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猿は嫌いじゃ!そう思ってたのはよくわかります。女性の心として生理的に嫌いな男、ということもよく分かります。しかし当時、軍事力=経済力のような感じで、まして信長、信忠亡きあと、お家、すなわち織田の血を絶やさぬよう継いでいく、という女性のもつ絶対命題のもと、お市のとった行動があの戦国時代においてイマイチ理解できません。

長政、勝家と嫁いできたお市ですが自分の子女達が勝家の城から解放されるにあたり、絶対に今後、天下を取るであろう秀吉と婚姻まで果たすのか知るよしもなかったように感じます。(もう解放する段階で長女と婚姻すると決まってたのでしょうか??ならば分かりますが・・・)おそらく「子供達をよろしくお頼み申す」的な手紙しかないような気がします。自分が大嫌いな男にそんな嘆願書を宛てるのもどうかと思いますが当時の風習としてはあってたんでしょう。


そこで質問ですがお市は自分が勝家と自害することによって、織田の血を絶やしてもイイと考えてたのでしょうか?諦めにも似た感じだったのでしょうか?それとも残った信勝やその他兄弟がなんとかしてくれる、と見込んでたのでしょうか?
子供達が解放されたから結果、良かったもののお市の取った行動が今の時代とは根本的に違う、封権的な戦国社会において異質に思えたので質問させていただきました。

A 回答 (4件)

しかし、大前提は、市が、秀吉を嫌っていたという、その証拠(歴史の文献史料)があるのか、ということですが、それは無いようです。



なのに、どこから、そうした話が出てきたのかと考えると、たぶん、結果から想像(創造)した、誰かの小説(創作=作り話)ではないのかな、と思いますが。
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この回答へのお礼

秀吉がお市のことを気にかけてる文献はあるみたいですね。お市が心の底から嫌っていたかとなると・・・
後年のフェイクということも十分考えられますね。ありがとうさまでした。

お礼日時:2015/02/17 21:39

どれだけ自分が忌み嫌ってた男(秀吉)であっても、



娘たちの命は助けたかった、、、のではないでしょうか?

さすがに お市も、長女の茶々が秀吉の妾になる、、、、

とまでは、読めなかったでしょうが。

が、あの時代、権力者の妾になる、、、というのは、有る意味

ステータスでもあった訳ですから、、、。

そして、織田の血を残す、、というより「浅井」の血を残したかったのでは?

と思います。

「秀吉の何が嫌だったのか?」

①秀吉の顔

②秀吉の身分の低い家柄

プライドの高いお市が、身分の低い家柄の家臣である
秀吉に娘を託すしかなかったことの、裏返しとして
秀吉を嫌った。
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この回答へのお礼

②の秀吉の身分、というか出自そのものが、お市にしてみたらたまらなく嫌だったのかもしれません。下の方も書かれてますが浅井長政の長子を殺めたのも許せなかったのでしょう・・・回答ありがとさまでした!

お礼日時:2015/02/17 21:44

信長には息子も娘もそれぞれ2桁おりましたから、長男が死んだところで「血が絶える」という危機感は薄かったと思います。


と言いますか、そもそも信長の家系は織田家の中でも庶流ですし。(宗家は別にあります)

あと真偽の確認はとっていませんが、長政との間の息子を秀吉に殺されたという話を聞いたことがあります。
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この回答へのお礼

そーですね。長政の長男、まだ幼かった男児を殺してます。ただ、これはお市の兄である信長から厳命されたものであって秀吉の意図するものでなかったみたいです。
お市にしてみれば娘達はなんとか助けられたものの、嘆願むなしく自分の愛する子を秀吉にしてやられた、という強い恨みが残ったように思います。

ただ時代は戦国・・・そういった血生臭い話しはどこにでもあり当然としても、お家を守る、この1点に織田家に女子として生まれた意味をお市はどこまで考えたのかな、と思いました。回答ありがとうございます!

お礼日時:2015/02/17 21:53

という、歴史小説に翻弄されてるだけですよ (^_^;

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この回答へのお礼

だとしたらお市が勝家の元を去り、秀吉に着いて行かなかったことがますます不思議ですねぇ・・・ありがとさまでした。

お礼日時:2015/02/17 21:55

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