プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

皆さんはどうやって自分の進む道、生きる道、職業を決めましたか。

なりたいもの、やりたいもの、夢はあるんですがどの道に進もうか悩んでいます。

どういう経緯、考えで決めたのか理由も書いていただけたら嬉しいです。

A 回答 (27件中1~10件)

子どもの頃から好きなことがハッキリしてました。


一般科目では勝てないと気づいたので、中学生の時に道を絞った。
高校から特殊な学校を選択して、専門分野を七年勉強。
後は流れに身を任せて。
素直にそのままの仕事に就いたわけではなく、途中で宗旨替えしているし、
転職は四回しました。
これまでの経験すべてが、最終的に今やってる仕事で結実した感じ。
30代に入るまでは道の半ばだった。
15歳くらいまで友だちがいなかったので、孤独を埋めるためにしていた読書も、一生を通して仕事で役に立ってます。

参考にならないよね。
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やってみて、おもろかったとこに居ついてます。

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就職氷河期世代なので、あまり仕事を選べる立場になかったですね。


ただコテコテの理系人間だったので、技術系の仕事をしたいとは思ってました。
一応はそういう仕事には就けましたが、結局1度転職することになり、その後独立することになりました。
まあ、その都度分岐点に立った時にどうするのが一番いいだろうと考えて選んできた結果でもあります。
なので特に後悔とかは無いです。
どういう考えで決めたかと言われれば、長期的に見た損得を考えて決めた感じです。
損得の中には収入は勿論ですが、自分自身の好き嫌い、やりがいなども含めて、ということになります。
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今現在、自分がやりたい事は何か?が重要ではないせぢょうか。


私は、その時にやりたい事の方へ進みました。
お金儲けという事は全く考えませんでした。
そして、今があります。成功か、失敗か判りませんが、大失敗ではないと思っています。
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もうこれ以上声優になる夢をあきらめないでください。

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運動も勉強もドン底の義務教育時代、全く勉強しませんでした。

中学2年で父親が亡くなり、さらに、どん底にいました。高校は、第3希望の地方の四流非進学校に入学しました。そこで、〇文社の模擬テスト、242人中、242番。学年最下位でした。その学力を3年間、維持。定期考査など、常に赤点との闘いでした。勉強はもちろん、部活も何も、何をやっても、ダメ。補導されたり、生活指導上の問題を起こしたりで、親が学校に呼び出されることもありました。まぁ、よく卒業できたと思います。
卒業間際に、このままでは、就職はもちろん、生きて行くことも絶対無理。未来は全く見えず、何から何まで、無理過ぎると悟りました。
そこで、母子家庭の4人兄弟でしたが、上京させてもらい、〇⚪︎木ゼミナールに入学しました。全ての学力が底辺ですから、最初は全く点も付きません。でも、そのレベル、何をやっても、何処から始めても、無駄がなかったという、メリットのようなものもありました。
結果は、W大学や都内の国立大学などに合格しました。
結果的にには、入学した大学で、友人たちが、「〇〇の採用試験の説明会があるぞー。」とか声をかけてもらったりして、その流れについて行っているうち、いわゆる公務員になり、海外勤務や管理職なども経験しました。
他に何の能力や知識なども、自分にはあるわけではありませんでしたから、一旦、乗ったレールは、ある意味、迷わず、仕方なく、その中で、学び、適性を身に付けて行っただけなのかもしれません。

今にして思えば、自分自身としては、最高の進路選択だったのでは、と思っています。
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小学校のころからラジオを作ったり、工作をしたりしていました。


高校の頃はオーディオが流行っていて、高価なオーディオ装置は買えないので、自作しました。そのため、電子工作は得意になりました。
大学の時はデジタル回路をやりだして、機械学部なのに電子装置を研究して回転計や制御装置を作って卒論にそれも書きました。
会社に入って設計部門に行くかと思ったら生産管理でがっかりしましたが、やることが多くて、外注工場周りとか工場の作業手順書とか部品表(BM)を作ったりとかいろいろやりました。趣味でマイコンをやっているのが会社にバレて情報システム部に異動になりました。そこでは、製造、販売、会計、人事などのシステムの開発と運用をやっていました。ちょうど世の中が大型汎用計算機からミニコン、オフコン、LAN、WAN、グループウェア、データベースと目まぐるしく変わるときだったので、会社にそれらを導入することをやりました。 システムを作るうえで業務を知ることになり、その関係の法律や会計も勉強しました。そのため、次は監査の仕事で不正をあばくことをやりました。ほかの会社にも行って監査しました。J-SOXの導入期でその仕事もやりました。 設計から工場まで知っているということで次は 開発試作品の検定の仕事をしました。
振り返ってみると 自分が道を決めた というよりは 「こいつはこういうことに使えるだろう」ということでその職場に異動したように思います。そしてどんな仕事にも全力であたってきました。
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大学生のときにレジやっててたのしかったからレジの仕事にした。

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キャリア理論を紹介します。

エドガー・シャイン(元MIT教授)の「キャリア・アンカー」という概念です。それによると、①できること ②やりたいこと ③やるべきこと の3つを考えなさいと言うことです。しかし、それによって進路を決めたとしても、人生は複雑です。そこで、もう1つの理論を紹介します。クランボルツ(元スタンフォード大学教授)の「偶発性理論」です。これは、「キャリアの80%は、本人の予期しない偶然の出来事で形成されている。」というものです。「偶発性理論」は、自分の人生を振り返ってみても、当たっていると思います。どうぞ、未来に対して開放的であってください。
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私は、高校に入ってすぐの実力テストの後の進路調査の時間に決まりました。

大学で学べる学問、職業一覧みたいな冊子があって、それをパラパラ見ていたら、ピンとくる学問を発見して、その瞬間に一生が決まりました。マイナーで専門で幅広い知識と技術が必要な学問であり職業です。大学ではそれを学び、卒業後はその知識を使える職業に就き、30歳過ぎて転職し、もっといままで培ってきた知識や経験を発揮できる環境を選びました。ちなみに大学卒業後、信頼できる先生を何人も見つけ、大学時以上に学んでいます。将来60歳になったときに自分が学んできた・経験してきたことを何か形にしたいと思っています。
違う分野は考えたことがありません。
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