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キリスト教の三位一体論は どう考えても理性を逸脱しています。
どういう受け止め方をすれば受け入れられるのか全くふしぎです。

A 回答 (5件)

当たらずも遠からずという感じです。


キリストと主である神そして霊である洗礼、これがキリスト教の重要なことです。
私は洗礼を受けていませんが普通の信者にとって洗礼を受けることはキリストの教えでは非常に重要だと思います。
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> どういう受け止め方をすれば受け入れられるのか全くふしぎです。



恋人関係、夫婦関係、親子関係、上司と部下の関係、あるいは国家や権力者と普通の人々の関係にあっても、「信じる!」という積極的姿勢に変更すれば受け入れられます。
鰯の頭も信心から、石仏や木彫仏、聖遺物、マリア画像でも、「信じる!」という積極的姿勢に変更すれば受け入れられます。
投資を勧誘された場合でも、「信じる!」という積極的姿勢に変更すれば受け入れられます。

そのような実態があるということを認知・理解出来るのも、理性があるからです。 
理性がないか、理性よりも感性や情動などが勝っていると、実態も理解できず、現実を受け止められなくなります。

電磁気学、理論物理学などでも、根本的に基礎から理解することはできなくても、相対性理論がある・磁気と電気はこうこうなどと、受け入れてしまうことは可能です。 多くの人は、ほとんど理化学も生物学も経済学や心理学も、国や企業の方針や施策なども、それで受け入れているのです。
「クレジットカードやスマホがどうしてこのように使えるのか」などの仕組みには理解が及ばなくても、「こうすればイイんだと信じ込めてしまえ」ば、受け入れることに支障はないのです。

wikiの説明に、次のような文があります。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
三位一体論の難解さ
三位一体論が難解であることはキリスト教会においても前提となっている。
正教会においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される。
カトリック教会においても、神は自身が三位一体である事を啓示・暗示してきたが、神自身が三位一体であることは理性のみでは知り得ないだけでなく、神の御子の受肉と聖霊の派遣以前には、イスラエルの民の信仰でも知り得なかった神秘であるとされる。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「三位一体論の構造的理解」が難解であっても、ローマカトリック教会、ギリシア正教(東方教会、正教会、コンスタンティノープル教会)、プロテスタント諸派の聖職者も大半の信者も、父と子と聖霊の三位は一体であると理解して受け入れているのです。

私なども、天体運動の計算も出来ないし、そもそも各天体の位置も質量も運動状況も分からないまま、なんかの理論があるんだと受け入れています。地球も球体の天体の一つと受け入れていますが、日常では島国にいるのに、どこまでも続く大地と感じ、日中晴れていれば「青い空がどこまでも高く続く」と感じて生きてます。 夜のことや薄曇りのことなど、そのときには思い浮かばないのです。
人間の理解と受け入れというのはそのようなものです。
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三位一体論は、理性や道徳を解くためではありません



この従属主義とも言える教えは、初期キリスト教にも見られる特徴的な傾向ではなかと思います。
 これは教理を整理する必要が生じ「父、子、聖霊」の関係を知的・概念的に定式化しようと試みた考えなのです。

理性や道徳は、殺人や盗み等を戒めた「十戒」にあります

仏教では三身即一身」「一身即三身」と解きます。
それをパクったんでしょう。
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宗教に理性を持ち込む時点ですでに


間違っています。

理性で考えたら、宗教など矛盾
だらけです。

目をつぶって、ひたすら信じる、という
のが宗教です。
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理屈じゃないところで信じるみたいです。

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