
中曽根康弘さんは今から振り返ってみても興味深い政治家だったと思いますが、中曽根さんが首相になれて、なおかつ長期的、強力な政権を築けた要因は何だったんでしょうか?
中曽根派というものは無かった。少なくとも、中曽根さんが親分面できる、大派閥は無かったわけです。それなのに、なぜ?
おそらくはナベツネさんと盟友関係を築き、ナベツネさんを参謀のように扱えたことが大きかった。それによって、大野伴睦との関係がこじれそうになったのを修復させた、という風なエピソードもあったかと思います。あとはもちろん、これもナベツネさんの助言あって、ロッキードで落ち目のときの田中角栄と親密な関係を築いた。それによって、ロッキード絡みのスキャンダル揉み消し工作のようなことも、中曽根さんはやってたはずですよね?
その辺りが1番大きな要因と、考えていいでしょうか?
No.5
- 回答日時:
安倍さんに似てますね。
自分の野心を達成するために敵対する勢力にも近づいて仲間に入れる。
官僚主導ではなく、政治家主導の政治を行ったこと。
防衛力を強化して米軍依存からの脱却を図ろうとしたこと。
また議員時代に原発建設を前提にした法律も作って成立させたことも、将来的な核保有も視野に入れていた可能性もあったでしょう。
ちなみに総理時代を含め、中曽根派があり、そのリーダーでしたよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E7%AD%96 …
No.3
- 回答日時:
中曽根さんが、政治家として最も活躍していたときの、口の悪い政界スズメやライバル政治家がつけたあだ名は、風見鶏。
今、強いところにつく、昨日の敵は今日の友、その信念の無さ、節制が見られない姿勢を揶揄したものです。
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田中角栄に全てを押し付けたら、田中派は支援してくれないはずでしょう?どういうことでしょうか?