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朝鮮出兵は侵略戦争ですか?

A 回答 (8件)

豊臣秀吉の?ならば100%侵略戦争デス!

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日本が朝鮮に対して、服従して明への侵略の先導を命じたところ


朝鮮が拒否したから経路にするため侵攻したという侵略戦争です。



1587年、九州を平定してほぼ日本を統一した秀吉は、
対馬の宋氏に命じて朝鮮国からの通信使を要求します。
宋氏は秀吉からの朝鮮服従の要求では断られるので
日本の統一への祝賀という名目で交渉します。
1590年、秀吉の求めに応じて来日した通信使使節団を
秀吉は服従するための使節と考え、明攻略の先導を要求します。
これが「仮道入明」(明への通り道として利用する)の流れです。

しかし、明に服従する朝鮮はこんな無茶な要求はのめません。
そこで使節団の帰国後に彼らの報告を検討しますが、
この時に正使(黄允吉)は秀吉の危険性を警告します。
ところが主流は出ないために副使(金誠一)による
秀吉を舐めて朝鮮侵略はないとする報告が採用されて
日本への警戒を行いませんでした。
ちなみに通信使以後も交渉は続いていて、日本側の景轍玄蘇
という外交担当のお坊さんが侵略を咎める朝鮮に対して
過去に朝鮮が主導した元寇で侵略したのでその報いと
反論しています。




ところで、明は民間からの報告で秀吉の侵攻を予想していて
朝鮮に説明を求めますが、通信使の話を隠蔽して誤魔化します。
その後も「征明嚮導」(明への侵攻の導き手になる)という
情報が多々寄せられ、明は朝鮮に不信感を持ちます。
このため、日本が朝鮮に侵攻してもなかなか明が朝鮮に
救援を出しませんでした。

後はよく知られるように朝鮮の抵抗勢力は緒戦で瓦解して
あっという間に平壌まで侵攻しますが、明との戦闘で
長期戦になることから補給線の維持が困難なので停戦しました。
ちなみに、明の大軍が来て勝てなかったという訳ではなく
ほとんどの大きな会戦では日本が勝ちましたが、
損耗を恐れた明軍が戦闘を避け長期戦になったことと、
当時は補給を現地調達することが普通でしたが
ただでさえ春窮というくらい貧乏な朝鮮の農家が
日本と明と朝鮮による度重なる徴発に堪えられず
徴発できないということで前線の補給が困難でした。
韓国人が大好きな李舜臣は局地戦で活躍しましたが
海路での補給線は文禄・慶長の役では常時維持されたので
戦略的には全く活躍していません。
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kantansi さんの言われるように、目的は、中国への侵略です。


お館様(信長)の野望の引き継ぎ、実現でしょう。
ルイス・フロイスなどの宣教師によって、中国の事情は知っていました。
当時、日本は世界一の鉄砲所有国でした。
しかも、朝鮮などの鉄砲は射程距離も短かったが、日本の鉄砲は射程距離も長く優秀でした。

朝鮮の大砲は50m程度なので、陸では役に立たず亀甲船に乗せて、船の至近距離でのみ役に立ったと言われる。
ただし、この亀甲船の大砲も、あとからの作り話とも言われるようだが。

信長は、中国征服も夢ではないと思っていただろう。
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朝鮮出兵は言うまでもなく、朝鮮を侵略するのが目的ではなくて、大明帝国を侵略征服するためのものでした。

 朝鮮はそのための日本軍の進行通路であっただけです。 よって、進行をスムーズに行うために日本は朝鮮に服属を求めたところ、朝鮮がそれを拒否したため、止むなく戦争に至ったのです。
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あれは元寇に対する防衛戦争だ


という説もあります。
つまり、大三次元寇に対する
自衛。

元寇は、朝鮮半島経由で
日本を侵略しています。

兵隊の70%は、朝鮮兵。

日本史上最大の危機でしたからね。

天下人になった秀吉が
再発防止を防ぎたい、と考えるのは
当然です。
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この回答へのお礼

300年またいでも自衛戦争が成立するなら
今から朝鮮攻めても自衛戦争で通じるな笑

お礼日時:2024/03/18 05:47

侵略戦争です。

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白村江の戦いだと、救援要請に応えたものなので一概に侵略とも言えないかと

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秀吉の朝鮮出兵なら、完全に一方的な侵略戦争。

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