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日本史近代の選択問題です。

(1)日米修好通称条約の調印を決定した実質的責任者について誤っているものを1つ選べ。
ア:将軍継嗣問題に際して、慶喜を推す一橋派と対立し、紀伊藩主徳川慶福を推した。
イ:朝廷へ異国船の来航を報告し、諸大名や幕臣にも外交政策の諮問を幕府として初めて行った。その結果、朝廷の権威が高まり、諸大名の発言力が強まった。
ウ:アメリカ総領事ハリスから、イギリス・フランスの脅威を説かれ、通商条約の調印を強く迫られ、孝明天皇の勅許を得られないまま史料の条約の調印を強行した。
エ:条約に反対する尊王攘夷派の公家や大名とその家臣を多数処罰し、これに憤激した志士らに暗殺された。

(2)条約改正のためにも必要と考えられた諸法典の編纂・ 制定に関して正しいものを1つ選べ。
ア:ヨーロッパでドイツ流の憲法理論を学んで帰国した伊藤博文は、1882年に太政官制を廃して内閣制度を制定し、宮内大臣と内大臣は内閣の外に置いて宮中と府中を区別した。
イ:ボアソナードが起草し、1890年に公布された民法は、封建的で旧態依然な家族道徳を保守するものとして穂積八束らの批判を招いて、民法典論争が起こり、1896年と98年に大幅に修正して公布された。
ウ:天皇・皇族に対する大逆罪・不敬罪を厳罰とする規定は、ボアソナードが起草し1880年に公布された刑法にはまだなく、1907年の改正で設けられた。
エ:伊藤博文を中心に、ドイツ人ロエスレルの助言を得て起草され、1889年に発布された大日本帝国憲法は、天皇に、統治権の総攬者として、陸海軍の統帥、宣戦・講和や条約の締結など、議会の関与できない大きな権限を持たせていた。

(1)の答えはイ、(2)の答えはエです。

(1)のイ、(2)のア~ウは、それぞれどの部分が誤っているのでしょうか。
教えていただければ幸いです。

A 回答 (1件)

(1)


ア:井伊直弼
イ:阿部正弘
ウ:井伊直弼
エ:井伊直弼
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