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30歳独身男性です。

昔から人付合いが苦手でした。
気付いたら自分をどう良く見せて気に入ってもらえるかを
ずっと考えて悩んできた30年間でした。
だから、誰も好きになったことがありません。
自分から近づきたい、仲良くなりたいと思ったことがありません。

良く見られない自分が嫌いで理想の自分ばかり追い求めました。
普通に考えればそんな人間になれるわけがないのに。
気付いたら完璧主義で人を羨んで嫉妬してばかりの人間が出来上がりました。

「○○さんが出来ていることを出来ない自分は無価値」
「××さんのように人に好かなければならない、出来なければ無価値」

何をしても、他人から褒められても生きた心地がしませんでした。
「そんなの気休め」「ただの慰め」「世辞」「上っ面の言葉」と思っていました。
今の「他人から見て無価値」な自分を褒められても嬉しくなかった。

でも、もう疲れました。
自分のペースで、自分の生き方でいいじゃないかと言い聞かせますが、
人の成功談や良い話を聞くと心はざわつくままです。
「そんなことはもう止めよう」「人と比べても意味はない」と自分に言い聞かせても
行き場のない「ダメな自分を許せない自分」が大きくなり落ち込みます。

この先人生を一人で歩んで行くのに自分を嫌いなままでは生き辛さに変わりありません。
「完璧主義」をどうやれば止められるのか分かりません。
「ありのままの自分を好きになりなさい」という内容の類の本は山のように読みました。
絶望のドン底に落ちてしまう以外に完璧主義を止める選択肢もありませんが、
きっとそこでも自分と他人を比べてしまうのだと思います。

完璧主義はどう止めたらよいのでしょうか?本当は止めたくない自分もいるようです・・・

A 回答 (12件中1~10件)

相談者さんのいいところは、


そうやって苦しんでいらしたのに、
他者との関わりを断ったり、
好かれたい、受け入れられたいと思う気持ちをあきらめずにいらしたところですね。

人と比較する際に、きっと自分より優れた(ように見える)人ばかり見てきたのでは?

プライドと、目標、自己イメージが高くて、いいじゃないですか。

ご自身の、いいところをご自身で認める、
という事はされていますか?

同じく、ご自身の、ちょっと微妙なところや欠点も、
まぁ、しょうがないかな、程度に受け入れる。

まずはここからでは?

仮に、「いいところがなんにもない」とお思いになるなら、
それは逃げです。

朝自力で起きられるとか、
不潔にならない程度にはお風呂に入るとか、
そんな子供みたいな事にも、
実はご自身の努力がある。

他者が認めるまえに、ご自身がご自身を認めないと。

その積み重ねが、自信になりますよ。

ご自身に自分をみとめる余裕が出てきた時、
自分より優れたように見えた人の弱さも見えて、
優しくなれるかもしれません。

毎日、どんなくだらない事でもいいから、
「自分のいいところ10個リストアップ」

お試しあれ♪
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
世間体を第一に考えてしまう性格なので、
人間関係を断つことは出来ませんでした。
比較したからって自分に何もいいことはないし、
比較して上だからって好かれるわけじゃないんですが、
何かずっとそれにこだわってきたような気がします。

「こうじゃなきゃいけない、でもそう出来ない(なれない)」
「みんな出来ているのになぜ出来ない(なれない)」

それが辛くなってきたので止めたいです。

自分の好きなところもありますが、人と比べるとまだまだ・・・
そこは誰も評価してくれないから価値はないんだ・・・
そう思ってきたから本当に自分を認められなかったと思います。

自分だってそんなに悪くないじゃん、一人だって悪くないじゃん。

そう思えるように変わってゆきたいと思います(とても難しいですが)

お礼日時:2011/05/21 01:12

前文の一部を訂正させていただきます。



>もしゴリラを羨ましがってペンギンになろうとするゴリラがいたら、おかしいですよね。→×
>もしペンギンを羨ましがってペンギンになろうとするゴリラがいたら、おかしいですよね。→○
こりゃ拙文を通り越して駄文ですね、大変失礼致しました。

