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このカテでは、「正しい」ことを使います。
俗世では、「善なる」ことも使います。

質問は、「正しい」と「善」をどのように使い分ければよいのでしょうか?

A 回答 (5件)

AI



正しい
「正しい」は、主に行動や判断が規則、法律、論理的な基準に
従っているかどうかを指します。
正しさは客観的な基準に基づくことが多く、
特定のルールや原則に従っているかどうかが判断基準となります。

例えば、数学の問題を解く際に正しい解答を導くことや、
法律を守る行動などが「正しい」とされます。



「善」は、より主観的で価値判断に基づく概念です。
善は、行動や意図が人々や社会にとって有益であり、
道徳的に良いとされるものを指します。

善悪の判断は文化や時代、個人の価値観によって異なることが多いです。
例えば、誰かを助ける行為や他人に親切にする行動は
「善」とされることが多いです。



ワタシ)

地球は動く、というのは正しいですが
そこに善悪はありません。

動く、という客観的事実、が
あるだけです。

動いているのに、それはキリストの教えに
反するから悪い。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<地球は動く、というのは正しい>のですね。
かっては、地球は動くというのはキリスト教に反しているから悪い(善の反対)だったのですね。

お礼日時:2024/06/29 12:43

正しいは感情に左右されませんが 善は感情のエッセンスを含んでいるように思います

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<善は感情>、正は理性、といえますね。

お礼日時:2024/07/01 12:26

正しいにつけ、善につけその範囲というものがあるはずです。



それによって異なるでしょう。

また、人によってもその捉え方は異なるでしょう。

例えば、池上彰は正しいかと言えば誤りであり、悪です。
なぜかと言えば、考え方が偏見に満ち、それを公の電波で流し、無知の人々に対して悪を正しいと認識させるからです。
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2024/07/01 12:21

本当は、世の中、「正しい事」は、存在しないと思います。



しかし、このカテでは、「正しい事」を扱いたがるので、
結局、「机上の空論」を展開する、に過ぎない。
これが、「哲学」の最大の「欠陥」だと思う。

「正しい事」を扱うために、世間の種々雑多な「情報」を
統合、整理、即ち、「切り捨て」て、その「エッセンス」
だけを扱おうとする。

扱う方が、その「切り捨て」たものの重要性を理解しないで、
「都合の良い情報」のみを選択する。

だから、「常に、間違う。」

「善なるもの」とは、「比較的」、「相対的」な状態を
暗示させる。
「俗世」即ち、一般社会は、「正しい事なんか存在しない」
事を、皆、理解しているので、「比較的正しそうなもの」、
「相対的に正しそうなもの」を「選択」する。
これが、「善なるもの」だろうと思います。

「究極の選択」のような問題が、一時期、にぎわしたが、
そんなもの、「俗世」には存在しないから、社会に
「何も生み出さない」し、「何の影響も与えない」。

俗世の人間は、その場、その場で、「比較的」、「相対的」
な基準で、「善」を選択するので、「毎回、答えが違う。」
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
<本当は、世の中、「正しい事」は、存在しない>ですね。
<しかし、このカテでは、「正しい事」を扱いたがるので、
結局、「机上の空論」を展開する、に過ぎない。>ですね。
<「善なるもの」とは、「比較的」、「相対的」な状態を
暗示させる。>のですね。
両者を使い分けている人もおれば、一方しか知らない人もいますね。

お礼日時:2024/06/29 08:58

必然的に使い分けます。


例えばこの答えは「正しい」とは言いますが「善しい」とは言いません。
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この回答へのお礼

ノーコメント

お礼日時:2024/06/28 18:14

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