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質が異なるだけで、日本にもあらゆる類の多様性があるはずだけど。

A 回答 (8件)

多様性と言うのは悪であり、少なくとも政治の分野では認められるべきではない。


政治の分野で多様性を変に容認すると、社会的分断を招く。
多党制と言うのも、いわば「現代の戦国」であり、秩序もヘッタクレもない。
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日本人は保守的なので、他人と違う事が恥ずかしいのです。


自民党を支持しないと「おまえは頭がおかしいのか?」と言われますからね。
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共産主義者は全ての人間が同質であり、従って平等であるという考えですから、左翼は多様性を認めません。


保守主義は差異があるのが当たり前と知っていますから、翻って多様性を認めているだけでなく寛容でもあります。
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むしろ右翼的な人の方が「日本は単一民族!」「アイヌはコスプレオバさん!」「LGBT法なんて多様性は認めるべきじゃない!」っていってると思うのですよ。

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「あるはずだけど」とおっしゃるような、いい加減な考え方では、多様性は保たれません。


たとえば生物多様性。心ない人が、「絶滅危惧種とか騒ぎすぎ」「まだ生息してるはずだけど」なんて言ってるうちに、それらの種は「絶滅の渦」に巻き込まれるでしょう。巻き込まれたら回復不可能で、絶滅してしまいます。
また、社会の多様性を保つには、アファーマティブアクションも有効でしょう。「逆差別」と批判する向きもあるが、「積極的差別是正措置」です。根強い差別にはこれをぶつけます。「日本にも多様性はあるはずだけど」なんて消極的な態度では、百年河清を俟つごとく、差別は是正されません。
日本だけじゃありません。アメリカでも、コンフォーミズム(画一主義)がはびこって多様性を脅かし、「『自由の国』の名が泣く」と警鐘が鳴らされています。

私が子供だったころ、日本の人口は約1億2千万人、アメリカは2億4千万人。「約2倍」と覚えたものです。GDPも約2倍でした。
あれから数十年。今、日本の人口は1億2千万台のままなのに、アメリカは3億3千万人を超えています。GDPは日本の6倍です。この少子化のご時世に、どうしてそこまで差が開いたかというと、移民ですよ。
しかも、「移民を大量に入れたら貧乏人が増えるだけ」というゲスな予想に反して、人口増加以上にGDPは増えてるじゃありませんか。日本が停滞している間に、アメリカの国力は以前にも増してグングン強くなりました。

とはいえ、日本とアメリカとでは国柄が違うので、そのまま移民政策を真似するわけにも行きません。そんな日本の痛い所を突いたのが、左派の論客・上野千鶴子です。

日本は移民を少ししか受け入れようとしない。左派が声を枯らして博愛を説いても、日本人には無理。日本の人口は減る(実際に減少に転じた)。経済もゼロ成長。そんな日本で、せめてもの希望といえば、「貧しくなっていく国で、貧富の差が拡大しないように、みんな少しずつ貧しくなろう」である……。

諦念ただようこの論考は、左派からも右派からも激しい批判を浴びました。「上野自身は勝ち組だ。京大卒、東大教授、定年近くまでつとめて退官。講壇マルクス主義者として逃げ切りやがった」など、散々な言われようでした。

ネトウヨなどの目には、上野がゴリゴリの左翼に映るのかも知れません。
しかし、上野は「マルクス主義フェミニスト」です。これはマルクス主義の理論的枠組みをフェミニズムに応用したものであり、「社会主義国家なら女性差別は解決」という論ではありません。上野は中国などの女性差別も批判しています。
このように、マルクス主義理論は各方面でいわば「批判の学」として生き残っているのです。もともとマルクス主義は、「史上最も包括的」と言われたヘーゲル哲学を逆立ちさせたマルクス哲学で、理論武装しています。したがって、さまざまな物事を縦横に論じられます。実際の政治や経営にはあまり役立たないとしてもです。

フランスでは移民の子が大統領に(サルコジ)、イギリスでも移民の子が首相になりました(スナク)。スナク首相は非白人でヒンドゥー教徒です。両親はインド系のアフリカ人でした。
そんな時代になっても、まだ日本人は「世間様」などと朦朧哲学を唱えています。朦朧哲学とは、表三郎が京都学派のことをそう評していました。
ネトウヨの中には、「移民が今以上に増えたら日本は亡ぶ」と言う人までいます。
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「質が異なる」からです。



左翼が言う「多様性」は《主観的な差異を相手がそのまま受け入れること》が前提です。

たとえば、今川口市でクルド人問題が起きていますが、左翼的には「クルド人の文化や価値観は日本人と違うので、クルド人の価値感を《そのまま受け入れる》ことを前提に社会を構成せよ」という考え方になります。

だからたとえば「イスラム教徒は豚肉が食べられないので、学校給食も配慮すべき」という考え方を受け入れて対応する、という主張につながっていくわけです。

これが左派的な「多様性=異なる価値観をありのままに受けれる」というやり方です。

日本人の場合「世間様」という無意識の前提があります。「多様性は認めるけど、世間様を騒がせるようなことはしてはいけない」「異なる言説を言うのはいいが、世間様に押し付けてはいけない」というような考え方が一般的です。

つまり日本の場合「差異はあってもいいが、なんでもかんでも受け入れるわけじゃないよ」という限定担っているわけです。

これがいいか、悪いかはその人個人の考え方です。

クルド人の方を持つなら「トルコやイラクなど元々の国籍地でも、クルド人社会は認められておらず、自分達の主張を通すために自分達のやり方を押し通すのは当たり前」というのがクルド人の基本的な考え方だし、100年単位でやってきたのがクルド人です。
(クルド自治区は、トルコ・イラク・イランにまたがる山岳地帯で、クルド人武装勢力が各国政府と対立することで、民族的自治を確保している。1980年代までは各国軍による攻撃、虐殺もあった)

かれらは「虐殺を受けても自分達のやり方を守る」わけで、左翼的には「それを受け入れろ」というのが基本、日本だけでなく欧米でも不法移民が問題になるのは、左派的に「受け入れる前提」だからです。

日本の価値基準はもちろんそれを許さないので摩擦が起きます。
日本人の一般的な「多様性」と左派的な「多様性」は全く意味が違うのです。
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バカだからですわ。


民主主義国家において、共産主義を唱える左巻きが
存在出来る事こそが多様性である事に気付けないん
ですわ。
現在、きゃつらが求める多様性とは、ホモとレズが
自由闊達に人生を謳歌出来る社会ですわ。
私は同性愛を否定は致してはおりませんわ。
けど、わざわざ自らがそれを公言し、おっさんが
女子トイレを利用出来る社会が当り前とは思いま
せんわ。
ホントですわ(呆)…
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質問者様が、あるはずだけど、と思い込んでいるからそのような疑問を持つわけです。



多様性を言うのは左翼と出羽守、のような決めつけから始めることがそもそもおかしいのですが、質問者様には難しすぎますか?
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