いきなり「人間は表から見ると同じようだが、実はそうではない。ペンギンになりたがるゴリラのような
真似は止めるべき」と押し付けられても、そんな知的理解ではどうにもなりませんよね。

なので自己絶対肯定なのです。それが成されれば自己嫌悪から抜け出すことができ、
ペンギンになりたいなんて思わなくなるのです。この自分であるしかない。この自分でいいんだ、と。
するとたまに「ペンギンさんは泳ぎが上手で羨ましいなー」と思っても、ペンギンになりたいとは思いません。
泳ぎが上手なのは自分と違う種類だからであり、妬ましいとは思いません。割り切れているのです。

そして自己絶対肯定=運命をうけいれること なのだと思います。

ちなみに私は自分自身の中に、愚かで我侭で生ズルい自分を見出した時、
強烈な自責の念にかられて、それを自身が認めることで自己嫌悪を抜け出していきました。
自覚するだけでいいのです。自覚すれば、自ずと悪しき自分は引っ込んでいきます。

どうか理屈ではなく「心の体験」を目指して下さい。

度々お邪魔致しました。
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この回答へのお礼

補足まで頂きましてありがとうございます。

「自分を受け入れる」と言葉にすれば簡潔なのに、
なぜこんなにも難しいのかと日々自問自答をしています。

自覚しても自己嫌悪、何なんでしょうか。
とても難しいです、自分を放棄してしまいたくなります。

これが自分を受け入れる痛みなんでしょうか。

普通の人をとてもすごく思うばかりです。

お礼日時:2011/06/12 23:26

拙文に度々のお礼有難うございます。



やはりお読みになっていましたか。何となくそんな気もしていました。「運命のうけいれ方」はお読みになりましたか。

>本当はみんなと同じになりたいという

上の本には、人はそれぞれ、実は全く違うんだ、ということが書いてあります。
もしゴリラを羨ましがってペンギンになろうとするゴリラがいたら、おかしいですよね。
ゴリラはゴリラらしくあるべきなのだ、と。

私は過去に、長く強迫観念に苦しんだことがありました。今は解脱しております。
その解脱時の心境を考えると、この本で加藤氏が言わんとしていることが、よく分かるのです。

自分の中から湧き出した観念の一切を、あるがままに認める。それと戦わない。
ここで言う「あるがままに認める」とは、例えば「湧き出した刹那の怒りや欲望」に身を任せることでは決してありません。

平日の昼間「酒が飲みたい」と思ったとしましょう(苦笑)。
「オレは何ということを思いついてしまったんだ」と怯え、この考えを否定しようと焦る。消そうとする。戦う…。
これが間違いなのです。この心はこれで、まずはあるがままに認めるのです。正々堂々と潔く。
その時の心境を言葉にすれば「自己絶対肯定」とでも言えばいいでしょうか。

すると次に「本当にそれでいいのか?」という心が湧いてくる。そんなことをしたら仕事を失う…等々(苦笑)。
だから結局飲まないでいられます。

で、もしこの時「酒が飲みたい」という心と、とことん戦ったとすれば、最後はやぶれかぶれの捨て鉢になり、
本当に飲んでしまうかも知れません。いや、実際にそうなったことはありませんが、そうならずとも
大変な観念苦痛を感じ、へとへとになるはずです。あるがままの自分に疑念を持ち、自己嫌悪に陥るはずです。

しかしもし、こんな戦いを一切せずとも「飲もう」と決断して実行してしまう自分だとしたら…。
そしたらその時は、その自分に自分が全責任を持つのです。「これが自分なんだ。自分の運命なんだ」と。

