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「科学的証明」という言葉が巷に氾濫しています。
科学的に証明された、食事法・ダイエット法・成功方法…等々。
ある科学者が言ったこととか、統計があるとか、科学的用語が使われている、といったことで
何か科学的に証明されたことの様に考える、短絡的と思える主張が目につきます。
また、科学的に証明されないことは「ないこと」であるという主張もです。

私にはこれらのことが全く納得できないのですが、科学的知識の乏しい故に、どう処理してよい
か分かりません。

数学ならば記号の世界ですので「証明」ということもできるでしょうが、物理学にしても天文学
あるいは生物学にしても分からないことが多々あるのに「証明」というのは不自然に思えます。
まして、文科系の科学や、人間の心や人生のことについては尚更でしょう。

科学的証明・証拠ということについて、また、それらを現実の中でどう利用してゆくべきか、分かり易く教えて頂けたらありがたいです。

A 回答 (10件)

にゃぽりつさんおはようございます。


 あなたはなぜ科学と疑似科学とを区別したいのでしょうか?
 "科学的証明"で検索すると236000件 hit しました。前に検索した時の数がわからないです。もし比較できれば前よりも増えているまたは減っているまたはどちらでもないの区別ができます。
 科学と疑似科学を区別する目的がいくつか考えられます。Lysenkoism のため科学者が処刑されたようなことが再び起こることのないようにするためです。水からの伝言を信じて嘘だとわかって裏切られた気持ちになったような人を再び出さないためです。『ASIOS(アシオス)とは、「超常現象の懐疑的調査のための会」(Association for Skeptical Investigation of Supernatural)の略称です。』https://asios.org/asiosさんが良かったです。疑似科学を使って効果の不明な商品の宣伝や権威付けや世論の誘導をしようとします。疑似科学を批判して健康を害したり人生を誤ったり誤った世論を形成しないように警告することに代えます。科学と疑似科学を区別すると社会の利益になります。科学が真理や原理を探究し研究する過程で結果として科学ではないと弾かれます。科学者が自己顕示欲を満たすためです。Data を見にくい立場の人間の直感による反対意見に対して研究者が批判を躱すためです。科学の側でも疑似科学によって科学の信ぴょう性が減るので科学と区別します。『科学と疑似科学との線引き問題について』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7688595.htmlさんを参考にしました。
 擬似仏教という言葉もあるのだろうかと調べると『真如苑について詳しい方、教えて下さい。』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5891450.htmlさんに「拝む対象も釈尊と言いつつ、実際には双親様(教主とその妻)両童子様(早死にさせてしまった息子二人)で「抜苦代受」と疑似仏教用語を作り、キリストの受難のコピーを話し、教主を拝む一神教の形態を取っています。」とありました。疑似科学の側から科学を否定することはありません。科学がダメになると巻き込まれて疑似科学もダメになるからです。擬似科学と他の擬似科学同士で否定し合うことあるのでしょうか?『「否定するなら対案を出せ」という言動は』https://q.hatena.ne.jp/1502947795さんがよかったです。『科学としての医学』https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83 …さんがあります。『用語の用法に拘るということ―発酵・酵素・酵母って,“要するに”何なんだろう?―』https://note.com/openyourtextbook/n/nd88acd99ccb …さんがよかったです。『フォルダによる本質証明と述語証明』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13620395.htmlさんのように証明と付けると正しいことを言っているような印象を醸すので楽しいです。宗教と random 化比較試験で何かないか調べたところ『終末期成人患者におけるウェルビーイング(well‐being)に対する霊的(スピリチュアル)・宗教的介入』https://www.cochranelibrary.com/cdsr/doi/10.1002 …がありました。結論は良くなるかならないか悪くなるかならないかわからないと言うことでした。

とみくさんもくぞーさんろよれさんおはようございます。
 No.5が良かったです。No.5さんへのお礼 comment が面白かったです。『科学的証明』のNo.5https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13624456.html?order …さんがあります。何か変な理屈を言う若者が増えていると主張しています。疑似科学の側から科学を否定することはありません。科学がダメになると巻き込まれて疑似科学もダメになるからです。擬似科学と他の擬似科学同士で否定し合うことあるのでしょうか?
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シュトラウスの問いに近いかもです。


