感じ、自分であっても守れるものは無いかと探す。

「自分に出来る事をしなさい」

とよく言われますが、言われなくても、人間にはその様な本能があるという事ですね。小さい時は可愛い物が好きであっても、大人になって色んな責任を担い果たす様になると、段々と気持ちが薄れていきます。

「大人に成ると子供っぽい物が嫌いに成るんじゃな
 くて、責任を担うという欲求が満たされてしまう
 という事なの?」

「そうだよ。なので大人も子供も楽しめるアニメと
 言うのは大人の責任を意識させているものが多い」

ジブリの様な名作を作りたいのならば、大人が感じる責任について良く考えて盛り込む事でしょう。子供視点で大人を批判する様なものは「大人の方が責任を感じなくなってしまう」ため、そういう作品が広まるのは良くないんですよ。

「大人を批判する漫画やアニメが流行ってしまうと、
 子供を虐待する親が増えてしまう。
 大人が子供に責任を感じなくなるからだ」

こういうメカニズムがあるので創作をする人は注意が必要なんです。親であっても、大人であっても、責任を感じないものを守れと言われると憎しみが生じるからです。

「俺は最近、仕方なくて上司に相談した。
 とにかく上から言われるのが嫌で色々と拒否して
 たんだ。俺だけしっかりしていればお客だって喜
 ぶしね。上司は全く関係ない。そう思ってた。
 だけど俺のせいでお客様に迷惑を掛けた。
 凄い悩んだよ。上司が俺を叱り飛ばして一緒に謝
 ったり、どうリカバリーを教えてくれたんだ。
 何時もなら反発するんだけどね。
 凄い助かったと思った。どうしてなんだろう?」

「君はお客に責任を感じていて、上司は君とお客に
 責任を感じているってだけだ」

良い人悪い人。上だ下だ。こういう子供の世界観で皆さん苦しんでいませんか? 責任と言う言葉を怖がり過ぎて避けよう、逃げようとしていませんか? そのせいで宝物が直ぐそばになるのに使わないで自滅していませんでしょうか?

「所詮ギブアンドテイクだよな~。
 無償で何かあげると相手は感謝する。
 そういう話だろ?」

この様に間違った世界観を持たない事です。相手がこちらに何の責任も感じていない場合は「貰うだけもらって逃げよう」と思われるだけなんです。それくらいならば「ギブする理由を説明して相手の責任を明確にする」方が正しいんです。

わざわざ汚らしい解釈をして自分の心を傷つけて、その上で世界が怖いというマッチポンプをしない事です。世の殆どの人は「責任から逃げたい」という道を選んでしまい、それが武器であることを知らず必要以上に苦しんでいます。そういう人達がこぼす愚痴を参考にしていては生き残れません。

「責任の所在がどこにあるのか探ることで自分の
 身を守ったり問題を解決したりする」

これはどういうことかと言うと「自分は責任を感じていないので誰もが同じだと錯覚し、皆で何とかするしか無いと思い込む」ような間違いを指摘しています。自分は感じていなくとも「強く責任を感じている」と言う人が必ずおります。その人は皆と同じように何も感じていないふりをします。しかし「ここで責任を感じているだろ?」と問いかければ「済まなかった。俺が何とかする」と言い出すんです。

責任と言う言葉。「良い事の一つ」程度で意外とスルーしますよね。しかし皆さんが悩むほぼすべての事はこれ一つで解決するのです。責任の所在を探すスキルを磨く事が幸福の条件なんです。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

とても熱心なお答え、感謝いたします。
ありがとうございます。

お礼日時:2023/08/10 21:29

そこそこの、人生経験を積んでいるか、


積んでいないか、
の違い、だと思います。
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この回答へのお礼

歳をとってるのに悩みを聞かない人って情けないです。

お礼日時:2023/08/10 21:30

他人の悩みに向き合う余裕がある人



自分のことで手一杯な人
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この回答へのお礼

やはり余裕ですね。

お礼日時:2023/08/10 21:26

聞いても解決しないことを知って居る人と、同情をすることで優しい自分をアピールして居る自己中との違いです。

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この回答へのお礼

そういう違いなのですね。

お礼日時:2023/08/10 21:26

その悩みのある人に対して親近感を持っているかどうかの違いです。

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この回答へのお礼

親近感です。

お礼日時:2023/08/10 21:25

1.悩み事を言う側の問題


①何度もネガティブなことを聞かされるのは嫌だろう。
②聞いてくれて当たり前だという姿勢。
2.聞く側の問題
①自分にも問題がありそれどころではない。
②そもそも興味がない。
③実は友だちではない。
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この回答へのお礼

>①自分にも問題がありそれどころではない。
>②そもそも興味がない。
>③実は友だちではない。

こういう人にはかかわりたくないです。

お礼日時:2023/08/10 21:25

いろいろな違いがあると思いますが、


まずは性格でしょうね。
相手を気遣う優しい気持ちがあるかどうか。
次に自分にある程度の余裕がなければ相談にのれません。
自分が抱えている問題がさほどなく気持ちに余裕がある人じゃないと
相談にはのれないんじゃないでしょうかね。
他にもいろいろあるとは思いますが、
そんな感じの違いがあるんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

余裕があるかないかですね。

お礼日時:2023/08/10 21:24

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