あるがままの自分を誰のせいにも何のせいにもせず、これを運命として受け入れる、本気の覚悟さえあれば良いのです。
それだけなのです。その時「自己絶対肯定」の心になります。すると自分で自分を受け入れているのです。
人と比べてどんな自分であろうとも、この自分であるしかない→この自分で良い、と心底そう思える。
「この自分であるしかない」という心が「この自分で良い」に進むのは、ここは理屈ではないのです。

これは決して妥協ではないのです。そしてこの時、自己嫌悪・劣等感から脱することができます。
人と自分を比較した時、妬ましいと感じたり、自分を卑下したりすることはめったになくなります。
ただ羨ましいと思うことがあるだけです。

こんな話・知的理解だけでは、なかなかすぐに、そんな心境に至ることはできないかも知れません。
しかし、決して目を逸らさず自分のあるがままの心を見つめ続け、本当に自分に正直であろうとし続け、
逃げている自分、恥ずべき自分を見出した時には、その時は大いに自責の念を感じ…と。
そうやって生きていけば、きっとそんな心境に至れる日が来るのだと思うのです。

度々の長文失礼致しました。貴方様のご多幸をお祈りしております。
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この回答へのお礼

再三のご回答を頂きましてありがとうございます。
どうしても今の自分から逃げたい、変わりたいとは思いますが
直ぐに変えることはできない、分かっていても思考が変えられない。

覚悟がたりないんでしょう、分かります。

とても難しい問題です。

お礼日時:2011/06/12 23:24

レスありがとうございます。



「完璧主義・完全主義」という言葉は、精神医学・心理学中の様々な分野で耳にする言葉です。

各回答者様へのお礼文を拝見すると、これは一つ近道になる可能性があるのかな、
と思えるキーワードが浮かびました。「加藤諦三 良い子」でグーグル検索してみて下さい。

あくまでも一つの可能性ということなのですが、ご質問者様の完全欲の根源は、
親御さんの養育によるものではないか、ということなのです。

特に幼児期において、比較的厳しい養育を受けたことによって「見捨てられ不安」を感じ、
自分でも気づかないうちに、親御さんの価値観に合わせなければいけないという
追い立てられるような不安を、慢性的に持ち続けてしまう人は多いようです。

加藤諦三さんの本をお読みになったことはありますでしょうか?
もしまだなら、一冊手に取ってみることをお薦めします。
加藤さんご自身がそういうご性格なのだそうです。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
確かに私は親の要求を満たせないと捨てられる、
という考えで育ってきました。
今更親を恨んでも何も出ないし、親も人間だから
完璧を望むのも酷、自分の問題として割り切って悩もうと
思いますが、呪縛から抜けられないのも自分が未熟なせいです。

加藤諦三さんの書籍も実は何冊か読んだことがあります。
私のような人間には興味をそそられるタイトルばかりでしたので、
ただ、どうにも恨み節のような雰囲気と、結論を求める私のような
タイプの人間には投げっ放しな対処法に懸念が残ってしまいました。

完璧主義というより、本当はみんなと同じになりたいという
子供の頃に感じた劣等感をずっと引きずっているから、
人は人、自分は自分という割りきりが出来ていないのだろうと思います。

お礼日時:2011/06/01 12:37

お礼もらってまた考えて…



あなたの考え方を

人を見て自分より優れてる
いいもの持ってる
なんで出来るんだろう
自分には出来ないのに

って思ったら
その時点で
凄いねぇって言ってみたら
その人直接でも独り言でも
そしたらその出来事はその時点で終わりに出来ませんか

凄いねぇ で終わりなんだから
それに比べて自分は…ってことはないんですよ

やってみて(^_-)
ダメならまた対策を考える(^-^)b
因みに私はこういう人
ブログ見て貰えればわかると思うけどね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
他の回答者様の回答の中にもありましたが、
単純に「自分のこと」と「他人のこと」を分けて考えられない、
他人に出来る⇒自分に出来ない⇒自分は劣っている、と
考えてしまう思考特性がいけないと分かってはいるのですが、
自分が「普通の人」でいるための指針をそこに求めてしまうので
どうにも切り離すことが出来ずズルズルと来ています。
中々難しい問題かなと感じます。