哲学は倫理・価値論・共通善の探究などを含みますが、20世紀の西洋は科学主義・論理実証主義が科学から哲学を排除した結果、ニヒリズムと全体主義が蔓延しました。
シュトラウスは科学主義を野蛮とみなし、規準としての自然>人為、という古代哲学の価値構造を近代科学に再導入しました。心身や常識などの自然性を規準に、理性的選択で共通善を追求していく実存哲学と、それに根ざす科学、という構造です。保守的ですが科学主義の野蛮よりはましかもです。
真に効果的な食事法やダイエット法を科学は探究できますが、それは食事やダイエット自体の価値を探究する実存哲学に基づくべきということです多分。

宣伝文の「科学的証明」は誇大広告かもです。資本主義の非倫理性の表出です。資本行為も哲学に基づくべきです。
JARO
https://kaiin.jaro.or.jp/koe/form.asp
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この回答へのお礼

レオ・シュトラウスですか?私は初めて聞く名ですが、私が似たようなことを考えていると言えるようです。

近現代の哲学者・思想家はなかなか鋭いことを言っているようですね。日本人にはあまり理解されていないということを言う人もいますが、勉強しないといけません。

お礼日時:2023/10/27 21:24

>>科学的とは哲学的ではないと言うことだ。

これについてはどうなのだろうかと思いました。


科学的≠哲学的 と申しております。

科学的<哲学的 であるが故、
科学的=哲学的 ではありえず、
結果として、
科学的≠哲学的 と言わざるを得ないのじゃぁ。
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この回答へのお礼

>科学的とは哲学的ではないと言うことだ

上げ足を取るつもりなど全くないのですが、そういう風に言うと、科学と哲学は全く相いれないものであると、一般的には思われるのであろうと思ったということです。

おそらく、学者たちはお互いに踏み込まない様にしていると思います。それも、哲学と科学の「分離観」をもたらしているかも知れません。

また、人文科学は科学であるか否かという見方もあるでしょう。

お礼日時:2023/10/23 09:28

> 「科学的証明」という言葉の意味は、科学の厳密な方法によって立証されたということですね。



科学の厳密な方法によって立証しようとすると、素材となる元資料、資料を分析する手法、これらを統合的に検証し妥当性を検討・判定する方法の三つが必要です。

多くの場合、元資料が唯一ということはなくて、複数存在する可能性がありますが、その全資料を入手することはまずできません。 入手できる物品には限りがあり、現象や出来事に関わる資料であれば論理的にもすべてを入手することはできません。 抜けていることが分かっている中で「科学的」でなければならないということは、後日、資料が追加されたら、その時点で、三つのことをやり直したときに、前とは異なる結論に至ることがあると、最初から分かっているのが「科学的証明」をするときのスタンスです。
資料の分析ツール、手法も、新しいより有効なものが発見されることもあるので、元資料そのものは前と同じであっても、資料の分析調査の結果は、前とは異なるもともあり得ると考えているのが「科学的証明」をするときのスタンスです。
さらに、統合的に検証し妥当性を検討・判定する方法というのがやっかいです。 例えば、光は直進するものという前提で検証していたところ、重力の影響をうけて光の進路は曲がるということが分かってきた場合に、空間とか直線、平面という概念そのものを見直さないとならない状況も起きます。 この検討課題であれば平面や直線については従来通りで構わないとか、この検討のときには曲面で検討しないと科学的ではないとか、変わります。

《科学の厳密な方法によって》というのは、現実的に一意ではないのです。
原子も、陽子・中性子・電子と分けたり、電子も大きさがある位置があると考えては拙い場面もあるという、結構、可変的で、状況や目的によって把握は違うのです。
遺伝のようなこと、血液型の分類、人種などの見分け、生理現象、生化学などでも、次々と、科学的証明で必要なことは、変わっていくのです。
もちろん、社会経済的な状況把握でも、生物の進化でも、歴史上の気象や地形に関することでも、天文でも、科学的証明で必要なことは、変わっていくのです。
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この回答へのお礼

そうでしょうね。

お礼日時:2023/10/22 15:58

「科学的」という言葉だけをそれこそ内容もわからずに使用するやからがたくさんいます。

それは「科学」という言葉の魔性を利用した外道に他なりません。しかし、一方で科学に携わる確かな知識を持った人の思考法というのは、科学の効用と限界を知りつつその限界内で世のため人のための有効なものを生み出していこうという人間の倫理に沿った活動を行っています。
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この回答へのお礼

外道な科学者もいるんじゃないですかね。死神博士みたいな。

お礼日時:2023/10/21 20:53

証明・説明・論証など、いずれもNachweiss(あるいはBeweiss)の訳語だ。



ではwissennschaftlichの訳語である科学的とは何か?

