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例えば戦国時代には 大納言や内大臣などの朝廷の三位以上の高官にあった武将がいました
彼らは朝議があるときは朝廷に出向いて仕事をしていたのでしょうか?

秀吉が関白になってからは秀吉の下で政治談議をすれば良かったと思いますが…

A 回答 (3件)

戦国時代の皇室の主要財源は、武家への官位乱発の見返りの礼銭(献金)です。

このため、本来定員1名のはずの官位に複数の武家が叙任されるなどの乱脈が行われています。当然、肩書だけで実態はありません。
それ以前に、朝廷の公卿の半数くらいが地方に下って大名の居候として食いつないでいたような有様だったようなので、朝廷自体がまともに機能していなかったということですね。
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この回答へのお礼

飾り物みたいなものですか

お礼日時:2013/01/12 21:33

戦国期の武将は、朝議に関わっていません。


・ほとんどが在国守護レベルですから、地理的に参加できません。
・朝議とは調停で行われる儀式のことですから、武将たちが参加する必要性がありません。
・武将たちは先例に疎く参加する知識が足りません。

秀吉の政治も朝議とは別です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/01/12 21:33

こんにちは。



実際のところは献金をしてご機嫌取りをして、
官位ちょーだいとおねだりしたものですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/01/12 21:33

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