お礼日時:2011/06/01 12:31

ご質問を拝見し他人事とは思えず、回答させていただくことにしました。



今、あなたが悩んでいる人付き合いのことや自分の完璧主義な性格のことは、かつて私が悩んでいたことと、ほとんど同じだと感じました。

私の場合も他人に心を開けず、うまく人付き合いが出来ない状態で、今のあなたと同じように人を羨んで嫉妬してばかりの人間だったように思います。

また、私の場合は内向的で無口な性格も悩みの種でした。

しかし、私の場合は、たまたま、ある時、図書館で森田療法の本を目にし、これがキッカケになり森田療法の学習をしていく中で、今までの自分の悩みを克服することが出来ました。
また、森田療法の学習をしていく中で、自分が今まで悩んできたのは対人恐怖と言われている神経症の症状だったということも知ったのです。

そして、神経症に悩んでいる時は完全欲にとらわれている結果、完璧主義にもなりやすいものなのです。

あなたの書かれているご質問の内容を拝見し、あなたの場合も典型的な対人恐怖であり神経症に陥っている状態ではないかと感じました。

ですから、もし、あなたが心配性や内向的、負けず嫌いといった神経質性格の特長を持っているようであれば、一度、森田療法の学習をしてみると良いのではないかと思います。

森田療法は以前は森田療法関係の本を読んだり、学習団体に入り学習するのが一般的でしたが、今はメールカウンセリング(MTカウンセリングなど)といった方法もあるようです。

森田療法の学習をしていく中で自覚が深まってくれば、人付き合いや完璧主義の悩みから抜け出すことが出来るのではないかと思います。

以上、私自身の経験から感じたことを書かせていただきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
森田療法の存在は知っていたのですが、どうにも気楽に
受けられるようなイメージもなく、ましてや本だけを頼りに
自分で自分を認知療法することもハードルが高く、
(結果をすぐに求めてしまうダメな性格ですので・・・)
諦めてはいました。
確かに私は過度の心配性でいつも起こり得る最悪のパターンを
想像したり、内向的で他人ではなく、他人を通してどう自分が
見られているしか考えられずに、他人と向き合えない人間です。
他人を絶対的な存在として認識している以上、私の考え方は
変われないのかもしれません。
メールカウンセリングもあるというのは少しハードルが下がって
頑張ってみよう(受けてみようかな)と思える情報でした。

お礼日時:2011/05/21 01:46

遡って家系に似たような性格の人はいませんか。



もっともっと、与えることを考えませんか。
いまなら、被災地へ行って、ヴォランティアで
活躍してくるのも1つの方法でしょう。

行く前に
受け取り上手になっておきましょう。
もっと与えなさいと言いながら
受け取り上手になれとは矛盾している
信用できないと思われるでしょうが、
そうではなくて、受け取り上手は
人を気分良くさせる与え上手なのです。

完璧主義の質問者さまのお部屋は
掃除と整理整頓が
完璧になされているのでしょうね。

被災者をパーフェクトに救う
完璧主義は歓迎されるでしょう。
大いに他のヴォランティアと比較して
更なるお役立ちを展開させてください。
のように
視角視点を変えれば
短所のいい面を活かせます。

Cheers!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
父親と正確は似ているかもしれませんが、父親は有言実行の人なので
そこは口だけの自分とjは違うと思います。
自分の中で「与える=身を削る、自分から何かが減ってゆく」という思いがあり、
「与えなければ与えられん」という類の言葉には昔から閉塞感を
感じていたような気がします。
「与えることで得るものがある」と認識を改めることで(視点を変えることで)
見えてくるものは多いのかもしれません。