一番重要な識別点をいえば、
科学的とは哲学的ではないと言うことだ。

すなわち、
哲学は見えない物(観測不可能なモノ)を考え、論証することができる、
一方で、
科学は見える物(観測可能な、モノ)のみを対象とし、論証する。

例えば、神、
例えば、愛、
例えば、勇気、
例えば、希望、

など、対象自体(ding an sich)が観測できないことが明らかな対象を論ずることは哲学で可能だが、科学では不能なのです。
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この回答へのお礼

>哲学は見えない物(観測不可能なモノ)を考え、論証することができる、
一方で、
科学は見える物(観測可能な、モノ)のみを対象とし、論証する

全くそうだと思いますが、

>科学的とは哲学的ではないと言うことだ

これについてはどうなのだろうかと思いました。

お礼日時:2023/10/21 20:51

次のようなことを考えてみてください。


Q 明日の天気は
A1 おれが占ってやる。(コイン トス) 晴れではない。
A2 ちょっとスマホで調べるね。天気予報で、この地域の10:00~14:00は曇り。
A3 過去三日間は晴れてて最高気温最低気温とも下がり続け、北西から高気圧の大きな範囲がこちらに近づいていたから、明日くらいなら晴れで気温も下がる。

A1を「科学的」という人は滅多にいないでしょう。 
A2やA3だと、結構意見が分かれるのではないでしょうか。
このQの問いが、気象庁予報部の担当者打ち合わせのような場面だとしたらどうでしょう。 A2はもちろん、A3も「科学的」などとは思われないでしょう。
人によって、また、その場の状況によって、また検討する課題と当事者の関係によっても、「科学的」の「尺度・判定基準」は変わります。
薬剤の効果や副作用も用法や対象者の状況で変わることは明らかであって、不明確・不詳・未解明のことは多くても、救命・治療・緩和のために、それなりに判断し、言説を決めていかないとならないとなれば、「その時代の」知見や検討を、「"どの程度"科学的」であるかをジャッジしなければならないです。
当然、ある時点で収集できている情報には現実的限界があります。 報告が遅れていた、検出ツールの精度分解能が充分でなかった、対象範囲と想定していた中に別の状況や素因を持っていたものが"なかった"、ということは充分にあり得ます。 ある時点で判断したら、その後に別情報が出てくれば、見直すのが「科学的」であり、「科学的証明」の"方法"です。
状況で変わるもの、新規発見がありうるモノ、方法の改良の余地があるものなど、あるいは、「良と非良についての感性や重要と重要度の程度の感性」が変わるものなどは、科学的アプローチそのものが状況によって変わるのです。

【科学的証明】を、時代、社会、科学技術、人心の動向、関心の焦点に無関係な、超然・不変・普遍のものと考えては、間違うだけです。

> 食事法・ダイエット法・成功方法…等々。

これらは当事者の"欲・希望・嫌悪・敬遠"にとても強く関わっているのです。
それは十人十色、万人万様です。 で、ターゲット市場というか、ターゲットとする人の属性や状況を"想定"します。 "きっと~~であろう"という想定をして、その想定対象者が、"やれそうと思いそうなこと"について、"△△ということなら効果があるに違いない"と想定対象者が自分自身を納得させることが出来る《もとになる情報提示》をしようとします。
想定対象者がどのような属性の人なのか、欲や希望・不安や忌避がどのようなものになっているのかで、《もとになる情報提示》=《科学的証明・証拠の内容や提示表現》も変わります。
ごく一般的に、若い女性でスリムな人向けとでっぷりな人向けでは、《科学的証明・証拠の内容や提示表現》も変わります。 糖尿病治療も専門範囲とする臨床医向けと中年で健康や糖尿になることを心配している一般人向けとでは、《科学的証明・証拠の内容や提示表現》も変わります。
言い方が偏見に満ちるかもしれませんが、馬鹿で努力嫌いで欲だけ強い若者向けの成功法と、文学研究に志す者向けの成功法とは、同じにはなりません。 そもそも成功法に関心を寄せる人は【科学的証明】を求めてなどいないでしょう。 仮に、書いてある、話されるものも、成功談のような例示だけで充分に思ってしまうでしょう。

「巷に氾濫している」という見方・感じ方も実に感性的で部分的なものです。氾濫していると見做しているものとは対極にあるようなのも、同時に巷に氾濫していることが多いでしょう。 対極ではなくても、かなり異なったことやものや現象が、多様に氾濫しているものです。
短絡的と思える主張が目につくのでしょうが、主張もスタンスも関心の有無さえも曖昧とか不鮮明というのも目につくのでしょう。
言葉にすると、言葉にしたことによって、思考が狭くなり全体を見失っていくことも多いです。 特に、価値評価や属性弁別に関わるようなことについては、自力で価値判断や「異質・異常・おかしい」のような思考に距離をおくように努力し、視点を多様に変えて、見落とし、軽視、無視を起こしてしまわないように自戒した方がイイです。

http://blog.ac.eng.teu.ac.jp/blog/2017/06/post-1 …
この方は ある面ではまともなことを述べていると思いますが、人間が生活し社会を構成し自分や他人をそれなりにコントロールする(働きかけるために意見や情報を提供する)ときには、その状況にふさわしい「科学的証明」が重要になることが多いのも、忘れてはならないです。 立場、目的、相手によって、「科学的証明」は内容も違うし、証明しようとする目的事項(仮説の類い)さえも違うことも多いのです。
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この回答へのお礼

あなたの仰るような曖昧な玉虫色の認識の仕方が、正に実に科学的でない「疑似科学」的見解だと思いますよ。

「科学的証明」という言葉の意味は、科学の厳密な方法によって立証されたということですね。だから人々は信用するのです。その信用の心を逆手にとって商売等の為にこの概念を利用することや、そういう考え方が正しいものと思い、そんな考え方になってなんか変な理屈を言う若者が増えたりしていることを私は問題にしています。

どこかの企業の営業担当の人かと思いました。

お礼日時:2023/10/21 20:43

科学的、というのは次のように


説明されています。

○客観性
 誰がやっても同じ結果になる。
 ノーベル賞受賞者でも、小学生でも同じ。

○再現性
 何度繰り返しても、同じ結果になる。

○論理性
 同じ結果になることが理論的に
 説明出来る。


確かさを積み重ね、
更なる高みに登るのが科学の
特徴です。
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この回答へのお礼

湯川秀樹博士の次の言葉を見つけました。少し長いですが引用します。

『科学は本来、中立性を持っているわけで、科学自身は本来善でも悪でもない。十九世紀には科学が進歩してゆくことがそのまま善だと考えた人が多かったわけですが、今日ではそう簡単には言えない。原子力の場合などにはっきり現れているように、科学はよいことにも使えれば悪いことにも使える。

科学上の大きな発見がありますと、それは遅かれ早かれ人類によって何かに使われる。その時にあらかじめ良いことだけに使われるような真理を、科学者が発見するというわけにいきません。科学の真理は毒にもなれば薬にもなる性格を本来持っている。

従ってまた、科学者が真理を発見しても、その真理は人間に都合のいいことだけに利用されるとは限らない。悪用されるか善用されるかは人間の判断に因るわけであります。自然科学ではそこまで規制できないのであります。』

お礼日時:2023/10/15 15:53

「科学」と「疑似科学」を見分ける方法がひとつある。


「徹底的な否定の試みをしたか」。

ある現象が起こったとする。
科学では「こういう現象が起こる」とただちに言わない。
「温度が違えば起こらないのではないか」
「アメリカでやったら起こらないのではないか」
「中国人がやったら起こらないのではないか」
「雨のときやったら起こらないのではないか」
「光がなかったら起こらないのではないか」
「風が吹いたら起こらないのではないか」
・・・
徹底的に「成立しない可能性」を追究するのである。
法則の提唱者はもちろん、追試者によってさらに徹底的に検証される。

こういう過程を経て生き残ったのが科学の法則である。
科学法則の条件は、同じ手順を踏めば「いつどこで誰がやっても同じ結論に達する」ことである。

疑似科学は、そういう手順を経ていない。
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この回答へのお礼

>「徹底的な否定の試みをしたか」

「反例」を徹底的に探すということですね。

更に

>同じ手順を踏めば「いつどこで誰がやっても同じ結論に達する」ことである

科学の検証というものは実に厳密なもので、だから信頼されるわけですが、それを利用する疑似科学者もいるというわけですね。

お礼日時:2023/10/15 15:35

そもそも食事法・ダイエット法は科学的とは言わずに医学的って言いませんか?

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この回答へのお礼

ほう、質問自体がお気に召さないのでしょうか?

医学も科学の内では?

お礼日時:2023/10/14 11:58

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