お礼日時:2011/05/21 01:41

現実自己像と理想の自己像のギャップが問題のような気がします。



ありのままの自分を受け止めることは厳しい一面を伴いますが、受け止められれば楽になると思います。案外薄っぺらな自分を素で受け止め、認めるのは辛い経験かもしれませんが、どん底に落ちるのではなく新たな飛躍があるように感じます。

鎧を脱ぎ捨ててください。小さな弱い自分がそこにはあります。そうすれば他人にも優しくなれますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「ありのままの自分を認める」・・・言葉にすればそんなに
難しく感じないのに、どうしてここまで難しいことなのかと感じます。
歳を重ねるごとに世間体を気にする性格ゆえか、そういう機会を
どんどん失ってきていましたが、流石に疲れてしまいました。
30歳という年齢を期に「世間の目」を離れて自分の価値を自分で
決めたいと思うようになりましたが、染みついた理想主義がどうにも
抜けず、未だに「理想の自分になれれば万事解決」と思い込んで
いるようです(他人ごとではないのですが・・・)
そんな便利なものなんてないのだから、現実の無力な自分を認めた上で
向上心を持ちながら一人でも生きて行ける自分になりたいと思います。
他人に良く見せようとする鎧って本当に重いですね・・・

お礼日時:2011/05/21 01:37

完璧主義をやめられない。

それなら、止めなければいいのです。
というより、元より止められるはずがないのです。誰だって「より良い自分」になりたい心があります。
>本当は止めたくない自分もいるようです・・・ ~それでいいのです。

貴方の抱えている問題は「完璧主義」ではなく「自己嫌悪」です。
自己嫌悪から脱すれば、完璧主義は、より良い自分を求め続ける良き心だと気づくはずです。
自己嫌悪のせいで、「より良い自分になりたい」という
「良い自分」までをも嫌悪してしまっているのではないですか。

今までお読みになった本の中に良書があるなら、「自己嫌悪」をキーワードとして読み直せば、
又違った答えが見えてくるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自己嫌悪と自虐に逃げ込み続けた人生だと感じています。
人と比べる癖のある人間が絶対的な能力差を認めるのを
避けるには最適な方法だったと思うんです。
なぜ、自分を認めた(精神的に)楽な人生を選ばずに
自分を責めるような生き方を選んできたのか改めて思うと不思議です。
人より優れていたら自分の望みが全て叶うわけでもなく、
「人と同じ(=普通)」になれたら楽なのかもよくわかりませんが、
それよりも自分は自分、でも向上心は捨てない!という人生に
シフトしてゆきたいと思います。(とても難しく感じますが・・・)
「自己嫌悪」をキーワードに色々調べてみたらまた違う答えが
見えてくるかもしれませんね。

お礼日時:2011/05/21 01:31

事実だけを受け止める


それが出来ないんでしょうね

人がしたことを
その出来事だけ受け止めればいいのに
その場所に自分をもっていっちゃうんですよね
その出来事はその人の環境、状況においてそうなっただけ
同じ環境、状況じゃないあなたをその出来事の中に持ち込んだって
比べようがない
比べようがないものを比べて完璧を望む
無理だと思います

本当に完璧を望むのであれば
人は関係ないでしょう
あなたは完璧を望んでいるのではなく
人より優れていたいと思っているんじゃないですか
まだ完璧を望んでいた方がいいと思います
ある意味完璧主義は自己満足でもありますからね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
人より優れていたい・・・そうだと思います。
優れていたからって好かれるわけじゃない。
自分が望んだ評価が得られるわけじゃないと頭では
分かっていてもそれに固執しているのがどうにも・・・
自分で自分に評価を下せないので、人の評価に
固執してしまうばかりです。
自己満足すら出来ないのはいい加減嫌になりました。
自分は自分でいいじゃないか、と心から思えたときに
始めて勘違いの完璧主義が止められるかもしれません。

お礼日時:2011/05/21 01:20

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